私権制限

豪州のとある町がペットボトル水の設置販売禁止条例を可決させたとのニュース。シドニー・モーニング・ヘラルド紙より。
http://www.smh.com.au/national/nsw-town-dumps-bottled-water-20090926-g6ry.html

(仮訳)
◆ニューサウスウェルズの町がペットボトル飲料水を禁止
環境及び経済的な観点から「脅威」と看做されるペットボトル飲料水について、ニューサウスウェルズ州のサザン・ハイランドの町バンダヌーンが、販売店の陳列棚と冷蔵庫から排除するよう公式に命令を下した。
この禁止措置は、環境行動団体「Do Something」と地域住民ヒュー・キングストン氏の協力を得て行われ、豪州で初めて、そしておそらくは世界で初めての措置と思われる。
7月に行われた住民投票では、355対1で、世界中で広く喧伝されているペットボトル飲料水の販売を禁止することを決定した。
禁止を支持する人々は、商業的なペットボトル飲料水が最終処分の埋め立てにおいて大量の無駄を産み出すのだと主張する。彼らはこの容器を作るために用いられる大量の石油にも憂慮する。それは国内並びに海外へと運ばれ、そして、温室効果ガスをもたらす。
この禁止措置を主導する者は、人々が水道水を補充できる容器に容易に接近できるにもかかわらず、ガソリンよりペットボトル飲料水への代金を払うという尻ポケットサイズのマーケティング戦略に欺かれ、絡め取られてしまったのだと言う。
「特に、あなたが蛇口を開けて、水を飲むという選択肢について考えるときに分かることでしょうが、ペットボトル用の水を生成して、運搬し、ビン詰めにして、最終処分することの環境影響は非常に明白なものがあるのです。」と、Do Somethingの創設者であるジョン・ディー氏が言う。
「ペットボトルの水は、ペットボトル飲料水産業によって国民に仕掛けられた脅威であり詐欺販売でもあります。そして、我々がしようとしていることはその詐欺を暴き出すことにあるのです。」
バンダヌーンでは、本日、ペットボトル飲料水の販売店からの排除と一日24時間開いている無料の公共飲料所を4カ所開設したことを祝った。
地元の小学校では、生徒のために濾過水ステーションも設置した。
本日から、地元の店では補充できる瓶(『バンディ・オン・タップ』と表示されたラベル付きの容器が基本容器となり、この容器の購入費用は3.50ドルである)を売るだけで、再使用可能なこの瓶は無料で店に補充される。
キングストン氏は、「世界中の政治家が気候変動の問題と取り組んでおり、我々の小さな町のこの取り組みは、彼らをとても励まし、草の根活動の国際的なロール・モデルになるものだ。」と言う。
彼は、コミュニティがペットボトル飲料水の「財政的かつ環境上のコスト」をもはや払うことができなくなっているのだと警告する。
ディー氏は、ペットボトル飲料水の代替として、地域住民と訪問客がお金を節約しながら、飲料水に常にアクセスすることを保証するのだと言う。
彼は、ペットボトル飲料水産業が彼のグループのキャンペーンについて選択の余地を減らすものだと主張したが、「実際に人々の選択が拡大されたにせよ、それは如何せん、ペットボトル飲料水産業が金儲けするためのものではない。」
ディー氏は、この禁止措置に関して、ペットボトル飲料水に代わるものについてより詳細な説明を求める世界中の人々から何千通もの電子メールを受け取ったと述べる。
彼は、禁止に加わる意思を持っている豪州内のもう一つの別な町とも会合を開いたが、詳細が確定していないので、その町の場所を明かすことができないと答える。
ディー氏は、このキャンペーンの主要な要素が地元の通りに水基盤施設と飲用所の数を増やすことなのだと言う。
彼は、ペットボトル飲料水をボイコットするバンダヌーンの動きが多くの人々に対して、オーストラリア人がなぜ「大多数の国民が優れた水道水にアクセスすることができる時に、ペットボトル飲料水に年間5億ドルもの費用を費やす必要があるのか糾すべく煽動したいのです。」と言う。「それは、環境上も財政的にもまったく意味をなさないものなのです。」


美味しい水道水が身近にあるのに、どうしてわざわざお金をかけてまでペットボトル飲料水を買う必要があるの?という問いかけは、日本でもずっと底流として取り沙汰されている声である(最近は小さくなっているような)。消費する側からすれば、「無駄遣いせずに」という主張は、一理あるのだろう。あるいは、大量生産大量流通大量消費への警告として。


しかし、供給側から見て、本当にペットボトル飲料水が上水道に比較して環境上、常にマイナスで、経済的にも宜しくないことなのかどうかと問われれば、素直な天の邪鬼のわたくしは首を大きくひねる。私的経済を否定する独立共和国でもあるまいに。ましてや、数百人クラスの規模の基礎的な自治体において、必要なシビルミニマムの施設はどの程度の水準のものか。規模の経済によって余りに費用対効果が望めない場合は、私的財に依拠する手段もないわけではあるまい。


尤も、それ以上に興味津々であるのは、こうした私権制限措置の可能性である。無論、公益性との比較考量でこうした条例措置の決定を下しているのだろうが、公益という名ばかりの思想信条の押し付けは最初の段階で取り除いてしまうにせよ(今回の豪州のこの町のケースはどうであったか不明)、具体的にどういった両天秤をかけているのか。あるいは、煙草の路上ポイ捨て禁止と同じくらいに「イケナイコト」なのだということが挙証できているのか。よくよく、そのプロセスのほうに興味が沸く。要すれば、判断材料。


但し、そうは言っても、今回のニュースで登場した住民355+1名は、ペットボトル飲料水なんかなくたって、町の至る所で無料給水所が整備されているから問題ないのよ、という姿勢なのだろう、きっと。記事の中での関係者の言にもあるように、「無料給水所」の整備が鍵なわけである。要すれば、私的財(ペットボトル)と公共財(無料給水所)との比較考量。私権制限や環境負荷なんて本当に真剣に考えているのかどうか、ペットボトルからだけでは彼らのライフスタイルの全容は見えてこない。ペットボトルを持たないことだけで、環境優等生宣言をしているわけでもなかろうに(日本にはエコバッグ人間がいる)。


本日の音楽♪
「ホリーランド」(アル・ヘイグ