スピリチュアルな夏の終わり

4階へと向かう螺旋階段の途中で、夏の主役でもあった多くの蝉の亡骸がぽろぽろと散逸しているのを目にする。
地べたに墜ちてしまうでもなく、この場所が、迷走の果てに力尽きるに丁度良い「高さ」だったのだろうか。

ふと考えたのであるが、この一夏を生きた(一夏しか生きられない)多くの昆虫たちの直接の死因とは、一体何なのだろうか。
無論、天敵生物に捕食されたり、不慮の事故といったものも数多くあろうが、こうして所謂天命尽きて、蟻の住み処に引きずり込まれるでもなく、階段の隅でひっそり静かに横たわる多くの虫たちのその死因について、思いを巡らせてみたのである。

ネット情報が正しいのかどうか判然としないままに、明瞭赤白にこれを解説するページは見つけ出せなかった。
「そういう人生設計が昆虫の体の中に既に仕組まれているのです。」というアンサーを漸く見つけて、それは嘘ではないのだろうが、答えにもなっていないじゃないのと思った。
そして、わたくしの脳裏に「destiny」という単語と、おでんくんに出てくる神様の姿が浮かんだ。

老衰。餓死。突然死。脳溢血。熱中症。凍死。その後、いろいろな迷解答を見つけた中で、一応それらしい感じではないかと思われたのは、生命維持のための必須栄養分の補給を行っていないのだろうという答え。
要すれば、彼らは、最低限動けるだけのエネルギー補給は行うが、生命体全体のシステムを維持するのに必要不可欠な栄養成分補給を行う仕組みと手段を持っていないがために、次第に衰弱して死に至る、というシナリオ。
したがって、衰弱死というのが一番近い答えらしい。

確かに、腹が減ることと栄養補給は似て非なる行為だ、と思いながら、階段に散逸する蝉たちの姿をもう一度頭に思い浮かべる。
地面まで辿り着くことなく天寿を全うしたこの蝉たちは、いまはの際に「destiny」なんてことを思い浮かべたりしたのだろうか。

…。


そういう啓示のあった蝉だけが生まれ変わった後に、真のスピリチュアル師になれるのかもしれない(余計なことを!)。


本日の音楽♪
「ザット・ガール」(スティービー・ワンダー