おもたせ

東京土産に、毎回、「雷おこし」を買い求めるのは、その心持ちがたいへんきっぱりとしていて潔いと思う。
確かに、エキナカの小洒落た店で和洋折衷の創作菓子を買うことも、「あら珍しい」と好評受けするには違いないのかもしれないが、洒落ている以外に東京らしさといった味がない。
また、実は、この小洒落気(コジャレケ)というものは、日本全国の主要都市に蔓延しているような気もする。

それに対して、このおこし氏の生姜糖は、これ以上でもこれ以下でもないということをきっぱりと自己主張をしている、というわけ。
…とは言うものの、旅の土産に何を買おうが御本人の自由の儘である。喜んで食べて戴きたいという心遣いが有りさえすれば、それはそれで十分である。

東京という町の創作和菓子の水準の高さには目を瞠るものがあり、それについては、後日、別の機会に紹介をすることとして、大手百貨店で買うことが出来るような大店の御菓子ではなく、昔ながらに営んでいる個人商店規模の菓子舗というのも土産物としては、味が高い。

わたくしがいま住む町に、そういった小さな菓子司があり、何年も住んでいるというのに、先日初めてそこを訪れた。
旧街道沿いに立地するその店は、昭和初期から中期の頃を思わせる店構えで、ひっそり佇んでおり、多くのひとは気付かずに通り過ぎてしまう。
傾いだ硝子戸を開けると、店先に申し訳程度の数の和菓子が並んでいるが、ショウケースの上には、皇族の方もこれを召し上がったとの紹介写真が飾ってある。
たいへん由緒正しい店なのである。

そこで買い求めた上生と豆大福がたいへん品がよく、そして、おいしう茣蓙いました。
和菓子は何はとまれ餡が基本であるので、餡ものをいただけば、その店の味というものを、そして上生を鑑賞することによって、手先の技量と何よりセンスの良さというものを、だいたいにして推し測ることが出来るのではないだろうか。
甚だ失礼ながら、大繁盛しているという店構えではなかったが、こういう優れた技倆の和菓子を廃れさせていくというのでは、惜しい。

同じ町中に別の和菓子舗があり、こちらは、着飾らない庶民的な味というものを売りとしており、それはそれで気に入っているのであるが、今年の正月用に花びら餅をその菓子舗で買い求めた際に、甘味の濃い煮牛蒡と白味噌餡で、相当おおぶりな花びら餅に対して、「これは正月に食べるあの花びら餅とは、違うのではないか」との疑念の声が上がり、やや不評であった。
和菓子には、時として、《格(風格、品格)》や《しきたり》といったものも必要であることを痛感した次第である。


[写真は、全く別の菓子舗の上生]


本日の音楽♪
「アランフェス協奏曲」(村治佳織