Fallacy of Composition

と或るデパートのエスカレータにて。
わたくしの目の前に母子らしき二人連れが立っている。
母親が小学校低学年ほどの少年に、「よその人の歩く邪魔になるから、端に寄って立つのよ。」と促す。
それに対して少年は、上方を指差して、「だけど、『子供は真ん中に立ちなさい』って言っているよ。」と反論する。
確かに館内放送で「エスカレータにお乗りのお子様はステップの真ん中に立って、両側の手すりをしっかり握りましょうね。」とお姉さんの優しい声が奏でられている。
なかなか利発そうな少年ではある。

※ わたくしは、背後から静かに少年に語りかける。
「これは、詰まるところ、『合成の誤謬』ということであるね。」
少年は驚き、振り返って尋ねる。
「ごうせいのごびゅう?それって何かのことわざ?」
諺とは言い得て妙なり。さもありなん。と内心頷きつつ、わたくしは少年に説明をする。
「デパートのお姉さんは、真ん中に立ちなさいと言う。しかし、道を急ぎたいほかの通行人の都合を考えれば、御母様の仰る片側に寄りなさいという通論が罷り通る。実際に世の中を見ても、エスカレータでは片側だけに立つというのがほぼ慣例化しているというのが実態ではあるのだね。」
「じゃあ、お店のお姉さんの言うことが間違っているの?」
合成の誤謬とは、『個々人としては合理的な行動であっても、多くの人がその行動をとることによって、社会全体にとって不都合な結果が生じてくること』と解されている。安全面を考えれば、何かに巻き込まれたり挟まれたりする危険性の少ない真ん中に立つことが合理的である。であるから、エスカレータの監督者であるデパートの人は、真ん中に立つことを指導するのであるね。また、経済面から考えても、皆が端に立つことによって、エスカレータの部品器具の摩耗度が著しく片側に偏り、償却期間に大きな差が付く。故障の原因にもなりやすい。したがって、デパート側の立場に立ってみれば、ステップの真ん中に立つというのは、安全面、経済面の両面からみて、正論以外の何物でもないということになるということであるね。」
「じゃあ、僕は真ん中に立っていてもいいの?」
そこに、母親が口を挟む。
合成の誤謬は、仰るようにミクロの視点での利益がマクロの視点では必ずしも利益に結び付かず、不利益を生じることがあるという意味です。しかし、御説明に従えば、ミクロの視点でも、必ずしも利があるということではございませんわね。よって、それは適切な喩えとは申せませんわ。無理矢理に経済用語を当て嵌めて、うちの子に間違った知識を植え付けないで下さいませんこと。」
母上殿は経済学に些か通暁しておられるようである。

「…。」
わたくしは、顔を少しばかり赧らめ、「それでは、ちょっと失敬。」と、ステップの真ん中に逡巡して立つ少年をやや強引に押し退けて、急ぎ足でエスカレータを駆け上がっていく。

※以下は当然のことながらフィクションである。


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