猿の王国界隈

「『目の前の1羽のカモの幸福を考えるより、その1羽のカモを含む生態系の幸せを願う』ということは一体どういうことなのだろうかと考えてみる」(7月11日付け)の回のおしまいのところで、ぽそりと「猿の王国が大都市近郊に出現したりなんかして」ということを書いたことに少しばかりインスパイアをされて想像力を拡げてみたのである。


わたくしの想像では、どこかの家庭から逃げ出したペットの猿たちがと或る都市近郊の鎮守の森に集団コロニーを形成する。南方系の派手な態(:なり)をしたインコ・オウム類でよく耳にするあれの、猿バージョン、である。
猿は引き算や簡単な文法を習得できるという最近の研究発表もあったくらいのことであるから(真の意味の理解とはちょっと違うのではないかと思って読んでもみたが今回はそれについては触れない)、高等知能を有した動物のこと、必然、そのコロニーもある種の社会性というものを帯びていくのである。


社会というある種のインビジブルかつ確固たる境界線が作り出されるにつれて、当然のことながら、外部の既存世界つまり人間社会との接点の中から、何らかの軋轢が大なり小なり生じてくる。或る意味、民族紛争のようなものである。
人間の側としてもそうした軋轢は決して心地よいものではないので、何とかならないものかと悩み始める。


ちなみに、その何らかの軋轢については、各自様々な想像力を膨らませることができるだろう。
飛躍的な知能の向上によって、人間社会に匹敵する高度知的基盤社会が形成されるというところまで想像力を働かせれば、それはそれで立派なSF作品だ。九州のと或る市立動物園を逃走したマンドリルのトシが一派のリーダーである。
というか、そんなありがちな作品は、とっくの昔に出尽くしているネタだろうとも思う(作品名はいちいち知らないが)。


わたくしは、もう少しありがちな姿を考えてみたい。
猿の社会はやはり高崎山下北半島の北限地に居るあのニホンザルのコロニーのようなものだろうか。但し、猿の種類は多種多様。ニホンザルだけではない。さすがにゴリラやオラウータンボノボといった国際取引上のお尋ね者は顔を見せてはいないが。
そういう多種な連中が集うコロニーが本当に現実的に有り得るのかと問われれば、正直「?」ではあるものの、集団が人間社会に侵入して行うことと言えば、容易に想像が付く。


すなわち、庭の畑を荒らされた、店先の焼き鳥を囓られた、車のボンネットの上に糞尿を残していきやがった、寝ている布団の中に突如侵入してきた、台所の冷蔵庫から今晩食べようと思っていた大事なパパイヤだけを盗まれた、近傍を通った地主のお嬢さんが帰り道に威嚇(誘惑?)をされた、云々。
近隣住民はその集団行為に些か頭を悩ませるわけである。
これは駆除しかあるまい。元はといえば、家で飼われていた猿たちじゃないか。駆除したって、元の鞘に収まるだけで、環境には何の影響もあるまい。ええ、おい、早速、地元の保健所か警察署に談判に行こうじゃないか。


ちょっと待ってくれと一人が手を挙げる。確かにあの猿たちの悪さには手を焼いている。しかし、あの鎮守の森で、ドングリやら桑の実やらアリマキやらカタツムリやらを食べて、立派に自活して野生化して育っているとも言えるのではないか。要するに、彼らは既に自然と一体をなしているのだ。一口に「猿害」と言うけれども、(「誰もそんなこと言ってねえよ。」とのヤジが飛ぶ。)……兎も角。迷惑だから安易に排除してしまおうというのは、まこと人間の傲慢にすぎないのではないだろうか。


傲慢って…そういう哲学的なことを言われても正直困ってしまうのであるがなあ。
それに、掴まえるにしても相手は賢いしすばしこいし、捕獲作戦は草々容易なこっちゃあるまいよなあ。
そもそもパパイヤくらいなら食べられたってさあ、大目に見て赦してやってもよさそうなもんだしなあ。
揶揄われたっていうお嬢さんも、てっきり仲間と間違われたか何かじゃないのかなあ、あ、すいません、決してそういう意味で言ったんじゃないんですって。
確かに猿は猿たちで結構悠々自適に自活しているようにも見えるし、何だか桃源郷ぽくていいよなあ、仲間に加えてくれないかなあ。
猿の王国っつうことで、結構、観光名所化している面もあるし、観光収入はそれ相応に魅力的ではあることだよなあ。
こんなにいろいろな種類の猿達が一同にコロニー化しているのは学術上大変珍しいことであると、この間視察にやってきた学者先生もえらく驚いていたことであるしなあ。あの学者先生さあ、別のテレビ番組で脳が何タラって解説しているのを観たことがあるよ。結構有名な人なんじゃないの。「エオリア」だか「ソマリア」だか何だか、しきりにワケ分かんない単語を口にしていたよ。なんでも、大した新発見なんだってねえ。え、その先生じゃないの。なんだ、残念。


うーむ、どうしたものか。と、会議はエンドレスに踊り続けるわけである。


本日の音楽♪
「タイム アフター タイム」(ロッド・スチュワート