WhoAmI?(キーワードは、「嘘」「幻」「休」それと)

誰でも一度は試してみていると思うのだが、わたくしの日常使用氏名を入力しググッて検索をかけてみたところ、全部で正味**件のヒットがあった。これは多いのか少ないのか(BLOG名での結果は2千件余)。**件のうちの1件は、名前占いであった。ではあるが、同姓同名者はどうやら全国皆無らしい。それが凄いか。


全くのあそびの部類に入る名前占いの中で、ひところ流行った「脳内メーカー」というものが今現在どうなっているのだろうか、と続けて検索をしてみたところ、未だ存在していた。ネットだもの、当たり前か。これまで6億件のアクセスだそうな(日本人は結構暇なのかもしれない)。わたくし自身は、誰がどのようなプログラムを仕組んでいるのか(漢字の出自は出鱈目だという注釈はされているが)、そのカラクリの方に興味が注がれる。しかし、実体は不明のままである。


昔、このあそびを知って、知っている名前をあれこれ入力して暇を潰していたときに、家人の祖母の名前を試みに入力してみたところ、出てきた結果は、脳内全てが「愛」のみであった。これには、たいそう驚いた。試しに「直江兼続」と入力をしても、「愛」一色にはならず、「嘘」とか「食」とか「秘」といったネガティブな漢字が出てくる。つまり、天地人を凌ぐ名前というわけだ。THAT'S FINE.


わたくしの世代は、今の時代とは異なり、「オンリーワン」を競うような風潮はなかったために、奇抜な名前の子供は少なかった。というか、そのような耳目をひく名前の子供は、周囲からからかわれる標的にされた。そういう意味で、今のこどもたちは「夜露死苦」上等世代であるので、何でもアリだ。或る意味、羨ましい。


であるからして、子供時分に自分の名前の由来を親に聞いてみた時も、だいたいにおいて「ふうん、そんなものか」てなもので、特段の思い入れといったものを抱くことはなかった。今の「夜露死苦」上等な子供たちはどうなのだろう。それはそれで、皆或る意味奇抜だから、森に隠れる木のように、特別な気持ちは抱かないのだろうか。


などということも考えながら、我が子の名前をあれこれ考えたことを思い出す。つまるところは親の自己満足に過ぎぬのかもしれぬが、その考察の所産は、「夜露死苦」世代の中でもまるで見劣りしないものと相当に気に入っている。脳内メーカーの出力では「直江兼続」以上に散々な漢字しか出てこなかったが(ちなみに、「夜露死苦」入力の結果は、圧倒的な数の「悩」とそれから「金」「悪」「友」「欲」が1ケづつ…)。


ところで、逆に、脳内メーカーで導き出された漢字とその分布パターンから、その人の名前を逆算し特定することは可能なのだろうか。結局のところ、プログラムの仕組みが分からなければしょうがないが、入力と出力が全て一対一対応であったとした場合、結構、類推は可能なのかもしれぬ。まあ、どうでもよい話ではあるが。


ちなみに、わたくしの戸籍上のフルネームを入力した脳内メーカーの結果はと言えば、「嘘」「幻」「休」の簾状分布であった。わたくしの本質を突くという意味で、相当いいセンを押さえていると我ながら感心したことであるよ。これに「蛙」が加われば、完璧。


本日の音楽♪
「恋人よ我に帰れ」(ダイナ・ショア)