犬公方

http://news.nifty.com/cs/item/detail/da-20091026-60446060/1.htm
こんな雑誌記事まであるのであった。それは当然であろう。世の中の何はさておいても、犬だけは、ペットだけは、私のワンちゃんだけは、という人が存在していても何も不思議ではない。但し、おそらく野犬は好いていないだろう。そこに矛盾があるとは思わないが、自身を含めて愛情とは、かようにムラがあるものなのだということは、分かる。

民主党に大きな期待!犬に優しい国の実現へ

現与党には動物愛護に熱心な議員が多いのだそうな。動物の中に人間が含まれているのかどうか、人間の中でも特に愛護対象とすべきものを考えているのかどうかは定かでない。政とNPOと犬の鉄の三角関係。新たなもちつもたれつの構造の誕生である。犬の尻尾の振り方ひとつで、国会の論戦に加減が加えられる。正に利権構造。裁判で犬たちが堂々と原告団に名を連ね、証言台に立つ日もそう遠くはないだろう。
尤もそれが冗談か本気かは横に置いて、現状十分に、特定動物にとってはやさしい日本になっている。

◆ニュースワイド:エゾシカ激増 甚大な農林業被害 急がれる抜本的対策 /北海道

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091025-00000038-mailo-hok
一生懸命育てた農作物が鳥獣に回復不能なまでに痛めつけられたやるせなさは喩えようがない。それでも、野生動物とペットは似て非なるもの、なのだろうか。エチゼンクラゲにも優しい日本。「ヤマネ」が森の妖精と(勝手に)呼ばれ、「カラス」が町の賢者と呼ばれないのは一体何故か。そこいらあたりについての愛護団体の見解も聴いてみたい。生き物が爆発的に増えても、喜ばないのだろうか。アメリカシロヒトリなど超増殖をした日には、喜ぶのはムクドリばかりだものなあ。「すぐやる課」ばかりが、大変なのだよなあ。動物愛護って難しい。その線で行くと、「植物」愛護や「環境」保護は、もっと抽象的で難しいことになる。昨今のエコブームは、相当難しいハードルに挑戦しているわけなのであるな。


ところで、時候になると、毛皮屋さんの前でデモ行動をする団体などを耳にするけれども、どうして舞台は毛皮屋さんの前なのか、わたくしはいつも不思議に思っている。肉屋さんや百貨店やましてや三つ星レストランの前ではないのだね。(抗議をこめて裸で歩いている人の気持ちは分かるような気がする。人前で裸になりたくてしょうがないのだろう、きっと。)


本日の音楽♪
「想い出のサンフランシスコ」(ブッカー・アーヴィン