'betray oneself'

「科学が政治の力で左右されてはいけない」なんて尤もらしい発言を聞く機会が多くなったのは、事業仕分けの影響に他ならないわけであるが、一方で、科学の側が政治の力を意識的に利用する光景も垣間見ることがあったりして、これはこれで大変に興味深い。

【 2009年12月8日 沖●大学院大学の関連予算『減速』に 】
沖●科学技術大学院大学関連予算が2010年度科学技術関係予算の優先度で、「減速」と判定されることになった。8日午前に開かれた総合科学技術会議の第2回全体調整会議で原案がまとまり、同日昼の同会議有識者議員会合で決まった。9日、正式決定する

沖●大学院大学構想は、2001年に尾●幸●・科学技術担当相兼沖縄担当相(当時)が提唱した。沖●県に世界トップクラスの科学技術系大学院大学を設立し、世界中から優秀な研究者や大学院生を集めることで、科学技術振興と沖●振興を両立させようというのが狙い。2009年7月3日には「沖●科学技術大学院大学学園法」が国会で成立しており、再来年までに私立大学として開学する予定となっている。キャンパスは沖●県恩●村に建設中で、来年度予算では、約149億円を要求していた。

優先度判定で継続施策は「優先」「着実」「減速」の3段階で評価される。前回の全体会合では「着実」という原案になっていたが、今回の全体会合で「減速」に見直された。理由について白●隆・総合科学技術会議有識者議員は「グローバル化の時代の中で優秀な大学院生を初期の目標通り集められるのか、設置(開学)後の経営計画の継続性について懸念がある。沖●県や地元の熱意が大きいだけに、一回、立ち止まって初期の目標を達成できるよう計画を見直してみたらどうか」と、事業自体の必要性は否定しないものの経営計画の見直しを求めた。

現在、先行研究プロジェクトが進められており、従事している研究者も多いことから、見直しの規模によっては特に若手研究者に影響を与える可能性がある。


通常は、科学の側が政治介入を嫌うわけであるが、この記事から読み取れる事情を類推するに、一概にそうばかりともいえないようだ。
本件の経緯をわたくし的にまとめれば以下のようになる。
まず最初に政治的発意があって、特定の案件(領域、分野と置き換えても間違いではない)計画の推進が決められた。その推進力のコアは政治力であって、その周囲を地元関係者ほかステイクホルダーが取り巻いて太い柱を作り上げていく。
この図式は、国民が忌み嫌っている公共事業の構図とまるで変わりない(私大というハコモノ建設であるから尚更である)。
そうした柱を固めていく作業の過程において、もう一方の当事者となる当時の科学の側の関係者の反応はと云えば、それは全面的賛意であった。阿りと言えるものかもしれない。その政治的権力を最大限利用しようという思惑もあっただろう。当時それを咎めるメッセージは科学の側からは発せられていない。
その後、暫くしてそうした経緯に対して、地元利権が働いているんじゃないか、とか、あんな辺鄙なところで優秀な外国人が集まるのか、とか、学長が世界旅行に国費(税金)を散財して使っているんじゃないか、とかといったメディア記事が出始めた。しかしながら、それらはいずれも散発的な記事で終わり、世の中の注目は集まらなかった。わたくし自身、何故ダムや道路ばかりを敵役にする世間の偏った視点にため息を吐いた記憶がある。
そして、現在。政権が交代し、当時の実力者が文字通り退場し、頭の上の重しがなくなった。その途端、科学の側はそれは見事に掌を返した態度を見せる。おそらくその意図の一つとしては、政治や国民の側からの発案ではなく、彼らの機先を制する形で、科学の側自らがこうした刷新の意を表明することによって、現行政権への恭順の意を示したかったところもあったかもしれない。
この構図は大変に興味深い。当事者側もおそらく「このままじゃ背伸びのしすぎで、計画の履行は無理なんじゃないか」と以前からその問題認識を自覚していたものと思われる。
したがって、この機に応じてとの判断は敏いものとも捉えられる。その一方で、冒頭発言がうわべだけの綺麗事に過ぎないといった点も自ずと垣間見せてしまった次第である。


本日の音楽♪
「いつでも夢を」(橋幸夫吉永小百合