不機嫌なファンダメンタリストたち

BAD SCIENCEのBLG亭主が大好きなホメオパスを今日も食卓の上に並べてご機嫌である。

(仮訳)
◆本日のホメオパシーに関する英国議会科学技術小委員会について
 本日、私は議会(科学技術小委員会)において、ホメオパシー錠剤のMHRA認可、並びに、NHSのホメオパシー処方に関する政府決定を行うに際して、きちんと科学的なエビデンスに基づいているのかどうかという問題に関する証言を行ってきた。この問い掛けは、優れて民主的なプロセスの中で、市民が示した関心の果実としての素朴な疑問であり、その全てをオンラインで見ることができ、その中のいくつかは飛び切り愉しいものがある。
http://www.parliamentlive.tv/Main/Player.aspx?meetingId=5221
 主なハイライトシーンは、以下の通り。

ホメオパシー錠剤はあらゆる状態の処方において何らかの効果を示すという証拠が全く認められないが、MHRAがそれらを認可したことで、ともかくとしてBoots社(医薬品販売店)としては販売出来ることに満足していると述べたBoots社のポール・ベネット氏。いやはや。
ホメオパシー製造業協会の幹部であるロバート・ウィルソン氏は、裁判手続きに関して我々にこう説明をしてくれた。裁判係争中の65人全ては、統計学的に見て関連性はないのだと。(例えば、あなたがどうしようもない状態にある誰かに薬を与えて治療をして、そして40人が快方に向かい、後に追随する者が有れば、それは馬鹿げたことだ。)あなたが統計的知見のある人々と話をするならば、彼らは標本サイズがすべてなのだと言うだろうと(それは、多くの中の一つに過ぎない)。そして、500人未満のサイズでは、統計的有意ではないかもしれないと(それは、全くもってナンセンス)。
◎後半部、特にピーター・フィッシャー氏(ホメオパシー医)がホメオパシー療法への苛立ちに対して不満を申し述べた際に、リラックスした表情で落ち着きを持ってフィッシャー氏を打ち負かしたエッツァルト・エルンスト博士。
◎ジンピーによる研究から、魔術的儀式の一部とも見える、私を非常に熱心に、そしてじっと険悪な視線で見つめている人々。
エヴァン・ハリス議員は、王立薬学会が2006年から危険なホメオパシー療法薬剤師への不満の声に対して、依然として遅々とした調査しかしていないことを聞いて「馬鹿馬鹿しい」といった顔をしている。
◎イアン・スチュアート議員の発言。

 どうやら、決してホメオパシーが過去の遺物にならない理由の一つは、「見ろよ、屁みたいなメタアナリシスめ、ホメオパシーが有効だという判例はここにあるじゃないか。」と言いながら、過去にたった一つだけの裁判を経験してきたからなのである。あなたがどんなに何度もこのことが愚かで間違っているかについて指摘をしても、彼らはあなたが単なる選り好みをしているのだと常に思って、そのことこそが彼らが我々に喜びを常に与えてくれる理由なのでもある。
 とにかく、あなたがそのような方向に少しでも傾いたならば、サイトを見てまわって、幾つかの他のセッションを見てみる価値はあると思う。私が以前述べたように、特別委員会は本当に面白くて有益であると思うし、ある場所では、あなたが彼らに常に望むであろうことや言いたいことを政治家がそこに座って、政策の最良の方針について考えているのである。
http://www.parliamentlive.tv/Main/Player.aspx?meetingId=5221

現在、マーティン・ガードナーの「奇妙な論理(Ⅰ・Ⅱ)」を読み返している。これを読みやすい平易な読み物だといっては語弊がある(解説者はそんなことを書いている)。深入りを避け、微妙な距離感を保ちながら、ポンポンと対象物を次から次へと蹴飛ばしていくそのやり方は軽快に見て取れるかもしれない。但し、理屈でねじ伏せる図式を想像する日本人的には違和感を覚えるかもしれない。というか、こんな乱暴な片付け方をしていって、木乃伊取りが木乃伊になるトートロジーを常に畏れながら読んでいる感覚はいつも否定できない。要すれば、科学という常識や定理は大切なものには違いないのであるが、一定の枠組みやパタンに嵌ってしまった硬直思考には足下を掬われるリスクがあるのだということを自覚させてくれる。
そういった意味で、BAD SCIENCEで繰り返し展開されているホメオパスに対する視点も或る意味、ワンパタン化されているところを感じつつも、市民向けへの情報発信という(おそらくBAD SCIENCEの使命の)観点から、どうやって人々を退屈させずに、しかもできるだけ正確に状況を伝えるか、ということの難しさを感じさせることとなる。決してホメオパスを擁護するとかいう意味ではなく、また、科学的エビデンスという土俵で説明することをワンパタン化と言っているのではない(当たり前だ)のだが、迂遠なゴールを感じることもこれまた事実。
そうすると、もう一回振出しに戻って、それじゃあガードナーのようにさっさと片付けていけばよいのか。…而して、堂々巡りは続くのである。


ところで、今回の英国議会のような実のある試み(推進派と反対派の関係者が一同に会するだけでも実がある)は、なかなか日本の議会では実現していない。その理由は全く知るべくもないところ(勝手な想像は出来る)、ふと思いつくに、今般の事業仕分けはそういった試みに近いのだろうか。それでなくても、本来議会が行うべき任務を必殺仕分け人たちが肩代わりして行っているのだという議論もある。そこで、ホメオパシー関係者や賛同者を役人連中に置き換えてみれば、両者の構図や図式がとても似ていそうな気がする。そして、そうすると、そこから逆算をしてみるに、つまりBAD SCIENCEの亭主もそうであるし、我々日本国市民もそうなのだが、どうやら構図・図式の中に被疑者扱いの視点という先入観があることからは逃れられないことが分かってくる。
うーむ。それ以上は言うまい。大衆市民に対して、或る方向性(それは正しい方向性も多くある)を煽動(先導)していく上で、こういった国民裁判的なやり方は、多少なりとも眉に唾つけて眺める必要があるのかしら、というわたくし自身のいつもの教訓。


本日の音楽♪
「どんぐりころころ」(小林旭