奥歯にスルメが引っ掛かる

特定対象者に対する新型インフルエンザワクチンの接種回数に関して、とある政務官(医系出身者)が横やりを入れて見直すこととなった出来事。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20091020-OYT1T00433.htm
当然のことながら、わたくしには1回で十分事足りるのか2回接種が必要なのかの判断はできないが、そういうことは科学的に判断されるべきことなのだろうと言うことくらいは凡そ理解できている。


であるからにして、当然のことながらこの報道に接した際に、「科学に対する政治介入なの?」と条件反射的に咄嗟に思い浮かんでしまうわけであるが、記事を読む限りでは、専門家集団で一度決めた判断に横やりを入れつつも、恣意的にその専門家メンバーを一部入れ替えた上でもう一度検討させなおしている、という状況らしい。
したがって、あくまでも科学的判断に基づく手続きというレールからは外れていない一方で、じつに都合の良い便法を用いている気がしないでもない。


以前にBSE問題に絡んで、食品安全委員会の委員任命に対して政治的横やりが(現与党から)入った際に、日本学術会議などが抗議の声をあげたことをわたくしは良識と歓迎したのであったが(何月何日付のBLGだったかしら)、今回の出来事に対しては、どのような声があがっているのか。科学者から不満の声はあがっていないのか。当初一部メディアにはこうした恣意的手続き自体に疑問の声を上げるところもあったが、その後、とんとそういう話を聞かない。


当該政務官が指摘するように、手続きが拙速であったかどうかという点だけでとらえれば、それは政治的判断も加味されて然るべきであろう。しかし、そうしたロジスティックな問題ではなく、サブスタンスの問題として考えれば、それはあくまで科学的根拠に則るべきものであることは自明であろう。その中に社会的なリスク・ベネフィットの判断局面が含まれていても、それは科学的範疇の事象である。


そうした中で、現在においても、(妊婦は1回で良いといった)当初の結論が覆され、なお結論が出ていない状況というものをどう考えればよいのだろうか。それはつまり、どっちもどっち、判断つきかねるということなのだろう。判断責任者は、説明責任上、最初の判断と最終判断の違いを明確に説明しなけれならないが、現段階では、それができかねるということとなる。逆説的に言えば、その違いを明確に説明しようとすればするほど、その科学的根拠の曖昧さを露呈してしまいかねないのではないか、というわたくしの杞憂である。


(当然のことながら、実際の検討の場では、限られた最大限のデータに基づく真摯な議論が行われているとは想像するが、最終判断に足るほどの十分なデータがない場合には紛糾が常であろう。)


それと、一部メディアが指摘した恣意的人選という点で、科学に対する信頼性の低下(ありていに言えば、学界の底の浅さ)もわたくしの杞憂するところである。百家争鳴は健全な状態のようでいて、その実、いい加減だということの証にもなる。
医系方面の斯界関係者から今回の騒動(?)に対する正直な声が聞こえてこないのは、どうしたことか。もしかしたら、そこいら辺りのいい加減さが医学の胆でもあるのかしら。


本日の音楽♪
リト・クリの「ハイウェイ」はスモークのききすぎた怪しいバーボンの香りがしてスタイリッシュ。これぞ男前。
赤い電車」(ANONYMASS