商いの奈落のそこを垣間見る

何度も繰り返し起きる商い上の詐欺事案に関する新聞記事を眺めながら、何故、誰もがさも首を傾げそうな、単純なこうした詐欺商売が後を絶たないのかについて思いを巡らせてみる。
所謂ネズミ講という詐欺行為があって、これは法律で禁じられている筈であるという程度の経済の素人ながら、安易ではあるが、時事ネタでもありWIKIでもう少し聞き齧って確かめてみる。

無限連鎖講(むげんれんさこう)とは、金品を払う参加者が無限に増加するという前提において、二人以上の倍率で増加する下位会員から徴収した金品を、上位会員に分配する事で、その上位会員が自らが払った金品を上回る配当を受けることを目的とした団体の事である。人口が有限である以上、無制限に成長する事が絶対的に有り得ないため、日本では無限連鎖講の防止に関する法律で禁止されている。

「人口が有限である以上、無制限に成長することは絶対にあり得ない」ことから、無限連鎖講を防止する法律で禁じられている、と。論旨明快である。

単純計算では、配当金額が出資金額よりも多くなるはずだが、実質的には無制限に下位会員が増えることはないため、出資金額を回収することは困難である。このような成長限界を「無限連鎖講の防止に関する法律」上では「破綻する」と表現するが、多くのネズミ講では、集まった資金を上層部が分配せずに着服したり、会規約に外れて活動する会員が続出するなどして、結果自然崩壊に至るケースも珍しくない。

NのP乗の計算であるわけだ。Pが1,2,3,…(代目)のうちはよいが、7,8,9、10…(代目)となった時点で、既にこの世の中の人口プールをはみ出してしまう規模にまでオーバーフローしてしまう。
中学生の数学の知識があれば、誰でも容易に察しが付く筈なのに騙されるのは一体何故?と考えるのがこうした事案の当事者以外(第三者)の一般的な認識パタンでもある。

えてして巧妙化した手口を用いる団体では、加入する事によって得られる特典ばかりを強調して、違法性が無い事を力説するが、それらの部分を除けば、やはり違法な無限連鎖以外の何物でも無いため、本筋の還元・分配システムの説明は等閑に、細部の特典を強調するなどの、顕著な共通項目があるようだ。

目先の利益に目が眩む人間の性の愚かさを突いているというわけか。
はたまた、法の隙間と相手の錯意を突く手口の巧妙化のイタチごっこという訳か。
被勧誘側もP乗が有限の間に稼いで逃げ果せようといった魂胆が働くことだろうし、ゲーム理論ではないけれども、単純化を拒むバイアスが働いているというわけか。

親会員から子・孫会員へと会員が無制限に、ねずみ算的に増殖していくシステムから、一般的にはネズミ講と呼ばれる。特定商取引に関する法律第33条で定義される販売形態に沿った連鎖販売取引は違法とは言えず、その意味ではネズミ講とは呼べない。また、マルチ商法、マルチまがい商法についても侮蔑的にネズミ講と呼ぶことがあるが、法的には一概に無限連鎖講とは言えない。他にはピラミッド商法という手法も存在している。

確かに、マルチとかマルチまがいとかピラミッドとかネットワークビジネスとかいった言葉を聞いたことがあるが、ネズミ講との違いや、マルチとマルチ紛いの違いといったものは、正直なところ、よく理解していなかった。
しかも、これらネズミ講以外の商売は「法的には無限連鎖講とは言えない」という。
そう言えば、最近話題になったあの疑似通貨発行集団も、無限連鎖講防止法ではなく、出資法違反で摘発されていた。

マルチ商法は、無限連鎖講の防止に関する法律によって禁止されるねずみ講と組織の拡大方法で類似点が多いが、ねずみ講が金品配当組織であるのに対して、マルチ商法は商品の販売組織(役務のあっせんも含む)である点で区別される。
なお商品の販売が主と主張する組織であっても、その商材の実際の価値が販売価格に比べ著しく低い場合には商品販売は主と見なされず、金品配当が主と見なされ、ねずみ講とされる(判例多数あり)。

成る程、ネズミとマルチの違いは、金品配当か販売斡旋かによる違いというわけだ。
マルチ商法は、販売行為の斡旋誘導なのであるから、ある意味、正当な労働行為であって、その点がネズミ講のように不当な利益誘導に直結するような詐欺行為には当たらないというわけか。
法的解釈というのは厳密性をよく好むものであることを改めて理解する。

マルチ商法自体は必ずしも違法ではないが、同商法は数段階下からの不労所得的な報酬(コミッション、ボーナス)を勧誘時の誘引材料にしている場合が多く、ダウンと呼ばれる配下の加盟者を継続的に勧誘・加入させ、かつ一定額以上の商品購入を継続して行わなければならないことが現実(表面に現れないノルマとも言われている)で、加盟者が期待する様な安楽な生活ができるほどの報酬を得られる者は、加盟者全体のごくわずかにすぎない。

しかしながら、マルチ商法もその構図はネズミ講のそれによく似ている。
無理な販売加入斡旋行為の中で、強引な勧誘とか法律に抵触する行為を伴ってしまうことが社会問題化しているというわけであろう。

連鎖販売取引は、「マルチ商法」をはじめとして、「ネットワークマーケティングネットワークビジネスMLM」などの別称で呼ばれる事が多いが、連鎖販売取引マルチ商法が同義であるかという件については、各省庁や消費者センターなどの公的機関においても見解が分かれている。

経済産業省や警視庁においては、連鎖販売取引マルチ商法を同義で使用している。
独立行政法人国民生活センターでは、連鎖販売取引マルチ商法を同義として使用していない。国民生活センターは、マルチ商法ねずみ講的販売方式全般について広く総称することを基本としている。
地方自治体の消費生活センターでは、マルチ商法連鎖販売取引と同義としている場合や、ねずみ講的販売方式全般について広く総称している場合など、消費生活センター毎に違いがあり、必ずしも統一して使用されているものではない。

このように、公的機関内であっても見解が一致しておらず、連鎖販売取引マルチ商法ネットワークビジネスをはじめとして、主宰する企業によって様々な別称で呼ばれる場合も多く、消費者にとって非常にわかり難い状況になっているのが現状である。

確かに分かりづらい。というか、わたくしには拘りの元からしてよく分からない。
いずれにせよ、こうしたマルチ商行為は、無限連鎖講の防止に関する法律ではなく、特定商取引に関する法律で定めるところの連鎖販売取引に該当し、この連鎖販売取引に関するクーリングオフ制度といった消費者保護措置が何某か施され強化されてきているというのが現状で、その商行為自体をネズミ講のようにずばり法令違反で摘発できるということではないわけだ。
強引な勧誘とか虚偽表示をしたとか違法行為が付随的にあった場合は、特定商取引法無限連鎖講防止法ではない別の各法律に基づき、摘発をするという仕組みらしい。
ただし、これらは、いずれも悪徳商法という部類に含まれる商売であるというのは、社会通念的に共通の認識であろう。

悪徳商法(あくとくしょうほう)は、悪質な者が不当な利益を得るような、社会通念上問題のある商売方法であって、例えばマルチ(まがい)商法による販売などが代表的である。(略)多くの場合、被害者は消費者であるが、企業(ことに中小零細企業)や個人事業者のこともある。(略)近年20歳で成人を迎えて間もない人たちをターゲットにする悪徳商法が増加している。法律的には成人とみなされても、彼らには社会的な経験や知識が少なく、そこにつけこんだものである。

社会的な経験や常識があればこうした犯罪の魔手から自らを護ることができるということか。
恐らく正論なのだが、互助し合うのが社会というものだ。
例えば、社会の公器たる役割を期待されているところのマス・メディアは、こうした社会的な経験や常識というものを社会に対して積極的に発信しているだろうか。
コモンセンスの隙間を突くような怪しげな商売を「怪しいぞ」とは告発できぬものなのか。
仮に「怪しいぞ」と明示的に言えないにせよ、予防的に、当該商売の怪しげな部分を客観的事実として世間に知らしめることはできぬものか。


学識者の貢献にも思いを致す。
永久機関なんてものは、この世の中に存在しないのですよ。」と得々語る識者がいらっしゃる。
エネルギー保存の法則という熱力学第一法則に反するわけですからね。」
それは仰るとおりだ。
であるからこそ、永久機関と同様、無限連鎖などということもこの世の中の常識の外であるということを社会経済学の畑に学ぶ識者諸氏は、社会への啓蒙を十分に行っているだろうか。
メディア同様、社会経済学の専門家からの発信量が国民的な運動になるまでにはまだまだ足りなくはないだろうか。


何とかの法則や、メカニズムの非可能性の話を懇々と説く事は、この際一度横に置いて、社会を顧みるということはどうなのであろうか。
無限連鎖があり得ないという解説の啓蒙のほうが余程切実で、かつ、社会リテラシーの向上として喫緊な課題であるようにわたくしには思えるし、識者にはその使命が与えられているものとわたくしは信じる一人である。


蛇足。
「歴史は繰り返す」という格言があるが、これは「二度あることは三度ある」という意味のみならず、「歴史から何かを学んだ者だけが過去の歴史の失敗を繰り返さない」という意味があることをわたくしたちはもう一度肝に銘ずる必要があるということかもしれない。



本日の音楽♪
「RAINBOW」(福原美穂