不噴不啓

正しくは、「不憤不啓」である。出典は論語。試験に出やすいところなので、受験者諸兄はその意味も含めて要チェックされたし。


本日は、火山噴火の話である。「不憤」とは関係ない。然も、またもや時事ネタである。
週開け早々、浅間山桜島と立て続けに火山が噴火をし、紙面を賑わせている。
現時点でこの噴火によって何某か甚大な人的被害に及んでいないのであれば、「火山国日本の面目躍如である」と評しても不謹慎と叱られることは些かあるまい。杞憂の士よ、日本沈没の心配にも及ばない。ましてや、如何様占い師の予言などに誑かされて、かれらへの浄財を積み増したりしては厳にいけない。


話題になっている活動火山についての思い出話である。


第一に、その一方の山には、登山を完遂した経験がある。
その山は、実は、丁度阿蘇山のスケールを小さくしたような内輪山と外輪山から構成されている。
外輪山は森のハイキング気分でどうということはない。
外輪山を駆け下りたその先から、ハードボイルドな行程となる。
内輪山と外輪山の間に横たわるドーナツ型の窪地は、数百メートルの幅を有しており、ほぼ瓦礫と溶岩流で構成された平原である。
大小の瓦礫の他には、時折、灌木(ブッシュ)が生えているだけの殺伐とした風景であり、空から降ってきたであろう大きな噴火岩による陥没跡と思われるすり鉢状のクレーターがあちらこちらに無数に穴をあけている。
生憎行ったことはないのであるが、月面を歩いているような、非日常的風景を味わうことができる。その山(外輪山)の裾野には、誰もが立ち寄る有名な観光スポットがあるのだが、あれの比ではない。
美しいコニーデの内輪山の道なき瓦礫をほうほうと幾時間駆け上がると、山頂の不気味な火口部に達する。

遙か昔いっとき、火口に身を投じるといった不穏当な風潮が世間の間で流行ったことがあったわけであるが、その山の火口はといえば、ぽっかりと不気味にその巨大な口を開けている。
例えば阿蘇山のような火口部であれば、身を投じたその途中でテラス部分にからだが引っ掛かってしまって、結局のところ、全身打撲か複数骨折で終わってしまいそうな予感もあるのであるが、この山の口は、そういった気配が一切なく、奈落のマグマ部まで一気にひとたまりなく引きずり込まれてしまいそうな容赦のなさと恐怖感がそこにはある。

火口部で地面に耳を当てるとごごごごという地鳴りの音がする。そして、時々その音が大きくなり、わずかに地面が揺れたような気がする。悠長に山下を見渡し、食餌補給している気分にもなれない。
こんにちのような積極的噴火活動をしていない時期であったとはいえ、辺りに誰も居ない瓦礫だけの風景と地鳴り音の中で、ぽつねんと立ち尽くし、相当の恐怖感と非日常感を味わうことは必定である。
この山。ここ最近は一切立ち入り厳禁であろうと類推する。さもありなん。


もう一方の山については、何年ぶりかの大噴火のあった時に、わたくしは車の運転をしていて、偶然、近隣の町を通りかかっていた。
噴煙の雲(ほとんど噴火流に近い状態)が風にながされ、もうもうとその町に覆い被さった時に、他県からお出掛けをしてきていたわたくしの車が丁度その中に突入をした。

それまでは、夏の快晴であったお天気が、噴煙の中は、何と一転、豪雨と雷であった。
豪雨と降灰の闇に瞬時に引きずり込まれ、視界は途端に数メートル、数センチメートルにまで狭まった。激しく轟く雷鳴。
呑気なドライブ気分から、こちらも奈落の底へとジェットコースター真っ逆様である。
ヘッドライトなどハイビームにしたところでまるで効果がない。ワイパーを作動させれば、フロントグラスが灰でべっとりコーティングされるだけで、余計始末が悪くなる有様。
前後の見境はつかない。道路の上を走っている確証など何も持てない。

文字通りいのち辛々、隣町まで車を走らせ、噴煙の外に脱出した時、わたくしの愛車は、降灰と降雨によって、ばきばきに分厚くコーティングされた火山岩粘土カーと化していた。
しかも、それは水をちょっとかけただけでは落ちることのない完全無敵のコーティング状態であった。
洗車のため駆け込んだGSの小父さんも、あまりのわたくしの愛車の全身にわたる火山灰の重装備ぶりに半ば感動しておられた。

当時のわたくしの愛車がもしもであるが、アルファロメオジャガーなんかであったならば、わたくしは、恐らくショックのあまり七年寝た切りの患いか、さもなくば、車もろともゴーゴンの魔力で石化し固まってしまっていたに違いないであろうと思われる。
恐るべし、火山よ。


火山の話でもう一つ古い想い出話を思い出した。

子供の時分に、当時は死火山と思われていた県内の山が、突然小噴火をした。
周辺地域は、結構大騒ぎとなり(些か短い期間のささやかな規模の噴火であり、降灰被害といったものは皆無であったと思う)、連日、大勢の見物人が噴火を観察できる県境の峠まで遙々車で繰り出していた。

御多分に漏れず、わたくしの家族もその見物に出掛け、思いの外、小さな火柱が夜の闇の遠くで時々微かに赤らぐのを見て、「何だこんなものか」とがっかりした心持ちで眺めていたという記憶がある。

町から県境の展望地まで到達する道は、車の大渋滞が起き、それが大騒ぎの源泉であった。
わたくしの父親が運転する車は、当時、日頃から故障がちで、当日の出発まで両親が行くか行くまいか相談をしていたように記憶している。
出発は夕方前で、夜景のほうが火柱が見えやすいということで、狭い峠道は夜だというのに車が数珠繋ぎ状態で、そのライトが提灯行列の帯のように峠道を連ねていた。

アクシデントは、その見物を済まし、帰ろうとした矢先に起きた。
車がエンストしたのだ。
それでなくとも、大渋滞している峠道は、我が家の車の故障で大パニックに陥った。
小さい頃の記憶でその後の詳細は良く覚えていないのであるが、誰か親切な人に車を修理して貰い、真夜になって、漸く我が家に帰還したのだと思う。
子供ながらにわたくしも、襤褸雑巾のような心境であった。

娯楽が少ない昔であれば尚更のこと、こうした自然現象も物見遊山にかえて、市民は殺到したのである。
今は遠い昔の話である。


本日の音楽♪
「惑星タイマー」(福耳)