ガダラの猪

地方では良くありそうな出来事を捉えた、こういったローカル記事があった。

■「切ると高熱死」伝承に配慮…神木残して歩道整備
2009年2月13日(金)11:36
 「切ると高熱が出る」という言い伝えがあることに配慮して、県は整備中の歩道予定地にある×市×町の×神社の御神木2本を伐採・移植せずに道をずらすことにした。地元で語り継がれる伝説をもとに「残してほしい」という住民の要望を受けた措置で、歩道は地元の協力を得て無償で借りる神社用地を使い、2月末までに整備する。

 神木はクロガネモチとアラカシで、いずれも高さ約七メートル、幹回りは約二・六メートル。市教委などによると、約二百年前には植栽されていた可能性があるという。

 伝説は、御神木はかつて枝を勝手に切った人が高熱を出して亡くなったという内容で、市教委が一九九六年にまとめた報告書にも記載されている。道路の見通しが悪いため過去にも何度か伐採の話が持ち上がったが、工事業者も切りたがらず、神社の敷地にあった木の大半が伐採されてしまった中で、二本は生き残ってきたらしい。

 工事は、近隣の×市民病院の通院者らに配慮して、現在ある歩道を一・五メートルから原則二・五メートルに拡幅し、段差を解消するのが目的。同病院近くの交差点から神木がある×神社近くの交差点までの約四百三十メートルが対象で、一月中旬から神社前の工事を始めた。県社土木事務所は「御神木の保護のため、一部ずれることに利用者の理解をお願いしたい」としている。


御神木の存在に配慮して工事の計画変更を行ったという、土木工事の際に良くありそうなごく当たり前の出来事を綴った記事である。
しかし、一読すれば明らかなとおり、記事を認(:したた)めた人間の意図は、「御神木の祟りを恐れて、工事計画変更を行った」との文意の底が見え見えである。

土木事務所は「御神木保護のため」計画変更やむなしの意思を表明しており、祟られるからとは言ってない。これはこれで理がある。
「地元が大事と看做す樹木を護る」という目的自体、真に正論に値するものであり、それ以上の論評を要しない。

しかしながら、記事を拵えた関係者(記者及びデスク)は、「切ると高熱死伝承に配慮」とのセンセーショナルな表題を先ず敢えて冠した上で、「工事業者も切りたがらず」「枝を勝手に切った人が高熱でなくなったことが…市教委の報告書でも記載」とことさらに尾鰭を付加していく形で、祟り伝承の存在を強調する。

「御神木保護」を「祟り回避」と意図的に曲解して報じるその背景に、ライター諸氏の稚気とは別の悪意が存在するのではないかとわたくしは邪念するのである。
さて、果たして祟りは存在するのか否か、もしかしたら本当に…といった興味本位的発想を持ってしまっては、この際、ライター諸氏の思う壺である。
そんなことは全く持ってどうでもよろしくて、祟りの有無の事実確認にその関心の矛先を持っていってはいけない。
それは、所詮、信じるか信じないかの水掛け論に終始するのがオチであり、時間の浪費である。
わたくしが考えるところの悪意は別のところにある。
下らぬ議論に感(:かま)けて、大事な視点を置き去りにしていることこそが問題なのである。


地元にとって大事な樹木である御神木を何故守ろうとするのか。
その際に、このライター諸氏は「祟りがあるから」という捉え方を意図的にしている。なにゆえか。
それは、御神木を守る理由が「祟り」以外に当人の頭の中になかったからである。

取材の裏取りがあったのかどうかは不明であるが、地域の象徴としての意義、あるいは、歴史・文化を保護する意味、場合によっては、自然景観の保護であってもいい。そういった公けの財産(つまるところ公共財)を保護するためには関係者公知となる明確な理由(大義名分)が存在しなければならぬのであるが、この記事の中ではそうした公共的視点といったものは一切欠いている。

さらに、祟りとは書いてみたものの、ライター諸氏の頭の中で、祟りを恐れて御神木を怖々見守る地元住民の人々というシチュエーションを想像してみる力は、おそらくない。
地元住民の立場にたって、そのことに思いを致せば、このようなネガティブで誤解を招きやすいはた迷惑な書き方は、きっと出来ない筈である。

ライター諸氏がこうした公共の観点や当事者の立場を慮るといった想像力を意識的に回避して書いているのであれば、それは明確な悪意そのものであろうし、また、仮に公器媒体を自称する関係者にあってそうした自覚がそもそもなかったとすれば、それは宿痾的悲劇であろう。
祟りばかりに拘る揚げ足取り志向では、およそ功徳心といったものも欠如しているのかもしれぬ。


[追記]
公共財で思い出したが、全く別方面の畑でこんな記事も読んだ(日経サイエンス)。
http://www.nikkei-science.com/topics/bn0903_1.html#1


基礎科学の分野であってさえも”コモンズ”の意識が乖離してきているのだろうか。
パパラッチか。何とはなしに暗い心持ちになる。


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ロミオとジュリエットのように」(ミッシェル・ポルナレフ