セビリア以北の理髪師

はじめて激安ファスト理髪店を見かけたのは、JR上野駅の構内だった。
爆安価格もさることながら、水回りを一切使わず、掃除機のホースのようなものでカットした髪の毛をぼうぼうと吸い込んでいるありようにとても驚いた。
窓の外から店内を覗き込みながら(それだけで怪しい…)、しかし、捻くれ者のわたくしは、別のことを考えてしまう。
「理髪師は、相当つまらないだろうな。」
モダンタイムスの自動マシンじゃないのだから、もっと、あれこれ自分の職人技を楽しみたいんじゃないかと、そちらのほうに関心がいってしまった。

さて、わたくしの通っている美容院では、先般、顔剃りというものをやめてしまった。
ラーメン屋さん以上に熾烈な過当競争下にある美容院群の中にあって、そんなにサービスを落として、大丈夫か。
帰り際のお茶や飴っこのサービスだけじゃ、顧客満足度は決して満たされないと思うぞ。
顔剃りをやめてしまった理由として、地元理容組合からの圧力や専門スタッフの枯渇、感染症予防といったものをあれこれ考えてみたのだが、実態は不明である。
店の人に聞いてみればよいだけの話だが、シャイなわたくしには、それができない。

顔剃りというのは結構癖になるもので、全身の毛を隈無く丸裸にされるような羞恥と快感を伴う。
技術に優れた理髪師ほど顔に力を押しつけて、顔も裂けよと、ぐいぐい剃る。それにあわせて、胸の鼓動が高まる。4枚刃もSM女王様も形無しである。
何十年か前の理髪師は、皆それなりの腕に長けた職人さんたちであった。

理髪店と美容院は、規制緩和によって、お互いのマーケットがどんどこ融合し、両者の境目は訳が分からないようになってしまった。
で、顔剃りはどっちの領分なのだ、ということになると、それもどっちがどっちだか分からなくなっている。
お互いが共存しあい、最低限の両者の差をはっきりさせるために、例えば、顔剃りの有無で色分けをする。
一方で、どちらでも同じサービスを受ける機会を享受できることが規制緩和なのだという要請がある。
そもそも、いったいぜんたい顔剃りというものは、経済的規制(経済活動の自由度の確保)なのか、社会的規制(安全安心の確保)の対象なのか。

将来は、顔剃り専門の激安ファスト専門店というのも登場してくるのかもしれない。
ますます理髪師は、北へ北へと追いやられるばかりとなる。

本日の音楽♪
「Oh!クラウディア」(サザンオールスターズ