ホラー映画を突き詰めてみたら「ハウス」になってしまいましたとさの怪

映画「エクソシスト」の封切りを契機に、所謂ホラー映画が一世を風靡した当時、陰から突然何かが現れて驚いてみたり、血深泥シーンに戦(:おのの)いたり、といったことはあっても、尻小玉が縮み上がるほど真底怖いと震え上がることはなかったように思う。
(単なる怖さだけなら「激突!」の方がオカルトに勝る。)


当時のわたくしには、外国映画にありがちな宗教的な畏れといった意味合いがよく理解できなかったし、幽霊や怪物にそれほどのリアリティを感じていなかった。
大仰な効果音や画面が一様に暗すぎるのにも厭きていた。
何より、根からの楳図マニアであったので、鍛錬というものが或る程度なされていた。


そうした中にあって、唯一震え上がって観た映画は「世にも怪奇な物語」であった。
E.A.ポーの作品を素材に、三人の著名な監督(ロジェ・バデム、ルイ・マルフェデリコ・フェリーニ)が撮り上げたオムニバス競演ものではあるが、どの作品においても、怖く魅せる工夫を凝らしながら、各監督がそれぞれの個性的な映像や演出というものをよく発揮していた。
中でも、フェリーニの映像は、幻想的といえば聞こえはよいが、気味が悪くて仕方がなかった(イタリア人畏るべし)。


当時、荻昌弘氏の月曜ロードショーで何故かこの映画をよく取り上げるものだから(安かったのでしょうね)、その度に、悩ましい気持ちになりながらも、ついつい観入ってしまっては、震え上がっていた。
生理的な部分に近似する恐怖であったのかもしれない。


その後も数々のホラー映画はあったが、スプラッタは一線を越えるとギャグの世界に突入してしまうことが世間を含めて良く理解され始めたし、有名な恐怖の主人公達は常連化し大衆化した途端に、恐怖と親近感との矛盾に陥るとの連鎖を繰り返している。


そもそも恐怖とエンタテメントを同衾させること自体が矢張り矛盾なのかもしれない。
そういった意味で、邦画の「妖怪大戦争(旧作の方)」などは、その呑気とも言える割り切り具合が宜しかったのかもしれない。


本日の音楽♪
「evil and flowers」(BONNY PINK)