サイモン・シンの新作

サイモン・シンの著作を初めて読んだときは、久方ぶりに心の中の或る部分が感動したこと自体に感動をした記憶がある。小説を読んだときに共鳴をする心の中の或る部分とは異なる部分の胸の高鳴りである。
無論「フェルマーの最終定理」がその作品ではあるが、文字通りそれは科学の琴線であるところの知的好奇心をジャストミートの形で刺激をするものであった。
例えば、●山学院大学のS.●岡先生のベストセラーを読んでも、活字の読み物としてはいける口なのかもしれないが、アカデミックな意味でのこうした知的好奇心という琴線部分は、それをウリにしている匂いが濃い割には全く擽(:くすぐ)られない。何でだろう?(答を知っていて、敢えて首を傾げてみせる…いぢわる)


これまでのサイモン・シンの著作は、数学、物理天文学といったどちらかといえば学問体系の中でもコアな領域を取り上げてきていた。そこで、果たして次はどういった方面に向かうのかと大いに興味を持っていたところ、どうもこれまでに「怪しい」科学の庭の取材をしてきていたらしい。
チャリ坊のデトックス記事からの近縁リンクでその様子が引っ掛かってきた。
http://www.senseaboutscience.org.uk/index.php/site/project/340
記事の内容は、こんな感じである。

(仮訳)
サイモン・シンは、ケンブリッジ大学で物理学の理学士号と粒子物理学の博士号を取得後、英国BBC放送科学部のディレクターを経て、一連のベストセラー本(「フェルマーの最終定理」「暗号解読(Code Book)」「ビッグバン」)を執筆。2003年には科学教育コミュニケーションに関するMBAを授与。

『法的措置を仄めかす英国カイロプラクティック協会からの手紙を受け取った昨年以来、私はずっと沈黙を守ってきた。このエッセイは、その12ヵ月間にわたって一体何があったのか、私がなぜ控訴裁判所への提訴を決めたのか、そして、この先どうなるのかを説明しようとするものである。その一部分でも興味を持って貰えれば嬉しいが、これはいくつかの主要なポイントを明確化させようとした私の試みでもある。

遡ること2006年、私はホメオパシー医がマラリアの予防法として無謀にもホメオパシー療法を提供しているその実態について調査した。このことが代替療法に対するより深い関心を引き起こす引き金となって、「Trick or Treatment?」という本を補完医療に関する世界初の教授であるエッツァルト・エルンスト教授(※「啼かないでチャリ坊」にも登場)との共同執筆により出版した。この本の副題が「代替医療の挑戦」というのは皮肉である。

この本が2008年4月に出版されて、私はカイロプラクティックに関する特集記事をガーディアン紙に書いた。英国カイロプラクティック協会が発刊するChiropractic Awareness Weekにも同時に記事が掲載された。記事の中では、カイロプラクティックの歴史と脊柱の矯正によって全ての病気の95%を治療可能という創設者の主張について議論をした。彼らは、脊柱及び神経系を通じた体内エネルギーの流れが障害・遮断されることで病気が起きると主張をする。現代の多くの指圧療法士が、こうした空想的なモデルから離れて、療法に専念をしているが、一部の療法士は、未だに脊髄の矯正によって、背中とは関連していない疾病を処置することが可能だと思い込んでいることを私は指摘した。(以下略)


上記記事は当該著者と的とされた業界連中との訴訟騒動に関する内容が本題であるのだけれども、それは、まあいいや。
既に昨春、「Trick or Treatment?」という彼の本が出版をされているらしい。しかも、近々邦訳本も出版されるそうであるからにして、また楽しみが増えた(訴訟の影響がないことを祈る)。訳者(青木さん?)は、どういう表題をつけるのだろうか(※)。


取材先をこれまでの科学のマントル部分から、いきなり外縁部へとその矛先を向けるというのもジャーナリストらしいといえば、らしい身の軽さであり、何よりわたくしは、こうしたインキチ(疑似)領域の中でも、代替医療に目を付けるというそのセンスの良さに喝采の一欠片でも送りたい。


我が国で同じようにこうした領域を取り上げる事例というのは、あるにはある。しかしながら、検索してみれば一目瞭然である(何々とは具体的には言わない)ように、専ら取り上げられてきたのは、がっかりするような題材ばかりである。既に風化した昔の詐欺話やら学研マニア誌並みのネタ、娯楽の世界で愉しんでいるだけの凡そ強毒化に変異しそうもない、本当に、本当の本当に、つまらない題材しか取り上げようとしない。


しかも、そうした叩き屋さん達が、シャビーな題材でもって堂々とメインストリートにしゃしゃり出ようとする、その社会的なセンスのなさ加減というものは、どうにもこうにも木っ端恥ずかしいものがある。
日本在住の彼らに「社会と科学」を語らせることは、およそ無理というものなのだろう(そんな矜持もなさそうだし)。


少なくとも、代替医療というものは、通常の西洋医療のスキームからははみ出しており、明らかな黒の部分によって社会的悪影響を及ぼしている部分と、黒とも白とも何とも言えない曖昧な部分を併せ持つ(射程を大きく捉えてみているから、そういったキメラ模様が見えるのであって、微分的には、黒の部分が問答無用というのは当然の話)。


そういった性質のものを対象に見据えるということは、たいへんによい着眼点であるように思える。誰が見ても怪しいと思うものを真正面から取り上げて、「どうしてそれが変なのか」「お隣さんはなぜそれに騙されたのか」と言われても、普通の人ならば、興醒めになるだけなのだから。


したがって、おそらく原文を読んでいないから、勝手な感想ではあるが、綿密な疫学的検証は行うであろうにせよ、一刀両断というわけにはいくまい。受け止め側もスカッと爽快という風には成り立ち難いところがあろうと推測する。
しかし一方では、或る意味、科学リテラシーの向上という意味で、その技倆からすれば、これまで同様の確かな波及効果というものを期待せずにはいられない。


このたいへんに優れた作家には、(訴訟に煩わされることは大いに気の毒なことには違いないし、そのこと自体も大きな論点にはなろうが)、新たな科学の分野の書籍を今後とも期待をしよう。
個人的は、『進化論』などが或る意味インパクトがある相当重厚なテーマかと思うのであるが、どうだろうか(宗教関係者以外の誰もがおそらく期待しているには違いない)。


(参考)「Trick or Treatment?」の解説(あちら版wikiより)

(仮訳)
同書は、鍼、ホメオパシー、ハーブ療法及びカイロプラクティックの科学的な根拠について評価をし、36種類の治療法を対象としている。これらの代替治療の科学的な根拠というものが一般に薄弱なものであることが明らかになり、鍼、カイロプラクティック及びハーブ療法には特定の疾病に限定的に有効である証拠があることを明らかにしている。ホメオパシーについては、全く効果がないと結論付けている。「ホメオパシー医が言っているものは偽薬だ」。

一般の評判は高い。シンは同書についてガーディアン紙に書いたコラムのコメントに対して英国カイロプラクティック協会から名誉毀損で告訴された。英国NPO組織のNatural Health Allianceは、非科学的で、瑕疵のある調査に基づく結論だといって共著者のエルンスト教授と同書を非難した。

The New England Journal of Medicine は、「サイモン・シンは物理学者であり科学ジャーナリストである。そして、彼の共同執筆者であるエッツァルト・エルンストは補完的医療の医者であり教授である。エルンストは、こうしたテーマの証拠をまとめるのには、最高の有資格者の一人であると言える。」と評した。

The Daily Telegraphは、「代替医療(鍼、ホメオパシーカイロプラクティック及びハーブ療法)の主領域における健康への効能効果について、明瞭かつ良心的な科学的な手法で執筆をしている。その結果は大変に厳しいものがあった。ハーブ療法の若干の限られた方法は別として、これらの『治療』行為のいずれも何も効果がないばかりか、致命症となり得る療法もあった。」と評した。


※「TRICK OR TREAT」という映画もあったが、一般的は、ハロウィンの時に子供が各家庭を廻る際に口にする「お菓子くれないといたずらしちゃうよ」という言葉。


本日の音楽♪
「悲しみの水辺」(カーラ・ボノフ