高熱から醒めると、斜めに斜めにと考える思考回路は相変わらず元の儘であったわたくし

インフルエンザ擬(:もど)きのような高熱でいっとき床に伏せていた人間が口にするのも正直「何」ではあるのだが、今回の新型インフルエンザを巡る世間様の騒動(というか騒(:ざわ)めき)に対しては、現時点でわたくしは自分自身の中で2つの考察を纏めている。


第一に、今回の新型インフルエンザのリスクの大きさ(発症部位の広がりという意味での毒性並びに生物間の感染力)というものが、従来タイプのそれとさほど大きな違いはなさそうであるということが明らかになりつつあるとの事実認識によって、自らの中では、従来の経験値の範囲内での行動で十分対応可能であるという学習効果を当然の事ながら想起させている。


換言すれば、従来タイプの秋冬季におけるインフルエンザ流行の際に、自分自身がどのような生活行動様式を取っていたのかということを喚起させるわけである。その時にあっても当局側からのうがい、手洗い、マスクの励行といった呼びかけは当然にあったわけであって、そういう中で各自が各々判断をして予防行動を取っていた。
その時と基本的には同じことなのであるとわたくしは現状分析をしている。したがって、殊更特別な行動は何も必要ない。
例えば、一部地域でマスクが売り切れたりすることは、やはり受け止め側のある種の脆弱性に起因したものに過ぎないのだろう。


第二に、そういった過去の経験値の範疇にある出来事に対して、今回どれほど世間様が騒ぎ立てているのかという点において、一方の主犯であるマスメディアに対する批判は容易であるが、それもまたいつものことと思えば、腐った蜜柑を今更論(:あげつら)っていても凡そ生産性のない話であるので、もっと積極的に前向きに今回の出来事を捉えたい。


つまり、これだけ真面目にこまめに日々の発症を追跡できるという意味において、日本では、世界に例のない優れたインフルエンザに関する大規模疫学的調査が可能であるという好条件を有しているということについてである。その筋の専門家の皆様には十分なデータが提供されるであろう折、分析解析の成果還元という点を是非にとも期待したいところである。


なお、今秋冬季には、より強力な第二波が押し寄せてくることを喧伝する向きもある。そういった可能性のあることを否定はしないが、それを恐れて「どうしよう」と心配をし、騒ぎ立て、タミフル備蓄に努めることを予防原則に則った行動とは言わないことを念のため付言しておこう。世界の何処かで起こり得る強毒化への転換を防ぐ術はほとんどない。

また、強毒化のパンデミックが起きた際に、今回の騒動が過去の教訓として活かされるほどわたくしはこの世間様を高く評価していないし、虫の良い考えは持ってはいない。その時はその時で大騒ぎになろう。
但し、心配をするなとは言わないが、心配だけをしていてもおよそ詮無い対応なのであるからして、やはりそんな空の落ちて来るような心配など心の引き出しに静かにしまい込むのが分別のある行動というものである。
要すれば、「分別」だけは将来の有事に備えて持っておいて損はないものだろう。


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「PANSY」(麗美