一杯のかけそばかよ

大盛りザルそばを注文すると蕎麦自体の量にはさほどの変化もないが、海苔の量だけが3倍に増えるという摩訶不思議な一品を提供してくれるくだんの社食でわたくしが蕎麦をすすっていると、隣に座った二人連れが「ね。ここの蕎麦、結構イケるでしょ。」などと言っているのを耳にする。冗談を言ってはいけない


わたくしの在住する町に味のある店構えの老舗蕎麦屋がある。神田の藪にも似た江戸庶民情緒の店作りではある。そこで出される蕎麦は、香り、のどごし、歯触り、味のどれをとっても、これぞ日本で言うところの正調蕎麦そのものなのだ、という折り目の正しさ美しさを実感できる蕎麦である。そうした本物の蕎麦に比較して、社食のイケる口だという蕎麦は、萊萊(*)のヤキソバとペ●ングソースヤキソバの違いほどの差があるというものだ。だから、冗談を言ってはいけないのである。寧ろ道を隔てた向かいのビルの社食の蕎麦のほうが余程蕎麦に近い。


わたくしの住む町のその老舗蕎麦屋で、先日のとある晩げに、家人とカニミソを肴にして冷や酒を一献傾けあっていた。せいろが食卓に差し出された際に、わたくしたちの子供が幼稚園の頃、親子でこの店に時々足を運んでいたことを二人で思い出していた。母はカレー南蛮を注文し、子供は大せいろを注文する。幼稚園児だというのに、大せいろ一枚では足りずに、母のカレー南蛮を分けてもらってようやく腹くちくなる。そうした母子の姿を思い出して、懐かしく思った。今、連れてきては大の3枚でも済まぬだろうから、家計保護のため、遠慮いただくこととしている。


(*)わたくしの通った高校の近くにあった中華料理屋。特に、ヤキソバが絶品であった、というわけではないが。


本日の音楽♪
酒とバラの日々」(ジョー・パス