オバマ妊娠中絶について語る(後編)

難しいテーマをどのようにして語るか。
前半はシカゴ時代の自分の苦労話。中盤は哲学論。後半はノートルダム大に纏わる昔話。
日本で宗教の話というと、どうにも実感がわかないというのが正直な感想ではあるが、「小異を捨てて何とやら…」ということであれば、矢張り最終的には、人間の器(あるいは懐)の大小といったところに懸かってくるのではないかと改めて思った次第ではある。
断定的な言い回しは避け、高飛車にならず、相手を説得しやすい誠実な言葉(しかも甘言ではなく!)を用いて、粘り強く対話を重ねるべしと言うのが大統領から卒業生諸君に贈る言葉
http://sankei.jp.msn.com/world/america/090518/amr0905180920004-n3.htm
http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/chi-barack-obama-notre-dame-speech,0,2951798.story?page=2

互助と理解の伝統は、私が長年の人生の中で学び、時にカトリック教会の助けを借りながら、得てきたものです。
御案内のとおり、私は特に宗教的な家庭環境の中で育ってきたわけではありませんでしたが、母は私が大学を卒業後にコミュニティ主催者になるように私に対して奉仕と共感についての感情教育を私に施して参りました。そして、シカゴのカトリック教会が開発コミュニティプロジェクトとして知られる機関に資金援助を行い、私達は地元の製鉄工場が閉鎖された後に荒廃したサウスサイド地域近辺の底上げのために働くこととなりました。
そのスタッフ達は正に折衷主義で彩られ、カトリックプロテスタントのそれぞれの教会、ユダヤ人とアフリカ系アメリカ人の指導者、黒人、白人及びヒスパニック系の労働者らで構成され、異なる信条をもつ人々の集合体でありました。しかし、そのスタッフ全員がこれら近隣地域の人々への支援のため、つまり仕事を見つけ、学校を改善するために、お互いが協力して働かなければならないということをそこで学びました。私達は、他者への奉仕という局面において、結びつきあったわけです。
私が彼ら隣人と共に費やした時間の中で起きたこと。それは、私が働く教会の人々の包容力や理解力が大変にあったことから、私への奉仕に満ち、賛美歌集を共に唄い、おそらく私が本当に一文無しだったとしても、私に同じことをしてくれたでしょう。(笑)彼らの誠実さがその慈善行為の素になっていることを私は目撃し、そして、私自身が教会での仕事においてそうした心を持ってこなかったことに気づきました。私は、教会からそうした心を導き出されました。それがキリストに導かれた奉仕の心でした。
当時、ジョセフ・バーナーディン枢機卿は、シカゴ大司教でありました。(拍手)当時の彼を知っているには若すぎる人達も多いのですが、彼はとても賢い男性でした。聖人のようでありました。彼がサウスサイド地域の初会合に出席して話したことを私は未だに覚えています。彼は灯台と交差点のような人間でした。貧困とエイズと妊娠中絶、あるいは死刑や核戦争といった事象の道徳的な諸問題に関して彼は自らの考えを語りました。彼の説得は、心地よくそして穏やかでした。そして、常に人々をまとめようとしました。常に共通の基盤を見出そうとしました。彼が亡くなる直前に、報道関係者がそのアプローチ方法について尋ねました。彼は答えました。「あなたが心に触れることが出来るようにならない限り、福音書が説くようなことは実際にはできやしないのです。」
私の心は、彼に触れることが出来ました。私がシカゴ中の教区で共に仕事をした男性女性の言葉と行為によってそれは齎されたのでした。私達の変革を求める隣人家族の心に触れ合いたいと私は切望しています。それが最高の思し召しであると私は信じております。
現在、2009年組の皆さんは、大変な不確実性の時代の中で自らの人生の次のステップを切り開かれんとしております。皆さんは、働く意思のある全ての者に対して公平な自由市場が元通りになることを求めておられるでしょう。この惑星を維持することができる新しいエネルギー源を捜すことを求めておられるでしょう。将来の世代に亘って、あなたが受けてきたのと同じような驚異的な教育を受けられる機会を与えることを求めておられるでしょう。そして、公共サービスを受けたり、社会活動に積極的に参加する市民であるか否かといったことに関わらず、これまでよりも多くのコミュニケーションの手段を通じたより多くの意見と考え方に晒されることとなるでしょう。コメンテーターがケーブルの上で叫ぶのを聞き、決定的な知識の素となるブログを読み、政治家が何かについてよからぬ話をしていることを見つけ出すでしょう。(笑)時折、実際に重要な問題について、素晴らしいアイデアを持った善意の人々とその事実を把握した人々によって討議されるのを目の当たりにして、皆さんの大きな財産となるでしょう。皆さんの中の何人かがそうした最も明るい星の一つになるものと私は推測しております。
何が正しいことなのか、何が真実であるのかといった討論の中で、皆さんが想起をし、教育をされた価値感というものに信頼を置くべきであります。そうした価値感が危うくなっている時に、皆さんが自らの考えを話すことを恐れないで下さい。皆さんの誠実さを固め、その旅立ちを導くことを認めましょう。言い換えるならば、灯台のように立って下さい。
また、皆さんは交差点なのだということも思い出して下さい。誠実さへのアイロニーというものが必然的に疑念を生じさせることを思い出して下さい。それは見えないものに対する信頼です。神が私達のために何を計画したのか、神が私達に何を求めているのかを確定的に知るためには、人知の枠を越えなければなりません。そして、信頼を信じる人々は、神の知恵というものが私達のそれよりも大きいことに思いを致さなければなりません。
信頼への疑念は、私達を誠実さから遠ざけます。私達を蹴落とします。私達の情熱を抑え、多くの独善的な懸念を引き起こします。ノートルダムの壁の内側で皆さんの多くが精神的道徳的な議論を続けたがっているままの中途半端な状態にさせます。この巨大な民主主義の中で、地方よりはむしろ国際原則に則る主張を通じて、とりわけ慈善事業といった心動かす親切と奉仕を通じて、説得を試みるための誠実さに執着するのであれば、この疑念に対しても思いを致さなければなりません。
私達が最も確信できる一つの法律があるとすれば、それは凡ゆる誠実さを持たない法律です。それがキリスト教ユダヤ教イスラム教、ヒンズー教、仏教及びヒューマニズムの中に存在するということは、偶然の一致ではありません。無論それは、私達がそのように対処したいときに他者にも同じ取扱いを求める黄金則であります。愛の求め。奉仕の求め。この地球で同じ儚い瞬間を共有する人々の違いを生じさせんがための求めであります。
ノートルダムの皆さんの多くの方(少なくとも80%)が学校、病院、国際的救済機関及び地元の慈善団体において皆さんの奉仕を通して実行をされてきました。中でもブレナンは、皆さんが達成したものの一つです。それは、この組織の強固さを物語る信じ難いほど印象的な出来事でありましょう。(拍手)
皆さんはこの伝統を背負いながら前に進まなければなりません。それを生活様式にして下さい。皆さんがそれを堅持すれば、コミュニティの改善には繋がらないかもしれませんが、壁を取り払うコミュニティの一部分となり得ます。それは互助を促進します。そして、それが起これば、人々はほんの束の間であっても、共通の目標に向けて共通の努力を払うためにお互いの違いというものを無視して、共に取り組み、共に犠牲を払うことによって、もう一つのことを学びます。それによって、全てのことが可能になります。
私は、大統領として、そしてアフリカ系アメリカ人として、ブラウン対教育委員会最高裁判決を伝える55回目の記念日である今日のこの日、ここに立っています。ブラウンは勿論「隔離平等政策」ドクトリンを解体するための最初の大きなステップでありました。但し、全ての神の子供達に完全な市民権の夢を実現するためには、さらに幾ばくかの年月と全国的な運動を要しました。フリーダムライドがあり、簡易食堂があり、ビリークラブがあり、そして、アイゼンハワー大統領によって指定された公民権委員会もありました。それは結局、1964年の公民権法の元になる委員会が出した12の決議に結びつきました。
この委員会には6人のメンバーがおりました。それは5人の白人と1人のアフリカ系アメリカ人から構成されていました。民主党共和党、2人の南部州の知事、南部のロースクール学長、そして中西部の大学総長、即ちノートルダム学長テッド・ヘスバーグ神父であります。(拍手)彼らは2年間働き、そして、南部のホテルやレストランが白人と黒人が一同に会することを断ったことから、時としてアイゼンハワー大統領自らが個人的に介入をしなければなりませんでした。そしてついに、彼らがルイジアナで行き詰まった際には、テッド神父がノートルダムの隠れ家であるウィスコンシン州のランド・オーレイクスに彼ら全員を呼び寄せ(拍手)、個々の見解の違いを克服して、最終勝負へと持ち込んだわけであります。
数年後に、アイゼンハワー大統領は、そのような異なる背景や信条の人達との間でどのようにして一致点を見出すことができたのだろうかとテッド神父に尋ねました。テッド神父は、いとも軽くこう答えました。「ウィスコンシンでの初の夕食会の際に、彼らが皆釣り師だということに気付いたことですよ。」(笑)彼らは、湖でボートを出すため薄明かりの中で素早く準備支度をし、釣りをし、そして会話をし、歴史の道を変えていったわけです。
私達が取り組むべき難問が簡単なものであるとか、答えはきっと速く見つけ出されるとか、あるいは、私達の相違や隔たりといったものが首尾良くフェードアウトして消えていくなどといったことは、決してないでしょう。何故ならば、人生はかつても今もそんなに単純なものではないからです。
しかしながら、皆さんが今日この場を立ち去るに当たって、大小の変革を齎す運動を行ったバーナーディン枢機卿やヘスバーグ神父の教えを決して忘れないで下さい。全ての神の子供たちに備わる尊厳を与えられた私達のそれぞれが、お互いに自らを認め合い、家族に対するものと同じ愛情を求め合い、生きていく上で必要なものを求め合うといった礼節を弁えるべきことを思い出して下さい。そして、結局のところ私達は釣り師なのだということを思い出して下さい。
少なくともこれらの知識は私達の仲間及び神の摂理、並びに、互いを支え合いたいという意思を通じて誠実に与えられ、アメリカ合衆国はこれからも偉大なる旅を続けることができるのです。2009年卒業生の皆さん、おめでとう。皆さんに神のお恵みを。アメリカ合衆国に神の御加護を。(拍手)


わたくしは過去に個人的拠所ない事情の為、約1年ばかり教会の礼拝に通い続けたことがある。そこでの経験を踏まえて思うのであるが、オバマ大統領の演説は礼拝ミサの牧師様の御説教によく似ている。
言葉は重要なんだという通底の論旨なのであるが、我ながら、今回の訳、下手すぎ。


本日の音楽♪
「拝啓一五の君へ」(アンジェラ・アキ