この暑いさなかに、もうシビルミニマムもナショナルミニマムも要らないなんて言っているのは誰よ?

『高度経済成長期には、全国一律のメニューを示し、地方がそれに追随する中央集権システムの行政が機能したが、現在は多様な社会ニーズにそれがマッチせず、それが機能不全に陥っていることからも明らかなように、分権型の新しい統治モデルの呈示が求められているのである。』


…もう至る所でこの台詞を聞くものだから、判で押したように同じ言い回しを続けるものだから、上記台詞を全部彫りこんだ大きな判子を実際に作ってみようかと思うほどである。
でもって、その台詞を口にした人には、すかさずその判子を押して上げる。わたくしは、篆刻の経験がそれなりにある。決して上手とは言えないが。


判子の出来ばえは兎も角として、当然の事ながら、件の政策論争において何故その新しいモデルなのかという必要十分条件は深掘りがされていない。結論だけを申せば、いつもの「器さえ変えれば」という昨今の発想の延長線と大きな違いはない。器にとことん拘って食を追求するのは、趣味人一人だけで宜しい。日本人が全員、魯山人先生のようになってご覧なさい。五月蠅すぎて、かなやしない。


このように議論がどんどん乱暴になってゆく昨今の風潮を見るにつけ、美しく離陸していないその知的水準のフライト発着の姿を想定してしまって(ちょっと下手な隠喩であったが、要すれば、脳味噌がツルンとしてきているという意)、夏バテ疲労は一層加速されるのである。


こういうときは美しい画像を見るに限る。
透き通る緑の極限美、神秘性、そして、エロティシズムさえ感じる。一服の清涼剤。
オバマ大統領もときに一服したいだろうに。



本日の音楽♪
「黄金の月」(つじあやの