名医の前でわたくしは「少しくらい治りが遅くなってもいいですから、もうちょっと診察費をマケてくださるわけにはいきませんかね」と食い下がってみたい

『医学は科学ではない』というセンセーショナルなタイトルの新書が一時期書店の棚を賑わせていたことを思い出すのであるが、時にあれを読んで、「成る程、さもありなん」という部分と、「いやはや、相容れませんな」という部分とが混在したことを思い出す。
彼ら業界関係者に対して抱えていた思いというものも、そうした共感と反撥が相半ばするということで、それが素人部外者の正直な感想なのであった。

医学という実学において、グレイのグレイたる部分を指して「曖昧」というのは確かに正しい指摘であろう。その曖昧さを「いい加減」、「適当」といった言葉に置き換えた論難も或る意味成立しているのではないかと考える次第ではある。
そしてそれは、良くも悪くも西洋医療と代替医療の根が通じ合っている部分でもあろう。


実体験の上からも、わたくしが患者の立場でお医者様に接する際には、専ら、「へへーぃ、先生の仰せの通りにしますだ」と表向き恭順の態度を示すのであるが、彼らの科学的態度を信用・信頼して平身低頭しているワケでないということも、上記に照らせば、紛れもない事実ではある。
…まずはそういった基本認識を踏まえていただいた上で、である。


某、名の売れたお医者様の発言である。
http://news.goo.ne.jp/article/php/life/php-20090606-01.html
以下のタイトルがまた刺激的ではある。

新型インフルエンザ対策 : 効果的だった水際作戦


巷間あれだけ非難・批判されている評価の方向性とは、全く逆向きの主張のようである。わたくしは早速興味を持って、水際作戦の一体何が効果的であったのか、内容を読み始める。

WHOが緊急委員会を開催したのが四月二十五日だったから、日本国内で新型インフルエンザの発症が確認された九日まで、水際作戦のおかげで二週間も時間を稼ぐことができたわけである。この間、新型インフルエンザが流行したときに必要となる「発熱外来」が、五月十三日までに全国で七九三カ所も設置することができた。


既に「発熱外来」必置の方向性はさんざ批判をされて現在は撤回されているのであるから、これを根拠に堂々と主張するのもどうかとは思うのであるが、仮にそれを捨象したとしても、二週間の時間稼ぎで一体何が出来たのだろうか。
或るリスクをヘッジ又は軽減するための措置というものを基本に据えつつ、「発熱外来」以外にどういった効果的な措置を講ずることができたのか冷静に考えてみることが、センセーショナルな表題への回答であろうというのは、至極真っ当な考え方に違いあるまい。
文章を追って読む。

新型インフルエンザに関する情報が国民に浸透した結果、ようやく国民にも冷静さが戻ってきた。
もし何の情報もなく、いきなり新型インフルエンザが上陸したとしたら、もっと大きなパニックが起きた可能性がある。そうなったら社会的な影響だけでなく経済的な損失も、もっと大きなものになっていたと思われる。


この言い分が時間稼ぎの正当性の根拠なのだろうか。国民は新型インフルエンザ情報に対して冷静な態度で、かつ、正しい情報収集によく努めるべきであるという結論は当たり前の話である。であるとして、水際措置があったが為に冷静な対応と情報に接することが出来たという根拠はどこにあるのだろうか。
素人が直感的に考えるに、二週間後に国内初発症事例が確認された際の、あの異常な報道ぶり、政府の昂揚とした対応ぶりに対して、或る意味辟易とした向きが多かったようにも思う一方で、こうした時間稼ぎが国民の冷静な受け止め方に繋がったという見方は大変に興味深い指摘である。


但し、その仮説が真に興味深いものになるかどうかは、その検証材料があったればこそである。それが科学的アプローチの王道である。但し、本件の主張は、「安全性の確保」ではなく、「安心の確保」のような話であるので、科学的アプローチをどれだけ追求できるのか心許ない。「安心の確保」を強く主張すること自体が、胡散臭さ満載でもある。


或いは、医学関係者が得意とする疫学的アプローチや予防学的アプローチの観点から、水際検疫の有効性有用性をどれだけ語っているかということが、医学関係者としての真骨頂であろう。
そうした約束事を念頭に、わたくしは半ば期待しつつ、読んだ。しかし、このシトの文章を最後まで読んでみたところ、結局、増長に無関係な内容の話の挿入が多すぎて、わたくしの疑問に答える引用箇所を見つけることは出来なかった。
結論として考察すれば、時間稼ぎなるものや、水際検疫の有効性に関する科学的根拠というものはついぞ何も語られていないに等しい。
どうやら、このシトの頭の海路は、わたくしとは違う次元にあるらしい。


そもそもSARSと一緒くたにして水際対策の有効性を訴えたあたりから、怪しい雰囲気は漂っていた。そこで、わたくしは冒頭の著書にもう一度思いを致すわけである。曰く、『医学は科学ではない』。
以下は、一般的な教訓である。


テレビで見たことがあるから、あるいは、もっともらしい話術を駆使しているからといって、名医というわけではない。
但し、科学的素養が高いほどに名医であるとは限らないというのも、これまた、社会の一つの公理であるとも認識されている。世の中は難しい。


もっと易しい、普遍的な教訓で締めてみよう。


人と交流することが人生の基本所作であるとすれば、何処の世界にも、立派な人もいれば、ンコみたいな人もいる。いずこも同じ秋の夕暮れではある。
それはわたくしの目の偏りでもあり、そして、そうした中で、やはりどちらかに偏った人に目が向いてしまうのは、わたくしの性格の悪さか浅墓さが宿痾なのだという指摘、これもまた真なり、である。


いずれにせよ、こうした教条的な教訓は、犬も喰わない。
(三重否定で締めてみた。常人の理解醸成、すんなりとはいくまい。)


本日の音楽♪
「Come Away with Me」(ノラ・ジョーンズ