始まりの終わり

一年の区切りを迎える日である。
この一年間、日々欠かさずBLGに思うところを述べる作業を続けてきた。継続は力なり。よくやってきたと我ながら思う。
わたくしがこれを始めようかななんて思った理由は、だいたい100個くらいあって(←くるりの『ハイウェイ』からの借用)、一つ目は、わたくしの大好きな曲を出来るだけ沢山リストアップしてみたいと思ったこと。
もしも曲の一つ一つに独自の色が付いているとしたならば、それを数多く集めたときに出来る繪柄は一体どんなものなのになるのだろうかと考えた。7,8割方わたくしの持っているMP3のわたくしの編集した選曲集に近いものになった(当たり前である)。とは言え、なかなかに味のある名曲撰集は完成した。
二つ目は、日々の出来事を綴るといった日記形式には全く興味はなかったものの、わたくし自身がその一日に何を考え、何を思ったのかを記録してみてもいいかな、なんて思ったこと。
おそらく自分自身の回顧録であるとか、大げさに言えば人生行程であるとかを出来るだけ客観視したいと思うのであれば(それは人生の後半期にそうしたいと考える人も多いのかもしれないとも思う)、いつどこで自分が何をしてきたかということよりも、その時に何を考えていたかということの方が、一般庶民にとっては余程客観的でリアルに自分自身に近いものを感じることができるのではないのかと思ったのである。
そうした動機から、この場では身の回りの出来事を記録するだけではなく、その際にどう思ったのか心の中を詳らかにするように出来るだけ心掛けてきたつもりである。
十分にそれが展開できたかどうかは心許ないが、人格の色合い(カラー)はそれなりに滲み出ていると言えるのではないだろうか。
350日弱を費やし、様々なことを思い考えしてきたつもりではある中、これで十分に言い足りたとは到底思わない。
それはおそらくわたくし自身の未来が未だに可能性を秘めている部分があるはずだという期待の裏返しでもある。
しかし、一方で、これ以上精緻なモザイク画の完成を目指しても(5年後、10年後の比較は別にして)、わたくし自身の色彩の特徴が大きく変わってしまうこともそうはないだろうとも思う。2009年という一年だけを区切って切り取ってみた、スナップショットを創り上げたというところに味や景色があるという考え方もあろうし。
そして三つ目に、月初めには、わたくしの好きな詩歌を掲げる方針ともしてみた(但し、11月は1日ではなく、11日)。
わたくしの好きな詩人は概ね網羅できたように思う。
むしろその1編1編の作品の出来映えにはそれは素晴らしいものがあるのであるからにして、これらを束ねた詩歌集は、音楽以上に華やかな味わいがあるものになっているのかもしれない。
これは予期せぬ収穫とも言える。


さて。
蛙に冬眠は欠かせない。そのための旅に出る。
1月以来毎日欠かさず更新をしてきたこのBLGも区切りの良い本日をもってその作業をいったん停止する。
今後は、これまでの過去の日々に関する個々の内容の誤記修正、加筆、変遷、方針転向を含めて、この約一年間の内容のより重層化を目指した充実に努める編纂作業を主として、不定期にこれに携わりたいと考えている。
したがって、過去に書いたBLGも、今読み返すと内容に忸怩たる部分があるやもしれないので、いつの間にか部分改竄(ネットマナーを最低限守りつつ)されていたりすることがあるやもしれない。
ロンドのように、もう一度、1月のスタート時に戻って、何度もぐるぐる読み返す、そうした体裁にしたいところだ。


なお、この一年の作業で最も苦心した点を最後に感想として記したい。
それは、なんといっても、「本日の音楽♪」の選曲であろう。基本的に、アーティスト一名(個人と団体では人格を別にして勘定した)に対して一曲。
であるからにして、当初は「アローン・アゲイン」に始まり大好きな曲がつらつらと頭に浮かんできて愉しかったが、一人一曲の約束事は次第に容易ならざるを得ないものになっていった。
加えて、途中からは「あ〜わ」までアーティストを隈無くリスト化することを念頭に置いて選定をしてきたところもある。特に苦労したのは、「ぬ」。
結果、約三百余名のアーティストを登場させるのには相当苦吟を繰りかえしてきた次第である。


アディオス、皆の衆。
来るべき年が生きとし生けるものに対して幸多いものであるように。


本日の音楽♪
「I WILL」(THE BEATLES

振り返ると丘の向こうに海が見えた

BADSCIENCEがこの一年を振り返っている。
http://www.badscience.net/2009/12/the-year-in-nonsense/

(仮訳)
◆この一年のナンセンスな出来事
 この一年。政府の怪しい科学にとっては、実り多い一年であった。DNAデータの保管を正当化するためのよく分からない怪しげな証拠や、海賊行為に対する費用をGDPの約10%と見積もった一部の政府アドバイザー、メディアの喝采、そして、1000%見誤るとは誰にも話すことができなかったことなどコカインに関するレポートを拝見することができた。
 テロリストの通信パターンから彼らを特定するための大規模な監視システムを使ったセキュリティサービスにもファンタジーが含まれているのが分かった。一方で、下手な鉄砲も数打ちゃ方式の掃討作戦でのふるい分けの際に用いる基礎数学が偽陽性の悲惨な数値を予測するものでもあったが。もちろん、政府の主張は「タリバンの資金源を奪う」ためにアフガニスタンで£5千万ポンドのヘロインを応酬したいといった眼目ではあったのだが。昨年のアフガニスタン商人が輸出した近隣諸国境界付近でのアヘンの価額は約£20億ポンド相当であった一方、実際の押収量相当額は£10万ポンド足らずであった。
 £6百万ポンドのホームオフィス医薬教育調査は、結果発表がなされなかった。何故ならば、その調査結果からは何も見出せないとの傷があったためで、子宮頸癌の集団検診と月の魔術が愚かなものであることを確認し、それから、政治家達はデイビッド・ナット教授から得た科学的な証拠を好まなかったために、彼らは教授を頚にした。政治家が我々に対して真剣に地球温暖化の証拠を差し出そうと望むならば、彼らは至る所のその証拠に着目していることを示す必要がある。それはイラクよりも少しばかりマシなだけの状況であって、イラク政府は爆弾を見つけるダウジング棒800本のために3200万ドルを費やしたのだった。
 パルマゲドン報道の中でタミフルの利点について当然の如く誇張される記事があったが、その中ではまた、証拠いかにしてねじ曲げられるかという姿を多く垣間見ることができた。政府資金による研究と比較した場合、方法論的な厳しさや品質の差違がみられときでも、企業拠出資金による研究は、非常に大きな、より尊敬されている学術誌に掲載される傾向があることが判明した。おそらく、広告収益が愛おしいのであろう。オーストラリアではエルゼビアが正にメルク社のために学術誌全体を装ったものを刊行した。
 法政面では、おそらく強制的な裁判登録であるにもかかわらず、世界で最も重要なジャーナルの約4分の1の裁判がまだ登録されないということを発見した。そして、ある製薬会社が反対したために(私は来年までにどの会社なのか突き止めたい)、MHRAがスタチンの副作用表示を変更するのに21ヵ月も要したことを知った。唯一のよい知らせは、業界がインドの企業が発展途上国の人々のために安価なエイズ薬のコピー商品を作ることを差し止められなかったということである。
 エイズに関するニュースでは、エイズ治療薬を拒否する立役者になったクリスティーン・マグノイアが悲劇的にも肺炎で亡くなった。そして、エイズ否定論がエルゼビア学術誌(現在は引っ込められている)や愚かな上映作品の中で推奨されていることを確認した。
 その他には、概説されたデータに沿って、運動が我々を肥らせ、コーヒーが死んだ人々に会わせ、フェイスブックが女性の癌を引き起こし、家事がそれを防ぐことを発見した。
業界基準のフロントページに、ワクチンについての誤りがあった(英国デーリーメールがそれに反対する運動をする一方で、アイルランドのデーリーメールが子宮頸がんワクチンのための運動をしていた)。昏睡状態の男性が情報交換の手助けを行わないことを示すための方法、強姦研究に関する恐ろしい歪曲、地球の磁場、その他諸々を見てきた。しかし一方で、学術的なプレスリリースの約半数が研究の欠陥の上に旗を立て損ねたものであることも分かった。
 名誉毀損に関するニュースでは、トラフィグラ・エピソードが挙げられる。ピーター・ウィルムシャーストは、彼自身が取り組む心臓学の裁判の結果を批判したかどで訴えられている。また、サイモン・シンは、英国カイロプラクティク協会に訴えられている。尤も、現時点においては、誰もが彼らの主張がどれくらい危なかしいものかについて理解しており、ガーディアン紙は、この名誉毀損事件でマシアス・ラスから我々の経費£535,000ポンドのうちの£365,000ポンドを首尾良く手に入れた。その勝訴価額は、ちょうど英国の家屋の平均単価よりわずかに少ないものに相当する。
 最後に、LBC 97.3 FM放送局の弁護士が愚かな反MMR放送番組を掲載した私を著作権法違反のかどで脅しをかけてきた。その結果、彼らがそれらの情報を消去したがっているということが、160のウェブサイト、アーリーDay Motion、新聞、ITVニュースで議論されることになった。我々のように黙らせたいと思っている人々が向こう側にも多くいるということなのだろう。正に不運の極み。それでは、2010年にまたお会いしよう。


BADASCIENCEの一年間の記事の中で、個人的には、イラクでのダウジングの詐欺話が大変に興味深かった。
何が興味深いと言って、ダウジング自体は古典的詐欺の常套手段に使われているネタではあるが、通常、英国政府に対しては結構ねちゃりねちゃりと攻め込む体質をみせる宿主が、イラク政府に対してはかなり冷淡に突き放した物腰で、その違いが面白かった。
無論、科学の正義は、科学を装う非なるものそのものへの糾弾へと向かうべきであり、その使用者をいくら責めてみたところで、それは処刑場を眺める大衆気分しか味わえないだろうとも思う。
そういう意味で、宿主のネチャリ攻撃は、納税者としての立場が多分にあって、それはそれでもっともなことでもあり、対象の標的に対して「意味なし!」とレッテルをぴしゃりと貼ることだけに意味があることなのかもしれないとも考えてみる。
いずれにしても、科学とそうでないものとの関わり合い方についての所作法については随分と考えさせられた一年ではあった。
何より、両者の関わり合い方において思考が硬直化してしまう(例えば、科学の側がそうでないものを批判するときの昨今のネット上での定型パタンといったものには心底ウンザリさせられる)ことを自らへの戒めとして心に留めておくこととしよう。


さて、科学十大ニュースなんていうのも、あちこちで発表されている。
スパコンいちゃもん騒動や月探索衛星、新型インフルエンザといった派手目なニュースはそちらの世界にお任せすることとして、わたくしが選ぶベストワンは、今年も世界中で沢山の新種生物が発見されたこと。
なかでも、美しい蛙たちに乾杯(チアーズ)!


本日の音楽♪
「家族百景」(JAGATARA

わたくしのみたビートルズはレコードの中

音楽を語る上でいつかはビートルズを語らねばなるまいに。バンドを組みビートルズ演奏に熱を入れた十分に薫陶を受けている世代と認識をしている(いまどきの10代の子もそうだろうけれども)。

ヤフーのビートルズ特集で全213曲の人気投票結果が行われた。その結果を見ながら、わたくしのフェイバリット・ソングスとの比較を試みてみよう。

わたくしが選ぶベスト・フェイバリットの10曲は、以下のとおりである。順位はつけがたいので、まとめて10曲。カッコ内はヤフーの全国人気投票結果。

*ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス(10)
*ハロー・グッドバイ(24)
*ペニー・レイン(26)
*エリナー・リグビー(32)
*オー!・ダーリン(35)
*ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン(42)
*アイ・ウィル(43)
*アンド・ユア・バード・キャン・シング(50)
*ミスター・ムーンライト(57)
*トゥ・オブ・アス(59)

ホワイトアルバムからの選曲が多いような。初期の明るい曲も嫌いではないが。全国人気投票トップ10からは一曲だけか。
序でにネクスト10曲もノミネートしてみよう。少し有名な曲も意識的に取り上げてみる。

+レット・イット・ビー(1)
+ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード(7)
+プリーズ・プリーズ・ミー(15)
+ゴールデン・スランバー(38)
+ドライヴ・マイ・カー(51)
+デイ・トリッパー(66)
+ペイパー・バック・ライター(78)
+ドゥー・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット(118)
+ロッキー・ラクーン(144)
+ユー・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー(146)

少しバランスが取れたような気がする。
さらにネクスト20曲くらいを選出してみようかと考えたが、きりがないのでやめた。
遥か彼方の昔昔大昔に、フリ・マで「ヤー・ブルース」の店を掲げて商売を興したのはわたくしたちのグループでありました。


本日の音楽♪
「アナビス」(チューチョ・バルデス

おしゃべり階段

NHK趣味の講座ブックスの「四コマ漫画入門」はおそらく楳図マニア必携のムック本となるだろう。今を逃して二度と手には入るまい。しかし、本日の話はそれとは全く関係ないので、半魚人やへび少女が苦手な諸氏にあっては、それらの顔を頭に思い浮かべなくても宜しい。

◆サンタの衣装で登校 「権威への反抗」で停学
フィラデルフィア郊外に住む男子高校生(18)が、サンタクロースの衣装を着て登校し、停学1日の処分を受けた。
高校生は事前に、サンタ姿で学校でつえ形キャンディーを配る予定だと学長に説明。学長は「妨害になる」と否定的だったが、高校生は衣装を着て登校しすぐ取り押さえられた。
学区は「権威への反抗」と指摘。高校生は、居残りの罰で済ませられたはずだと批判した。


事前に説明をして、それでも、取り押さえられてしまうというからには、学校側と生徒側のお互いの意思疎通に致命的齟齬があったとしか思えないが、わたくしの高校生時代と比較しても文句なしに格段に立派な高校生とみた。おそらくわたくし自身と比較をするところに数字のマジックが潜んでいるのではあろうが。


そういえば、小学校時代やその前の頃、あるいはオトナになってからのことなどを何度かこの場で書いてきた記憶があるが、高校時代についてはあまり多くを触れていなかった気がするのはどうしてだろう。


誰が何と言おうが(誰も何も言わないが)、高校時代が或る意味いちばん輝いていた。勉強も部活動も自分自身の意思で加減をしながら行えることに歓びを感じた(それでも自分なりに精一杯やった)。


周囲や社会に対して息苦しさを覚えながら、ささやかな抵抗として自分なりの(そして庇護された)自由を満喫した。深夜徘徊。異性との外泊。登校時、校門を突っ切って海岸まで直行。抗議としての授業の集団サボタージュ。煙草や酒で補導をされてしまう現在の子供達が可哀相だ。
進学時の三者面談は強引に自分だけ二者面談にしてしまった。
はじめて弁当を自分で作ってデエトに出掛けたのも高校時代なら、喫茶店で6時間以上も(ヴィエナ珈琲で)粘り続け、語り合っていたのも高校時代だった。
卒業間際にパーマをかけて登校したら、担任の先生(男、というかオカマ)に「頭、やけどしたの?」と言われた。他愛ない笑い話たち。


けれども、おそらくその一個一個の想い出達が貴重な出来事であったというよりも、今ではもっと抽象的に、あの頃の時間全てに価値を見出してしまいがちになる。記憶なんてそれだけ主観的なものだから、それは仕方のないことであるけれども、わたくしは自分の子供たちにもありきたりではあるが、高校時代は何でも考え、してみて、触れてみることを勧めている。それが結局は自分自身のたいせつな宝物になるのだということを。


本日の音楽♪
「白いページの中に」(柴田まゆみ)

唇寒し評論家

議論(討論)は、民主主義下の意思決定プロセスにおける直裁的手段であると言える。
科学の世界においては、このことに加えて、科学的思考という暗黙知(了解事項)が存在し、議論の基盤を為している。
その他にもいろいろな仕掛けが施されているのであろうけれども、基本的に上記2つの柱が機能することで、科学の公正性の相当部分は確保されていくものと言えよう。
そうした設計思想に対して、現実がどれだけその思想の実現を果たしているのかといった視点で現実の事象を眺めた場合、例えば、身近な(この国の)科学を巡る議論を垣間見てみれば、現実のありようが判断できる。すなわち、科学の健全性である。
身近の議論て、どこよ?といった反応が即座に返ってきそうではあるが、いちいちそこまで提示してあげなければわからないような者への過剰サービスはこの際差し控えようか。社会へのアンテナを持っていれば、いろいろなことが想像できるじゃないか。


次に、そうした対象物にターゲットを定めた上で、具体的な健全性や公正性の測り方の手ほどきについてである。
まず、科学の側からの視点として、箸にも棒にもかからない論外のポイントとしては、エビデンスやデータの改変・捏造といったことが挙げられる。そこには、恣意的悪意が介在している。どちらかといえば、人間のルールを踏み外していると言ってもよいのかしれない。したがって、いずれにしても、論外のさらに外。
次に、改変・捏造とまでは明らかに言えないまでも、エビデンスやデータの恣意的編集。自分に都合の良い証拠だけを摘み食いするアレである。常習者の事例もよく知られているといえばいえる。
さらに、微妙なパタンとして、そうした手続きが全体的に弛緩しているもの。関係者たちは真面目にやろうとしているのかもしれないけれども、全体として手抜き、あるいは、非力感が否めない。未熟者奴といわれるパタン。通常はそういった基本動作を貫徹できるための基礎体力を大学で習熟するわけであるが、そうしたルートを経ても全うできない人間もなかには存在せざるを得ない。そういったやり取りは往々にしてあるので、一番目につきやすいパタンかもしれない。
一方、科学の世界以外との関係性も含めて考えれば、露骨に公正性を歪めるポイントとしては、政治的圧力。これも論外といえば論外なのだが、当事者はその事犯の重要性にあまり気付いていない節があったりする。政治の側から律すべき倫理規範なのかもしれない。
次に、これの傍流として、政治的圧力と露骨に認め難いものの、陰で恣意的に排除しているサイレント・プレッシャーのかたちもあり得る。役人が得意な分野。
それから、利益相反といった観点で、利害関係者の排除が不十分である場合もよくあるパタン。
要すれば、彼ら評価者が様々な意味で腐敗していないかどうか吟味をする必要がある。
その他に、全体のシステム設計をみての透明性や意見聴取範囲の広さといった点にも着目することが肝要であろう。


どうだろうか。
こうした視点に照らして実際の議論を眺めてみれば、「専門家じゃないんだから専門的な指摘が出来なくて当たり前」であるとか「意思決定自体に科学の視点は不必要」などといった暴論は、論外であることがよく分かる。誰がそんなことを言っているって?いちいちそこまで提示してあげる過剰サービスはこの際差し控えようか。推して知るべし。


本日の音楽♪
「LA-LA-LA LOVE SONG」(久保田利伸

一杯のかけそばかよ

大盛りザルそばを注文すると蕎麦自体の量にはさほどの変化もないが、海苔の量だけが3倍に増えるという摩訶不思議な一品を提供してくれるくだんの社食でわたくしが蕎麦をすすっていると、隣に座った二人連れが「ね。ここの蕎麦、結構イケるでしょ。」などと言っているのを耳にする。冗談を言ってはいけない


わたくしの在住する町に味のある店構えの老舗蕎麦屋がある。神田の藪にも似た江戸庶民情緒の店作りではある。そこで出される蕎麦は、香り、のどごし、歯触り、味のどれをとっても、これぞ日本で言うところの正調蕎麦そのものなのだ、という折り目の正しさ美しさを実感できる蕎麦である。そうした本物の蕎麦に比較して、社食のイケる口だという蕎麦は、萊萊(*)のヤキソバとペ●ングソースヤキソバの違いほどの差があるというものだ。だから、冗談を言ってはいけないのである。寧ろ道を隔てた向かいのビルの社食の蕎麦のほうが余程蕎麦に近い。


わたくしの住む町のその老舗蕎麦屋で、先日のとある晩げに、家人とカニミソを肴にして冷や酒を一献傾けあっていた。せいろが食卓に差し出された際に、わたくしたちの子供が幼稚園の頃、親子でこの店に時々足を運んでいたことを二人で思い出していた。母はカレー南蛮を注文し、子供は大せいろを注文する。幼稚園児だというのに、大せいろ一枚では足りずに、母のカレー南蛮を分けてもらってようやく腹くちくなる。そうした母子の姿を思い出して、懐かしく思った。今、連れてきては大の3枚でも済まぬだろうから、家計保護のため、遠慮いただくこととしている。


(*)わたくしの通った高校の近くにあった中華料理屋。特に、ヤキソバが絶品であった、というわけではないが。


本日の音楽♪
酒とバラの日々」(ジョー・パス

遙か遠い国で

あまり話題に上がらなかったが(日本では尚のこと)、ある一人の政治家(そして科学者)の死を伝える海外電記事である。

◆マント・シャバララ・ンシマング博士が死去(69歳)。南アフリカの前厚生大臣で、HIVエイズを引き起こす原因であることを否定した。
彼女は医者がエイズ治療に抗レトロウイルス薬を使うのは良くないことだと考え、そのことによって国内で30万人以上の不必要な死亡の原因を齎した。

 マント博士は南アフリカの前厚生大臣エイズ否定論を唱え、エイズの大流行により国内で30万人以上の不必要な死亡の原因を齎したが、2007年に彼女自身肝移植を行い、その後経過が思わしくなく、今週水曜日にヨハネスバーグの病院で死亡した。69歳だった。報道によれば、彼女の献体は生体移植用に供されることが示唆されている。
 彼女の親友や特別の擁護者であるターボ・ムベキ前大統領のように、マント博士はHIVエイズを引き起こすとは考えず、病気を治療するために抗レトロウイルス薬を使うのは好ましくないと考えていた。その代わりに、患者に果物、野菜、ハーブの混合物を与えるよう推奨し、そうしたことから彼女は「ビート博士」とか「ニンニク博士」と国際的に嘲笑される栄誉を勝ち取っていた。
 前アフリカ・エイズ国連使節のステファン・ルイス博士は、2006年のカナダのバンクーバーでの演説において、そうした彼女たちの方針が「問題のある州よりも少数の過激派だけに利益を齎す発言だ」として、ムベキとマント博士のエイズ方針を鋭く批判した。トリートメント・アクション・キャンペーンは、彼女を「殺人者」と呼び、国内人口5千万人のうち570万人のHIV陽性の人々に処方提供することを彼女が拒絶することに反対する法廷闘争を立ち上げた。
 政府が幼児へのウイルス伝搬を防ぐために抗レトロウイルス薬を妊婦に提供することを強制したこの訴訟事件で、活動家達は2002年に大きな勝利を得た。2003年のもう一つの決定は、政府に最先端のエイズ治療薬を人々に提供することを強制するものであった。
 彼女の批判者も、彼女が農村地帯で公衆医療を改善し、薬価改善を含む明確な功績があったことを認めるものではあった。彼女はまた、新しく訓練された医者と看護婦の海外渡航を停止させようとするとともに、世界的な反タバコ条約の作成においてキーマンとなる役割を演じた。
 マントバザーノ・”マント”・エドミイ・シャバララは、1940年10月9日にダーバン近郊のエムフュームという村で生まれた。1962年にフォートヘアで学士号を修得後、白人の少数党内閣に反対する活動団体のリーダーに選び出されたために、亡命を強いられた28人の学生のうちの1人になった。その亡命の期間中に、彼女はムベキとの生涯の契約を交わしたとされる。ムベキは、度重なる要請にもかかわらず、一貫して追放された彼女の支援を行った。
 彼女は1969年に第一レニングラード医療学校を卒業後、1980年にベルギーのアントワープ大学から公衆衛生で修士号を取得し、アパルトヘイトの崩壊後、1990年に南アフリカに戻る前に、ボツワナタンザニアの病院で働いていた。
 彼女は1994年に議会に初当選し、1996年に法務大臣、1999年に厚生大臣にそれぞれ任命された。
 ムベキは、2008年9月にアフリカ民族会議によって強制的に退任させられた。彼の後継者であるクガレマ・モトランセがまもなく就任した際に、彼はマント博士を大統領府の大臣へとポストを動かした。本年、ジェイコブズマが大統領に選ばれた際には、彼は彼女を内閣の一員には加えなかった。今月始めに、彼はHIV薬が国内でより広く利用できるようにすると言明した。
 彼女はアフリカ民族会議の元会計係であるメンディ・ンシマングと結婚し、2人の娘がいた。


理系、文系の分け方が好ましいとは到底思わないが、仮に科学者の経験がある政治家がいたとして、その人の強味は何かといえば、科学的思考ができることだろうと誰でも思うに違いない。
そして、それは、一定のルールに則って真理を追求するその真摯な態度にあるのであり、かつ、唯一の仮説だけに拘らない(懐疑を棄てない)その柔軟な修正主義にあるのだろうと思う。
そういう意味において、マニフェストの履行だけに拘泥しない姿勢は修正主義の賜のようでもあり、国民に対する説明の中で、論理的挙証が省略されている状況は科学者らしからぬ姿勢と言えるものかもしれない(言わずもがなかもしれないが、この国の話である)。
前評判とは異なり、科学者らしいカラーが十分に滲み出ているチームではないということだけは確からしい。


本日の音楽♪
さくらそう(雪どけ水は冷たくて)」(NSP)