良識不見識非常識

ヒラリー・クリントン国務長官が今後の世界食料需給問題においてバイテク作物の技術開発が不可避であると言及した新聞記事を以前書き留めておいたのだが(10月25日付け「ゴミ屋敷日本」参照のこと)、英国では、最近、王立科学協会が同様のバイテク作物推進を促す声明(報告書)を発表している。
http://www.guardian.co.uk/environment/2009/oct/21/gm-research-food

当たり前といえば当たり前の話なのであるが、こてこての保守派を自認する英国では「遺伝子組み換え作物」に対する反撥は相当に根強いものがあり、過激派が畑にやってきて正義の味方宜しく堂々破壊行為をしたりする。そうした背景もあってかどうか、バイテク作物の栽培国にはカウントされていない(正確には、法令で国内栽培が認可された品種作物が未だ皆無ということかしら)。チャリ坊もそんなバイテク作物は頬を朱くして毛嫌いしているらしいし。そのような状況の中で、科学コミュニティが声明を出すことは意義有ることだと思うが、コン鯖な国民性を変えることは却々難しいだろう。

最近、ガーディアン紙で、この科学者声明と相前後するように、バイテク作物に関するいくつかのコラム記事が掲載された。今夏の有機農産物(健康無関係説)の時のように、単に狂騒を煽るだけなのか、それともいい加減メディアも徐々にではあるが冷静に考えつつあるということなのかどうか、これを読んで考えてみよう。
そして、大なり小なり英国に追随している日本も(栽培がない、けれども輸入品を自覚せずに沢山食べてる、ハカイダー気取りの反対派、メディアが相当に無知蒙昧等々)、こうした動きを見て、すこしはさんこうにできるのかしら。


まず、王立協会の報告書公表の直前に出たのは、こういう記事。遺伝子組み換え反対の空気を相当残しつつ、でももういっぱい食べているわよ、という記事。相当手垢のついた題材であるにもかかわらず、漸く「食べてるのよ」と言えるまでに到達した。
http://www.guardian.co.uk/environment/2009/oct/16/too-late-to-stop-gm

GM食品の扉を閉ざすには余りに遅すぎる(フェリシティ・ローレンス記)
10年前にGM遺伝子組み換え作物)の栽培を認めなかった消費者ですが、フードチェーンの中に含まれている何百万トンもの遺伝子組み換え大豆を止められたわけではありませんでした。

 10年前、遺伝子組み換えの食品が英国市民に初めて提供された当時、市民の反応は「反対」という答を占め、そして、政治家と食品業界は、遺伝子組み換え作物は拒絶する消費者に受け入れられないだろうと言っていました。多くの人々にとって、それは今日も変わらない状況でしょう。多くの人々が自分たちの食生活に遺伝子組み換え食品は含まれていないものと思っています。しかし、今週水曜日に公表される王立協会の報告書は、新たな激しい議論を引き起こさせるでしょう。その議論の中で、多くの市民は遺伝子組み換え作物が我々の食料供給において、どの程度既に浸透しているのかを知って驚くかもしれません。(以下略)

記事は、その後、主にアンチバイテク派の声を拾っている。馬鹿馬鹿しいので訳すのは止めにした。
で、その記事に対して、最新記事はこれ。真正面からぶつかる内容。英国でこんな記事が書けるなんて。ジュリアン、虐められなければよいが。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/oct/29/gm-food-security-farming

◆我々未来の食糧安全保障はGMに依存(ジュリアン・リトル記)
煽動者は、農業技術の価値を認めなければならない

 フェリシティ・ローレンス記者は、王立協会の科学的知見に基づく食料安全保障研究に関する彼女の記事の中で、反遺伝子組み換えロビイストのコメントを報告しました。そして、その中で当該研究が「限定的な価値」に基づいたものであって、なぜGMが必要なのか疑問を呈する主張を紹介しました(10月17日付け「GM食品の扉を閉ざすには余りに遅すぎる」参照)。
 食料安全保障は我々が取り組まなければならない最大の難問のうちの1つでありますから、研究は必要不可欠で、しかも歓迎されるものでなければなりません。そして、農業の実践においては、環境への影響を極力減らし続ける一方で、より多くの食料を産み出す方法を開発しなければなりません。英国には、この解決を助ける鍵となるタネが沢山ありますが、広く認められている現在の方法だけでは、増加する需要に太刀打ちするためには十分だとは言えません。
 ローレンス記者は、遺伝子組み換え作物に関して「企業権力の集中」があると書きました。実際のところ、遺伝子組み換え技術は、小規模の農民に力を与えました。遺伝子組み換え作物を使うことを選択した人々の90%以上は、発展途上国に住んでいる小規模の農民たちです。彼らが働くほどにそれらはよく育ち、そして、王立協会が呼ぶところの「持続可能な生産増」、つまり、より多くの食料をより環境負荷の少ない中で作り出すことに貢献しています。
 その上、遺伝子組み換え技術は大企業ばかりでなく小規模の企業でも十分利用可能であり、なおかつ、大学や公的研究者にとっても非常に利用可能である点に留意する必要があります。彼らは、例えばウイルス耐性パパイヤ、インドにおける害虫耐性野菜、ビタミンを増量させたゴールデンライスといった潜在的可能性を大きく秘めた遺伝子組み換え作物を既に開発しているのです。
 最近のベルギーの調査報告によれば、「平均して、世界の利益の3分の2が『下流』すなわち国内外の農民と消費者に共有され、3分の1が『上流』すなわちバイオテクノロジー開発者と種子の供給元に共有されている。」とのことです。また、テリー・レーニー国連世界食料機関上級経済学者の研究で最近指摘されていることは、「利益は、消費者、技術の供給元及び当該技術を採用した農民によって共有されるが、当該技術を採用しない農民は、競争相手として効率追求を実施できない点で不利益を被る。」ということです。
 心情的には兎も角、英国は、GMを含む農業技術がもたらす明白な利益を認める政策を進めていかなければなりません。
 英国農民が我々の天然資源を保護している一方で、消費者に公正な価格でより多くの食料を提供することが重要であると考えるのであれば、試験テストが繰り返された科学に基づく最新の効率的な農業経営方法を英国農民が選ぶ自由の権利を彼らに与えなければなりません。
 悲しいことに、ローレンス記者の記事は、遺伝子組み換え作物に関する虚報(GM成分を含む2兆円以上の食料品を消費している中で、健康被害潜在的実証例がただの一つもないにしても、食品安全性は疑われてしかるべきとの主張)を口にしてしまいました。我々には科学的知見に基づく政策決定が必要です。つまり、政策決定者は明らかに何かを理解していなければなりません。世界は進んでいるのです。そして、アンチ科学の活動家もまた蠢いているのです。


同業者批判は健全性の証。そうゆうロジックで言えば、科学者同士でもっと声を大きくしてよいのだろう。特にアンチを標榜する自然科学研究者(日本全国でも七人はいるらしい)にあっては、お定まりのインナー集会だけでなく、公的な学会コミュニティに向けて情報発信をして、堂々議論を働きかける努力が必要ではないかと思料する。よく分からない主婦代表のおばさん方の「よく分かんないから、危険でしょ」という話は、聞き飽きた。


本日の音楽♪
「恋人試験」(松本ちえこ