アイスクリームのデコレーションケーキを買える家はセレブだった昔

クリスマスには直接関係ないが、それらしい、何とも含蓄深いニューヨークタイムズ紙のコラム記事より。
http://www.nytimes.com/2009/12/20/opinion/20bearman.html?pagewanted=1&em

◆私の不完全なバブルの泡について
 「キャンディよりも、サーディンのほうが躰にいいんだぞ。」父はそう言っていた。「あれは油だらけだが、栄養価が高いのだ!」それが父の口癖だった。私は8歳の時に、新しい瀟洒な学校に転校をした。私にとっての社会経済的格差の最たるものはカフェテリア(学校の食堂)で、そこでの私の昼食と他の連中とのそれには大きな相違が生じていた。私はスパルタ式の家庭で育ったために、チョコレート、クッキー、砂糖菓子といった類のものとはまるで無縁であった。ライス・クリスピーズ・シリアルは、何か特別に甘い食べ物だと私には思えたものだった。
 私の幼児期は、現代科学における発明の最大限の果実が昼食や軽食類に齎された80年代初期の歴史的な瞬間の正にその時期にあった。フルーツのラップサンドは、その典型であり、カプリ・サンは、いかしたストロー付きの銀色に輝く容器に入った宇宙飛行士ジュースのようであった。チョコレートプリンは、何とヤシの実サイズの大きさのカップの中に入っていたのだ!
 私の父は物理学者であったことから、どうやって父に対して、全く味気のないライスクリスピーズを美味しいそれに変更させることに同意させることが出来るかその方法について腐心していた記憶がある。父は日々、私に同じ昼食を持たせていた。それは、ピーナッツバターとゼリーサンドイッチ一個、リンゴ一個、レーズン一箱だけだった。私が不満を言うと、父はその代わりにと、サーディンを追加することで、問題を解決しようと試みた(そして、私にそのように教え込んだ)。それで十分にアップグレードな改善が図られたとでも思っているかのようだった。
 そうしたこともあって、私は街角の怪しい子供になった。私は、まるで浮浪者のように、サーディンの缶詰を開けていたのだった。私がなんとか自分を見失わなかったのは、「サーディンに拘ることだ。」という父の言葉があったからだった。「安物のお菓子は、何の栄養にもならないのだぞ。」
 けれども、それは私にとってそれほど無意味なことでもなかったようにも思う。毎日の昼食時、カフェテリアは非公式の市場へと様変わりした。私の同級生たちは大きなテーブルの上に禁じられた加工品を含む自分たちの昼食の品々を並べたてていた。私が鋭い岩付きのサーディンの交渉に勤しむ一方で、活発な交換取引が行われていたのだった。
 「俺さあ、自分のところのおかずに飽きちゃってさ。」幸運な男子がそう言うと、彼の前で取引が行われる。「じゃあ、私はE. L. ファッジさんと交渉するわ!」素速い交換取引がそこでは行われていた。
 実際に、それはかなり効果的な市場だった。誰もが望むものを手に入れられた。たった一人、私を除いて。私のサーディンだけは、通貨交換にしても0ドルの価値しか持たなかった。このため、私はこの取引交渉には参加できず傍から眺めていなければならなかったのだった。
 或る日、私は深い思考の果てに、創造的なビジネスとでも言うべき画期的な手法を編み出した。
 私がどのようにしてこのアイデアを生み出したかはよく覚えていない。だが、同級生に話したのはこういうことだった。…私のお母さんはプロのパン屋で、年の暮れにはいつも、お母さんが学校で私と友達のためにびっくりするようなケーキ、つまり、これまで見たこともないような最高のケーキを焼いてくれるのよ。もうすぐ、あの素敵なケーキの日がやってくるわ。ねえ、心の中でそれが想像できて?素晴らしい日なのよ。けれども一方で、私はこうも付け加えることを忘れなかった。あなたにだけ、この特別な機会を打ち明けているの!あなたが今すぐ私にあなたのそのチートスをくれるって言えば、あなたにその素晴らしいケーキを手に入れる権利を認めてあげても良いわ。まるで保証金のようなものだった。1個の所在不明のカップケーキが1枚の株式に相当するということだ。
 そうして、私は、すぐに美味しいケーキを将来販売するマーケットメーカーの主になった。
 周囲の連中はそれを買いに買った!最初は、一群の先行投資家が生じ、その後、それ以外の連中がこのケーキ取引に早く参加しなければならないと考え、彼らに続いた。それがどんどん広がり、カフェテリアの私のテーブルは、新しい、熱狂的な取引の場になっていったのだった。ベルが鳴ると、同級生たちは自らの昼食の具材を開示し始める。
 勿論、私はそのようなケーキを焼くよう自分の母を本当に説得できると考えていた。そして、私は自らのTrapper Keeperに全取引「内容」を忠実に記録していた。ツインキー=ケーキひとかけ。おかず類= ケーキ半分。フルーツサンド= ケーキ2掛け。スイカ味のジョリー・ランチャーは?!私は、そんなもの食べたくはなかったので、ケーキ0かけ!私は、こうした条件付けを考えながら、夢が本当に実現するものだと思っていた。
 だが、程なくして、市場は制御できないほどのスパイラル曲線を描き始めていった。私は、カスタマイズされたケーキ株式を許し始めた。私のTrapper Keeperの元帳は、より膨らみ、そして、より複雑になっていった。記録帳は、より素晴らしい内容のケーキを記述し始めていた。すべてが異なる味で天まで上がる何百層ものケーキ、半分がエンゼルケーキで半分が赤いビロード状のメレンゲの載ったチョコレートムース。私は、食堂で派生した奇っ怪なバブルの創作の力に酔いしれていたのだった。
 そうしたことを考える誰もが分かることではあるが、自分の債務を果たす上で、母の意向やパンの腕前が頭の隅にもなかったことは明らかであった。しかし、周囲の誰もがそれについて考えてはいなかった。私達全員があまりにも深く中に潜り込みすぎていたのだ。私は、元帳を成長し続けさせなければならなかった。
 重要なことは、皆がこのケーキを信じたいと思っていたことであった。私は自らの投資家のために実務的任務に徹した。彼らはすでにこのケーキについて、ドリトス14袋分の権利を取得しており、私のこのアイデアから離反することはできなかったのだ。そのために、彼らはさらに多くのドリトスを投資に投入し、良い方向に向かうよう考え続けていたのだった。その数を把握していた私自身さえ、そのことのいくらかを信じていた。そして、母と私が校庭に焼かれた巨大なケーキを齎し、英雄の歓迎を受ける姿を夢想していた私自身さえも欺かれていたのだった。私は、真実を直視することができなかった。
 この話は、ケーキの先物市場を続けたいと願う心理学的素因を相互補強するものに違いない。ちょっとオランダのチューリップマニアのように、あるいは、南海泡沫事件。そして、アメリカの住宅市場のように。私達は夢を取引していたのだ。そこに何か間違ったことがあったのだろうか?
 誰もが知っているとおり、その答えは「イエス」である。間違った何かがそこには確かにあった。すべてのバブルの泡の様に、私自身が永遠に続くことができるというわけではないのだ。結局、いつかは誰かが警笛を鳴らしてくれることになるのだ。
 その役目は、スペンサー君だった。彼は数学が得意で、そして、嫉妬深かった。彼は、当初のカフェテリア経済で常にうまく振る舞っていた。誰もが私の風変わりな取引に誘い込まれてしまったがために、古い取引市場は客が閑散とした状態になってしまっていた。そして、スペンサー君は、私達の横暴な行為がどれほどに不合理なことであるのかについてを示すためにナプキンの裏で計算した証拠を開示する原理主義者であった。彼はこう指摘した。おい、今までの数を確かめてみろよ。そうしたら、お前のケーキが物理学の法則を無視していることがすぐに分かるはずだから。
 最初は、誰も彼を信じたいとは思わなかった。彼がその素晴らしいケーキ時代から排除されたいのならば、誰もがそれはラッキーなことだぜと思った。だが、スペンサー君は冷静な分析で2、3人の味方をつけた。そして、さらに2,3人…。ケーキに対する信頼が構築されたのと同じくらいのスピードで、それは崩れ始めていった。それは事故の閾値に達し、たったの一晩でケーキに対するあの信頼は消え失せてしまった。同級生達は元帳が偽りであるということを知り、これまでの投資を取り戻すことはできなかった。フリトス、ナッツバター、ホステス…程なくして人気のスナック食品は悪者になった。
 バブルの泡が大きければ大きいほど、その落ち込みの度合いはより激しくなる。私は以前は単なる部外者であったが、その事件以来、村八分扱いになってしまった。旧軽食経済は静かにそれ自体が作り直され、私のサーディンは、遊び場の外にあるジャングルジムに向かうように自らの場所へと帰っていった。
 父が私のこの顛末についてを知ったとき、私は父から再び講義を受ける羽目となった。いつも父が私に言う台詞。「お前にはいつも言っている筈だ。」そして父はこう言った。「サーディンに拘ることだ。」「安物のお菓子は何の栄養にもならんのだぞ。」


わたくしの母の口癖は、「こんなにおいしいものを今まで食べたことがない。」だった。それは、贅沢品に限らず、高度経済成長の頃に俄に登場をした軽食品の類も例外ではなく、ああ、おいしいと言いながら口にしていた。

そこで、最後に。
おとなになってからはじめてくちにしたもの


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こんなにあるけれど、おそらくまだまだある。

本日の音楽♪
千の夜と一つの朝」(ELLIS)