女は画れり、のその後

(12月11日付け「汝は画れり」を参照のこと。)
パネリストはたいそう気分が良くなかった。道州制の推進を旗印にしたシンポジウムに呼ばれ、持論の熱弁を揮ったというのに、些か盛り上がりに欠けた。以前であったならば、なんて大胆で鋭い至言なのだといった賞賛や歓迎の声が多く挙がったものだ。思わず目から鱗で御座います、などとまで褒め称える発言が聞こえてこないにしても、せめて賛同の声が多く挙がってもよい筈だ。「というか、観衆の質が悪すぎた。」パネリストはそう結論付けた…。道州制は景気を悪くするだの、一極集中は是正されないだの、市町村はどうなるんだだの、揚げ足取りの意見ばかり言い連ねやがって。そんなことは、やってみなければ分からんだろう。誰も答えられない回答を求めて、何が愉しいのか。揶揄っているのか。重箱の隅を突くような話ばかりしおって。今この段階で細かい話なんてどうだっていい。尻の穴の小さい話に付き合うつもりはない。私はもっと視野の巨きな話をしているのだ。乱暴な議論だと?乱暴なのではない。そこまでの大きな推進力が必要だということなのだ。私のスケールの大きさについてこれないだけではないか。この愚か者共め。果ては、道州制は無目的な手段ではないかと来た。呆れてものも云えない。目的はあれだけはっきりしているではないか。霞ヶ関による中央集権の打破。憎き霞ヶ関の官吏どもから権限を剥ぎ取る。住民に身近なところに官吏を置けばあんな噴飯物の不正は起こるまい。官吏憎しで何がいけない。官吏は敵だ。奴らはこの国を牛耳り、人民の血肉を貪っておる。公僕は厳しく叩かれて当たり前だ。誰が不満の声を挙げようか。これだけはっきりした目的を掲げて、あの質問者は一体全体何を聞いていたのだろうか。手段と目的を履き違えているだと?まったく、理解不足も甚だしい。霞ヶ関も都府県もなくなったって構わないじゃないか。おたおたすることではないわ。既得権益にしがみついている連中だけが慌てふためくのだ。そういえば、道州制都道府県の広域連合とは違うのですか、という質問もあったな。見かけの形ばかりに拘りおって、まったく分かっちゃおらんな。要は国の仕組みを変えることが重要なのだ。何故それが腹に落ちないのか。この今の日本の閉塞感を見てみろ。経済の閉塞。民主主義の堕落。国際社会での埋没。国威の低迷。背筋が寒くなろうが。誰だって危機感を持つだろうが。こうした重度の慢性成人病を治すためには、ちょっとやそっとの対処療法では効き目がない。然らば、躰をそっくりと入れ替えてしまうのが最も効果的なのだ。躰と言って喩えが悪いとしたら、部品の交換だ。しかもフルモデルチェンジ。そうした全面刷新のための政策として何があるかを考えるのが真の国士なのだ。この巨視的視野を見習って欲しいものだ。本音を言えば、フルモデルチェンジのためには、戦争が一番よいのだがな。まあ、国民の間に多くの犠牲者は出るかもしれないが、人心の一新と爆発的経済効果が期待できる。間違いなく、国も生まれ変わる。しかし、この御時世、戦争賛成なんて叫んだ途端、社会的信用をなくすからな。というか、流石にそこまで戦争を手段化正当化してしまうわけにも行くまい。こうしたシンポジウムにも呼ばれなくなってしまう。あるいは、別の方面のシンポジウムには呼ばれるかもしれんな。需要はあっても、残念ながら私自身に興味はない。それはともかくとしてだ、戦争に代わる大きなインパクトと云えば、革命だ。だが、これも直接叫べば、社会的信用を貶める恐れが極めて大きい。内部事情を晒せば、自分自身、現体制を飯の種の舞台にしている以上、反体制派の烙印は極力避けたい。建設的な評論家の看板は外せない。そこでこれをマイルドに、かつ、ソフィスケイテッドさせて、アレンジしたものが道州制なのだ。謂わば進歩的洗練的革命。明治維新終戦に次ぐフルモデルチェンジというのはそういう意味なのだ。つまり、私の云いたいことは、こういうことだ。緩やかな漢方薬的革命を起こして国を牛耳る寄生虫どもを駆逐しようではないか。はん。公の場でそうまではっきり口にするわけにはいかないがな。念のため言っておくが、私は「右」でも「左」でも「赤」でも「青」でもないぞ。お。オバマオスロ演説が始まった…。


(脚注)
一体このパネリストはどなた様なのでしょうか、とか、そのシンポジウムの開催場所を教えて欲しい、といった問い合わせは、わたくしの元へは来ておらないし、万が一、来ても答えられない。


本日の音楽♪
「同棲時代」(大信田礼子