わたくしは住みやすさ最下位にランクされたことがある都道府県に住んでいたことがある(そこに住むことが不幸なことだとはこれぽっちも思わなかったけれども)

LAタイムズ紙の科学コラムより。
http://latimesblogs.latimes.com/booster_shots/2009/12/happiness-qualityoflife.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+BoosterShots+%28Booster+Shots%29

◆それで、最も幸福な州は...ルイジアナ州って?
 本日、Science誌に掲載された幸福度に関する科学についての出版物によれば、様々な州の生活の質は、それらの州に住む個々人の幸せのレベルと密接に相関があるということらしい。
 英国の研究者が行った慎重かつ数学的分析手法によれば、ルイジアナ州が最も幸福度の高い州であるという。次いで、ハワイ州フロリダ州がこれに続く。カリフォルニア州は遙か下位の第46位にランクされた。あちゃっ。ニューヨーク州が最も悲惨で、えーとですね、あー、何と最下位である。
 ワーウィック大学のアンドリュー・オズワルド教授の指導によるその研究では、生活満足度に関する130万人の米国民の無作為標本データを元にして調べ上げた。それらの調査結果を個々の州の、例えば天気、沿岸の土地、公有地、公園、有害廃棄物の場所、通勤時間、犯罪、大気の清浄度、先生と学生の比率、地方税、生活費その他の要因といった客観的な指標を考慮しつつ、2003年のそれと比較した。2つの表を比較してみたところ、幸せだという人々の理由と生活の質の間に非常に近接した相関関係があることを見出したのだと言う。
 「我々の統計方法の優れている点は、アメリカの生活の実相を把握することができるということなのです。つまり、アラバマ州からワイオミング州までの人々の根底にある幸福度の深層を認識できるということなのです。」オズワルド教授は記者発表でこのように述べていた。
 ルイジアナ州が第一位になった点について、彼は集めたデータのいくつかが2005年のハリケーンカトリーナ襲来の前であったことに留意する必要があると注釈した。だが、オズワルドは、それであったとしても、家計支出が低額であることを理由に当該州の幸福度が高水準にあることを確信している。「生活のバーゲン品というものは、通常、スポットライトの外で見つかるものですからね。」と彼は言う。
 けれども、私達は知りたかったのです。どうして、一体どうしてこのカリフォルニア州がこんなに低ランクなのか。そんなに酷い生活だというのでしょうか。
 「そうです。」オズワルド教授は電子メールで答えてくれた。
 「カリフォルニア州は、混雑度合、高い不動産価格、そして、大気の質といった点で十分ではありません。もちろん、日照時間は十分にありますが、しかし、長い通勤距離といった不利を上回るまでのものではありませんからね。カリフォルニアの住民は、通常人間を不幸にするレシピを持った金持ち市民と比較することに多くの時間を費やしているということなのかもしれませんね。」
 …それでは、素敵な週末を!


わはは。
日本で喩えてみれば、カリフォルニア州を神奈川県に、ルイジアナ州を宮崎県に(あくまで、たとえばの話)置き換えてみると、この話のニュアンスがよく分かる。
神奈川県民が怒る。どうして自分たちの県がこんなに低ランクなのだ、と。
研究者は答える。地価は高いし、通勤時間は長いし。大気も汚れている。とても住みやすいとは云えませんな、と。
住みやすさと幸福度は相関するのだから、だから住みにくいところは幸福度も低くなるのである、と。
わたくしは、神奈川県が宮崎県よりも幸福度が高いか低いかは、一切分からない。ましてや、住みやすさと幸福度がリンケージすると言われても、一面は否定しないが、それが幸福の帰趨を支配するとは、実感からも、社会科学的実相に照らしてみても、到底そうは思えない。
日本でもこうした住みやすさランキングみたいな試みは各種行われており、様々なランキングが発表されている。
例えば、統計的手法である主成分分析が肝心の所で主観が入り込んでしまうように、どんなに沢山の指標で幸福度を客観視してみようにも、結局、個々の指標の重み付け(あるいは、そもそもは指標事項の選択)でどんな順位付けでも可能である。
それは例えば、広い持ち家の中で大家族で住むことを重視する価値観を持った調査者がランキングを行えば、結果、北陸地方の県が上位にランキングされるのは自明である。あるいは、娯楽施設を重視すれば、大都市圏に有利にはたらくだろう。
であるからにして、この記事でも、我々の手法こそが幸福の深層を把握できると豪語する研究者の発言をコラムニストが半ば揶揄っていることは間違いない。
たいそうな発表の割に、社系科学が往々にして鼻先で哄笑われる理由でもある。
それにしても、である。
そんなに単純に幸福度が測定できて、人為的調整も可能なのであれば、そもそも宗教なんて必要ないだろう。こうした研究成果に対して、まず真っ先に非難の声を上げるべきは、(特に敬虔な信者が多い米国では)宗教関係者なのかもしれない。


本日の音楽♪
「もうバイバイ」(ヒルクライム