eco贔屓

この外電。なかなかに偏っていて、刺激的なタイトルで、わたくしは正直嫌いではない。

ジャイアントパンダ、絶滅させればいい=英動物学者

◆「パンダは消滅させるべき」英テレビ司会者の暴言に批判殺到―中国

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090924-00000286-reu-int
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090924-00000008-rcdc-cn

勿論、『パンダ、超憎し』『皆殺しの始まりだぜ』とかといった、そんな血に飢えた発言を当事者がしているわけでは恐らくなく、パンダ保護に数百万ポンドもの大金を投じるくらいならば、もっと効率の良い野生生物保護対策が他にあるだろうに、という趣旨の大人の発言なのだろうとわたくしは受け止めている。

であるからにして、どこかのダム建設の話と同じように、あくまでも銭(お金)の話としてこれを割り切れば、特段どちらが正しいかどうかあれこれ悩むことなく(というか、正しいかどうか決めることは最後までできないだろうから)、周囲の雑音騒音があっても状況を見失うことなく冷ややかに割り切った観察が出来るだろうと思うのである。
『パンダ可哀相』とか『ダムで水没する村の人可哀相』とかそういった大切な話は、別の会議室のテーブルの上で真剣に議論をされれば宜しいかと思う。

さて、そこでくだんの動物学者兼TV司会者の発言に戻るのであるが、彼の『パンダに大金を投じて』の発言の背景には、きっと中華の国の手厚いパンダ保護政策、就中、パンダを国の資源(言い換えれば、利権)に位置付け、あらゆる外交政策手段に利活用しようという意図があって、それに対する英国人の皮相的な批判であることは間違いのないところであろう。

隣国がどのような政策を採ろうとも隣国の判断であるが、少なくとも彼らはパンダを特別な価値ある財に意図的に仕立て上げ、他国がそれに全く追従し、意図的かどうかは自覚しなくても一緒になって踊ってきたという明確な政治的図式がそこには存在する。

そういう思惑や匂いに嫌気がさす発言者の気持ちも或る意味分からないではないが、人種的なミゾの問題は横に置いておくにせよ、わたくしであったならば、『パンダばっかりベタ可愛がって依怙贔屓だ』という抗議をもっともっと敷衍させて、クジラにもイルカにもカエルにもクワガタムシにもカナブンブンにも同じ視線を傾けるべきであると主張をしよう。

そして、実はそうすることによって、人間様だけが人間様の判断だけに基づいて、特定の生物種を選別し愛でる、そのいかがわしさ、胡散臭さというものが少しは自覚できるのではないだろうかと考える次第である。


本日の音楽♪
「懺悔の値打ちもない」(山崎ハコ