英国が成る程保守的な土地柄であるということがある意味でよく実感できる報道記事

英国内では結構有名らしい、農薬による健康被害に関する訴訟騒動。
訴えた側の反農薬活動家の名前がよく知られているということだろうか(写真で見る限り、文明的健康的な華やかな身なりの女性ではある)。

ガーディアン紙(2009.7.7)より。
http://www.guardian.co.uk/environment/2009/jul/07/georgina-downs-pesticides

昨年、ジョージナ・ダウンズ女史が政府を相手取って行った農作物への農薬散布に起因する危害についての『動かぬ証拠』に基づく訴訟において勝利をしたが、その後の控訴審において逆転判決が下された。

環境活動家が所謂「粉飾(whitewash)」についてを告発した、政府を相手取って起こした農薬散布に関する訴訟の画期的な勝利が今日覆された。
訴えた側のジョージナ・ダウンズ女史は、判決を覆した控訴裁判所による決定が「奇怪」なもので、「公衆衛生のスキャンダル」にも相当するものだとのコメントを寄せた。彼女は、引き続き上級審で戦うことを誓っている。
訴えられた側のDEFRA(環境食料農村省)環境部は、今回の判決について、政府が欧州の法令義務を遵守してきたことを示すものとして歓迎の意を表した。
本件は、作物の収量向上のために圃場で散布される農薬の暴露が住民の健康に悪影響を及ぼすかどうかを争ったものである。
この訴訟は、英国内の反農薬キャンペーンを主導してきたダウンズ女史が農作物に散布された化学製品に繰り返し暴露した人々が危害に苦しむ「動かぬ証拠」を生じせしめたとした昨年11月の高等裁判所の決定に続く控訴審である。
この勝訴判決を聞いて、ヒラリー・ベン環境担当大臣は、「農薬を取り扱う際に、人々の健康を保護するということは、我々の最優先事項なのであります。したがって、これまでも我々のモデルをよりよい方向に改善すべく、農薬への暴露評価の改善に努めてきたところであります。」と述べている。
また彼は、以下の点も付け加えた。「ジョージナ・ダウンズさんと新しい欧州指令によって持ち出された問題提起に照らして、我々は、農業者の農薬散布記録への人々のアクセス方法、近隣住民への散布活動の事前通知方法、モニタリングや訓練といったその他の義務的事項について、今秋にも審議する予定としているところであります。」
当初の判決においては、地域住民を毒性物質の暴露から保護すべきとする欧州指令を英国政府が遵守していないと指弾していた。コリンズ裁判所のセルリング判事は、DEFRA環境部がその政策を見直し、暴露している人々の危険度合を調査する必要があるとも指摘していた。DEFRAは、農薬の規制・制御のアプローチが「合理的、論理的、合法的」なものであるとの主張を繰り返してきた。
ウェスト・サセックスのチチェスターの農場の傍らに住むダウンズ女史は、2001年から反農薬キャンペーンを開始した。彼女は、農薬への度重なる暴露が不健康や病気を引き起こすと非難し続けてきた。
今日の裁判所の決定に対して、彼女は次のように述べた。「私は動揺していますが、この判決が私自身の証拠に対して誤りであると言っているものとは思いません。」
ダウンズ女史は、この判決が彼女のキャンペーンの間に集めたとされる証拠を無視するものであって、その代わりに公的報告書に縋ったものであるとの非難を行っている。
この新しい判決の中で、サリヴァン判事は、ダウンズが「彼女自身とその家族の健康問題が本当に農薬散布の暴露に起因したものと信じ込んでいる」と述べている。しかし、彼は「ダウンズ女史が抱える《とても効果的な運動員達》が正式な科学的・医学的資格を有しているとは言えない。」とも述べている。
「動かぬ証拠」に対するコリンズ裁判所の判断は、DEFRAの評価を彼自身の評価に置き代えるものだとサリヴァン判事は述べた。
控訴審では、農薬に対する規制の枠組みについては、住民個々人と住民全体の利益の間で全体的なバランスをとる必要があると述べている。
農薬業界を代表する農作物防疫協会は、今回の裁定が「常識の勝利」であると述べた。ドミニク・ダイアCEOは、以下のように述べた。「雑草、害虫、病害を抑制するために、農薬なしで栽培を行えば、収穫量はおよそ3分の1にまで減少するでしょう。しかしながら、それでは我々の食糧安全保障と人口増加で高まる危機には対応できないのです。」
化学製品を使わない自然食品を推進するピーター・メルチャット土壌協会政策ディレクターは、こう言う。「裁判所がたとえ何と言ったとしても、実際に、英国の農薬散布規制は、散布圃場に隣接する学校や家族の安全を全く考慮していないということです。」


常識=保守ではない。屡々誤解を生じやすいのではあるが、固定観念の極私化こそが、コンサバの陥りやすい視野狭窄の由縁である(自戒も込めつつ…)。
今回の事象を単純に類型化してみれば、科学的云々という前に、現に自分に健康被害が出ているのだから取り締まれという一方通行的主張にも似ている。
これは一見、《形而下》的な思考方法にも思えて、実は《形而上》そのものであったりする。
不合理にも、不合理な故に、こうして人が神に近づくという大いなる錯誤なのかもしれない。


本日の音楽♪
「ええねん」(ウルフルズ