老馬途ヲ識ル

過日深夜にBS放送が「ハリーとトント」をこつそりと放送していた。
後日わたくしはその放映があつた事実を知つた訳であつて、これを愉しむ機会を見事に逸した次第であるが、全くNHKも油断がならないところだ。
このような後世に遺すべき佳品をさり気なく放映してしまう。全くもつて油断がならないと歯噛みをするしかない。

 「ハリーとトント」は、敢えてジヤンル分けをすれば、ロード・ムービーと言われる範疇に分類され、老人が自らの子供達の町を転々と訪ね歩くというシテユエイシヨン的設定において、時として、小津安二郎監督の「東京物語」と対比させられたりすることもあるようであるが、そういつた比較が適切かどうかは別にして、老人の「旅」とその地での様々な人々との触れ合いを通じて、家族(親子)、恋人、友人、老人と若者、異民族等等といつた様々な人間関係を渋く淡く切なく描いた作品である。

この作品には、『滋味溢れる』という表現がぴつたりと当て嵌る。
劇的で派手なストーリイ展開、あるいは、奇をてらうカメラアングルや判で押したような喜怒哀楽の役者の演技パターンなど全く不要なのである。
ウイツトと知性に溢れる会話の連続で十分にシナリオは成立する。
日本の脚本家に演出家にそういつた技倆は果たしてあるのか。
斯界に蔓延るハイパーなクリエイター諸氏の返答は如何に(というか、きつと、彼らはこうした作品には全く興味がないのだ、と思う)。

「ハリーとトント」のような作品を好む映画フアンが日本でもコアに存在することは或る程度予想出来るのであるが、マスとしてのメデイアが好んで取り上げる素材ではないのだから、こうした作品が派手に世間を席捲するということは、こんにちの日本では恐らくあり得ない。
と言おうか、現在の日本人全体の心情に対してさえ、強い共鳴感といつたものを呼ばないのではないかとわたくしは(現在の日本人に対して)幾分悲観的厭世的に捉えているのである。

米国ではこうした作品に対して米国最高峰の知名度のプライズであるところの主演男優賞が与えられる。これは米国の良心でもある。
映画評論家諸氏も「感涙必至」とか「本年度のベスト1作品」とか陳腐な台詞ばかり断片的に絶叫するばかりしないで、きちんと正攻法で手を抜かずに真当な論評活動をして欲しいものである。

とは言え、しかしながら、あくまでもわたくしと作品との関係を第一義として考えるべきものであろう。
そうした意味では、こうした世間の過小評価に掻痒とするよりも、十分にわたくしの中で確乎とした地位が築き上げられてさえいれば、わたくし自身としてはそれで十二分に満足でもある。
それにつけても、率先して取り上げたい素材ではないだろうにも関わらず、マスとしてのメデイアであるところのNHKがヒヨイとこういう作品を紹介するのだから、全くもつて油断がならないのである。

本日の音楽♪
「RAIN」(ユーヒーズ)