おしゃべり階段

NHK趣味の講座ブックスの「四コマ漫画入門」はおそらく楳図マニア必携のムック本となるだろう。今を逃して二度と手には入るまい。しかし、本日の話はそれとは全く関係ないので、半魚人やへび少女が苦手な諸氏にあっては、それらの顔を頭に思い浮かべなくても宜しい。

◆サンタの衣装で登校 「権威への反抗」で停学
フィラデルフィア郊外に住む男子高校生(18)が、サンタクロースの衣装を着て登校し、停学1日の処分を受けた。
高校生は事前に、サンタ姿で学校でつえ形キャンディーを配る予定だと学長に説明。学長は「妨害になる」と否定的だったが、高校生は衣装を着て登校しすぐ取り押さえられた。
学区は「権威への反抗」と指摘。高校生は、居残りの罰で済ませられたはずだと批判した。


事前に説明をして、それでも、取り押さえられてしまうというからには、学校側と生徒側のお互いの意思疎通に致命的齟齬があったとしか思えないが、わたくしの高校生時代と比較しても文句なしに格段に立派な高校生とみた。おそらくわたくし自身と比較をするところに数字のマジックが潜んでいるのではあろうが。


そういえば、小学校時代やその前の頃、あるいはオトナになってからのことなどを何度かこの場で書いてきた記憶があるが、高校時代についてはあまり多くを触れていなかった気がするのはどうしてだろう。


誰が何と言おうが(誰も何も言わないが)、高校時代が或る意味いちばん輝いていた。勉強も部活動も自分自身の意思で加減をしながら行えることに歓びを感じた(それでも自分なりに精一杯やった)。


周囲や社会に対して息苦しさを覚えながら、ささやかな抵抗として自分なりの(そして庇護された)自由を満喫した。深夜徘徊。異性との外泊。登校時、校門を突っ切って海岸まで直行。抗議としての授業の集団サボタージュ。煙草や酒で補導をされてしまう現在の子供達が可哀相だ。
進学時の三者面談は強引に自分だけ二者面談にしてしまった。
はじめて弁当を自分で作ってデエトに出掛けたのも高校時代なら、喫茶店で6時間以上も(ヴィエナ珈琲で)粘り続け、語り合っていたのも高校時代だった。
卒業間際にパーマをかけて登校したら、担任の先生(男、というかオカマ)に「頭、やけどしたの?」と言われた。他愛ない笑い話たち。


けれども、おそらくその一個一個の想い出達が貴重な出来事であったというよりも、今ではもっと抽象的に、あの頃の時間全てに価値を見出してしまいがちになる。記憶なんてそれだけ主観的なものだから、それは仕方のないことであるけれども、わたくしは自分の子供たちにもありきたりではあるが、高校時代は何でも考え、してみて、触れてみることを勧めている。それが結局は自分自身のたいせつな宝物になるのだということを。


本日の音楽♪
「白いページの中に」(柴田まゆみ)