2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

築羅手暗

「美食探偵」(火坂雅志)読了。 あの大河ドラマ「天地人」の原作者が書いた異色ミステリという触れ込みに惹かれて手にしてはみたものの、「探偵」なんて紛らわしいタイトルは辞めておいた方がよいのではないかというのが率直な感想。 ミステリといえるほど…

The 2nd of the 7wonders

わたくしが以前に、わたくしの住む町の七不思議の一つを指摘し、残る六つについては知る由もないと言及したこと(1月27日付け「一杯所望致す」を参照のこと)を無責任の謗りと自省しつつ、何か不可思議な事象は他に存在していないものかと思案を続けた末…

Something worthy to be remembered

恒例オバマシリーズ、そのいくつか目;オバマ大統領の施政方針演説。 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/79534 就任演説の時と同様に国民に率直に語りかける手法をとりながら、一方で、施政方針演説の割に具体的提案内容が乏しいのじゃないかといった批…

Fallacy of Composition

と或るデパートのエスカレータにて。 わたくしの目の前に母子らしき二人連れが立っている。 母親が小学校低学年ほどの少年に、「よその人の歩く邪魔になるから、端に寄って立つのよ。」と促す。 それに対して少年は、上方を指差して、「だけど、『子供は真ん…

ホラー映画を突き詰めてみたら「ハウス」になってしまいましたとさの怪

映画「エクソシスト」の封切りを契機に、所謂ホラー映画が一世を風靡した当時、陰から突然何かが現れて驚いてみたり、血深泥シーンに戦(:おのの)いたり、といったことはあっても、尻小玉が縮み上がるほど真底怖いと震え上がることはなかったように思う。 …

商いの奈落のそこを垣間見る

何度も繰り返し起きる商い上の詐欺事案に関する新聞記事を眺めながら、何故、誰もがさも首を傾げそうな、単純なこうした詐欺商売が後を絶たないのかについて思いを巡らせてみる。 所謂ネズミ講という詐欺行為があって、これは法律で禁じられている筈であると…

4時5分

地デジ化が今般の景気対策のカンフル剤として真剣に検討されているのかいないのかよく分からないでいるところに、本年1月時点での地デジ対応普及率が約50%という話を聞くと、成る程そんなに進んでいたのかと驚く。 完全移行までには後2年4ヶ月余もある…

御簾を隔てて高座を覗く

「ファイティング寿限無」(立川談四楼)読了。 《酒飲み書店員大賞受賞》という栄誉を背負っている作品ということであり、この見るからに何だかよく分からない重みのある賞の授与という姿勢には、大変に望ましく、頬笑ましいものがある。 解説文にもあると…

試金石

大学1年の頃である。今からどれだけ昔のことであったのかは、この際ここでは関係ない話である。英語の授業であった。前後の脈絡は全く覚えていないが、こんなような英語の簡単な文を訳すよう指示があった。It will serve as a test.模範訳としては、”それは…

莨のケムリ

RCサクセションではないが、高校時代の政治経済の先生は、草臥れて年老いてヤニまみれの芥川龍之介のような風体の人だった。 よれよれのスーツに、駱駝色のウールのチョッキをいつも着ていた。 訥々、というか、ぼそぼそ、アーウーと話すまるで話し下手の…

トンだ茶釜

トンカツ屋で戴くトンカツは、文字通りトンカツがトンカツ屋の看板商品であるからにして、自信を持ってその店が勧めているのは当たり前なのであって、大体にして専門店である限りはどこの店で戴いても大変美味しいものである。 チョッと意地悪にチキンカツを…

経済の素人は再び考え、三度首を捻る

米国の景気対策法案に米国製品の購入を義務付ける「バイ・アメリカン(Buy American)」条項が盛り込まれていることに対して、内外から批判の声があがっているのだそうな。 法案第1604条なのだそうである(ずいぶんと分厚い法典であること)。 「本法により…

ガダラの猪

地方では良くありそうな出来事を捉えた、こういったローカル記事があった。 ■「切ると高熱死」伝承に配慮…神木残して歩道整備 2009年2月13日(金)11:36 「切ると高熱が出る」という言い伝えがあることに配慮して、県は整備中の歩道予定地にある×市×町の×神…

時間旅行のツアーはいかがなもの

芳山和子が理科実験室で、あるいは、深町一夫の寄宿先である屋敷内のグリーンハウスを訪れて、ふと嗅いでしまったラベンダーの花の香りによって、彼女は時間を駆け抜ける。 筒井康隆原作「時をかける少女」の有名な1シーンであるが(むろんわたくしの記憶の…

固茹卵か温泉卵か

正統派SFがあるくらいだから、正統派ハードボイルド(HB)というものがあってもよいだろうということは、誰もが当たり前のように考える。異論はあるまい。そこで、考えた。小学生の頃からミステリには親近感のあるわたくしであったが、HBに対しては、…

タダより高いものはなし

ある時、地元商店街の福引きか何かで国内バス日帰りツアー招待券が当たり、居住地の近傍の某県の観光地まで出掛けた。 修学旅行ならいざ知らず、こうした見ず知らずの人達との団体旅行は、何が一体楽しいのか正直分からないというのが本音で、ほとんど参画し…

馬は蹴飛ばし、猿は投げ捨て、犬は見向きもしない

例えば、国政選挙もそう遠くない折、永田町方面の諸先生方々が「政治改革」と熱心に叫んだとして、それを聞いたわたくしたち有権民の殆どがそれを真に受けることはなく、彼の言や彼のひとを信用する気になど到底ならないのと同様に、彼らや役人、学者様や評…

老馬途ヲ識ル

過日深夜にBS放送が「ハリーとトント」をこつそりと放送していた。 後日わたくしはその放映があつた事実を知つた訳であつて、これを愉しむ機会を見事に逸した次第であるが、全くNHKも油断がならないところだ。 このような後世に遺すべき佳品をさり気な…

経団連会長と探偵稼業どちらが魅惑的か

格別のフリークというわけでもないが、ミステリ好きを自認するのであれば、どこかで島田荘司作品について触れねばなるまい。 かといって、何故、島田荘司なのかということについては然したる理由もなく、これが西村京太郎の御指名であっても、それはそれでよ…

スターはわたくしだ

芸能界志望の話である。 また、花田秀次か(1月20日付ウメカニズム参照のこと)と思いきや、それとは全く関係がない。 小学校時代、同じ学年ではなかったが、学校の中に、芸能界志望を明確にした(学校内で)有名な女の子がいた。歌手志望であった。 誰もが…

旅の重さ

わたくしの父親は、若い頃に全国を行商して回ったという話をわたくしが小さい時に、亡母親から聞いたことがある。瘋癲の車寅次郎というわけではなかったようだが、結構奔放な青年時代を送っていたらしい。 幼心にわたくしはそれを聞いて憧れの気持ちを抱いて…

自転車でおいでよ

《オート・モビルに替わるバイ・サイクル》といった所謂一つの決まり文句であるところの”eco”なキャッチフレーズを掲げて、自転車ブームが世間に好感を持って受け入れられているこの現状に対して、一介の天邪鬼は、余程素直になれないでいる。 まずもって、…

おもたせ

東京土産に、毎回、「雷おこし」を買い求めるのは、その心持ちがたいへんきっぱりとしていて潔いと思う。 確かに、エキナカの小洒落た店で和洋折衷の創作菓子を買うことも、「あら珍しい」と好評受けするには違いないのかもしれないが、洒落ている以外に東京…

Science Only Lives Twice

国際捕鯨に関する国民的な関心が高まることは、歓迎すべきことである。 百家争鳴が為に、「鯨が可哀相」「業界利権打破」「反捕鯨暴力団体即検挙」といった底辺の議論が食み出てくる弊害は一部あるにせよ、己自身がステイクホルダーの一員であることを自覚し…

セビリア以北の理髪師

はじめて激安ファスト理髪店を見かけたのは、JR上野駅の構内だった。 爆安価格もさることながら、水回りを一切使わず、掃除機のホースのようなものでカットした髪の毛をぼうぼうと吸い込んでいるありようにとても驚いた。 窓の外から店内を覗き込みながら…

アナグラム

若いある時期、ほとんど金銭の持ち合わせといったもののない貧乏人の典型であったということもあり、近所の公設図書館に入り浸り、年の日数を超える程の数の書籍を借り出していた頃があった。その時分に初めて触れた作家で、確か単行本の「乱れからくり」を…

科学を正しい場所に戻す

この発言に対する論評記事での言及というものは、ほとんどなされていないようであるので、個人的曲解に過ぎないのかもしれないが、「正しい場所に戻す」というのは単に科学関係の政府予算を増やし、その待遇を改善して差し上げましょうといった意味だけでは…

バラク・オバマ斯く語りき

件の大統領就任演説について(1月21日付「アメリカよ」参照のこと)、他の論評記事も横目にしつつ、もう一度読んでみたのだが、わたくしが気になったのは、次の発言であった。 We will restore science to its rightful place, and wield technology's wonde…

不噴不啓

正しくは、「不憤不啓」である。出典は論語。試験に出やすいところなので、受験者諸兄はその意味も含めて要チェックされたし。 本日は、火山噴火の話である。「不憤」とは関係ない。然も、またもや時事ネタである。 週開け早々、浅間山、桜島と立て続けに火…

高野喜久雄

いつの頃からかわたくしのこころには厚い澱のようなものが媚びり付いてしまっているようで、詩歌のような些か文字数制約のある文学では、腹の底から沁み入るような感動というものを容易に受け容れられなくなってしまってきているような気がする。もしや、文…