雲無心以出岫

11月の冥く沈んだ灰色の空は、わたくしの心情との親和性がとても高いように思える。くすんだ空色と心根の間に横たわる神秘性に思いを馳せることがあるとするならば、それはきっと、わたくしのこころそのものの中に神秘が介在しているからに他ならない。空は、所詮、あくまでも空である。


http://scienceportal.jp/news/review/0911/0911101.html

●山政権による事業仕分けが11日から実施される。科学技術関連では、グローバルCOEプログラム、…資金のほか、革新的タンパク質・細胞解析研究イニシアティブ(ターゲットタンパク研究プログラム)、…などの大型プロジェクトも対象になっている。さらに国立大学運営費交付金も仕分け対象になっており、結果によっては科学技術創造立国に暗い影を落とすことになりそうだ。
(中略)
しかし、科学技術関係予算の必要性は、なかなか分かりにくい。例えば、ターゲットタンパク研究プログラムの必要性を理解するためには、タンパク質研究とは何なのかから知らなければならないためだ。また、国立大学の運営費交付金が仕分け対象になったことは、●本行革の時、国立大学の民営化が議論になったことを思い起こさせる。
国際競争力や国益につながる科学技術について、短い時間でどれだけ的確な見直しができるだろうか。


鳴り物入りというか、狂瀾鳴動というか、世間諸氏の関心を一身に集めた事業仕分け作業ではある。上記囲み記事のような評価者の当事能力を疑問視する声もあれば、一方では、情報開示のプロセスを取り入れた仕組みを評価する声もある。いずれにせよ、仕分け作業を行う以上は実効性が求められるわけであって、そうした意味で、先の能力論もディスクロージャー論もその延長線上での主張として齟齬はない。
わたくしとしては、こうした作業のやり方が公平平等なものだとは露とも思わないが(黒子のプロンプター役兼シナリオ作成者の意図がぷんぷんと臭うではないか)、大切なのは寧ろ公正さの方であって、これを確保するために評価者の利益相反は厳密な上にも厳密に吟味されて然るべきと考える。当たり前の話だが、現段階での仕組みの信頼性はそこで担保するしかない。
加えて、実効性確保という同じ文脈の中で、責任論について釘を刺しておこう。こうした自薦他薦の船頭衆が多い場合に往々問題になるのが責任の所在が不明確になることであるから、発言した者は発言した結果責任を問われて然るべきである(何となれば、実行側の能吏は不作為を問われないわけであるから気が楽である)。9割方のお方はこのことを通り一遍のおざなりにしか認識していないだろう。最近の分かり易い事例としては、矢張りこれ↓だろうか。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091111-00000169-jij-soci

新型インフルエンザ用ワクチンをめぐり、長●昭厚生労働相は11日、高校生以下の年齢層を除き、1回接種を正式決定したと発表した。これまでは2回を原則としていたが、1回と2回とで得られる免疫がほとんど変わらないとの臨床試験結果から、専門家らが1回で十分とする見解をまとめたため。


事の経緯は今更繰り返さないが、ワクチン接種回数が1回→2回→1回と二転三転した一連のプロセスにおいて、科学的手順を逸脱させた張本人が明確であるし、そのことによるデメリットも明らかである。
わたくしは、この国の中で責任の重さを一番意識しておられるのは政治家ではなかろうかとかねがね思っていたが、最近は選挙で禊ぎを行うことばかりを逃げ口上にして、真の責任を問うていない傾向にあるのではないかと、考えを改めつつある(あるいは、彼らはいずれ省庁の役職を解かれることをもって、そのような禊ぎと考えているのだろうか)。念のために申し添えるが、責任を取るということは、役職を解かれることとは直接関係のないことなのである。
この責任論に一番実感を持っていらっしゃらないのがメディア関係者であることは論をまたないにせよ、では、誰がそうした意識を常に強く持っているのかということを考えている。家長が家族を、経営者が従業員を、みかわやさんがお得意様を、それぞれ大切に思うということは、当然のことであるが、極論すればそれはあくまで私経済の範囲内での責任の所在ということなのであって、公共心という範疇でそうした思いを強く持っているのはいったい誰だろうか。学校の先生だろうか。



(補筆)
外国人どうこうよりも、公権力行使ではない、と。専門家としての意見開陳なのだ、と。
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/091112/fnc0911121213021-n1.htm

 ●野博文官房長官は12日午前の記者会見で、行政刷新会議の「事業仕分け人」として外国人が参加していることについて「(仕分け人は)専門家としての考え方を述べているのであり(最終決定ではないので)公権力の行使にあたらない」と述べた。問題はないとの認識を示した発言だ。

そうだとしても、責任論から回避できるものではなく、肩の荷が軽くなるわけではないことも繰り返し何度も釘を刺しておこう。


本日の音楽♪
「おもいつばさ」(岸田智史