帰ってきたThe Carson Curse

以前、魔除けも兼ねて書いた'The Carson Curse'に関して(4月7日付け「スタスキー&八兵衛」参照のこと)、世の中どれくらい呪われているのかしらねえなどと、つらつらネット検索をしていたら、こんな記事にぶつかった。
『明日は世界マラリア・デイ』と題された記事の中に、このような記述があった。
http://www.acsh.org/factsfears/newsID.1215/news_detail.asp


For comparison, the total number of people killed by cigarette smoking in the twentieth century is thought to be about 60 million, total casualties from World War II perhaps as high as 70 million, and the total killed by Communist regimes about 100 million. Thus, anti-chemical greens (inspired by Rachel Carson's fear-mongering book Silent Spring) may already be humanity's most prolific killers -- and surely the most widely praised.

この休日は英訳作業ばかりしているようなものであるが、通例通り仮訳してみれば、このようになる。
『比較をしてみよう。20世紀において煙草の喫煙が原因で亡くなった人の数は凡そ6,000万人、第二次世界大戦における犠牲者の総数が凡そ7,000万人である。そして共産主義体制によって抹殺された犠牲者の数は凡そ1億人と考えられる。このように、アンチ化学を標榜する「緑」の連中(レイチェル・カーソンの恐怖本「沈黙の春」に少なからず感化された人々でもある)こそが、この世紀の最大の殺人者であり、そして最も広く称賛されている者達である。』



刺激的な一文のみをピックアップしたが、記事全体を要約すれば、マラリア対策として農薬(DDT)を塗布した蚊帳(網に練り込んであるらしい)の普及がアフリカを中心として同病罹患率の低下に多大の貢献を果たしてきたことから、頭ごなしに農薬を毛嫌いすることなく、最大の武器を使って、何百万人もの命を救おうではないかという前向きなメッセージを込めた内容である。
何処の何奴が煽ったかは兎も角として、1970年代の世界的なDDT使用禁止の煽りを受けて、マラリアの罹患死亡者数がその後大幅に(飛躍的にといってもよい)増えた。その数に含まれるのが上記の1億人ということである。
わたくしとしては、一部神話化さえすすむThe Carson Curseから世界が日本が一刻も早く抜け出て、かの書物が正に新書並みの意識で読まれんことをただ只管に祈念している。



そういったわけで、農薬塗布蚊帳に関して、わたくしには専ら異論はないのであるが、大いに異論を唱える人々も当然のことながらこの広い世の中には居る。
最近も、農薬塗布蚊帳のODA支出を即刻中止するように関係大臣に要望書を出していたりする動きが、ネット検索をしていたところ、引っ掛かってきた(『オリセット 普通蚊帳 ODA』といったキーワードでこうした動きを拾い上げることができる)。
農薬塗布蚊帳の問題点として指摘するポイントは、主に4つである。


*耐性蚊の出現
(※ペニシリンが多くの感染症から人々を守った一方で、これへの耐性菌(例えばMRSA)が出現して悪さをする。対象生物が薬剤耐性を持つ可能性は当該農薬に限ったことではないので、したがって、抗生物質等を含めて凡ゆる薬剤に反対をするスタンスなのである。その文明否定の姿勢は潔い。)


*当該農薬の子供の脳への悪影響のおそれ
(※あくまで悪影響があるかもしれないというおそれの段階ではあるが、彼らの脳の中では既に悪影響の恐怖は増幅繁殖するばかりであり、それは誰にも止められない。但し、そういった場面で必ず登場するのが「予防原則」であり、その用例解釈が誤っていることに気付いていない。切れない包丁を振り回すという摩訶不思議な光景ではある。)


*当該農薬の生態系(魚類、水生生物)への影響
(※農薬塗布蚊帳を家の中に張っただけでは近所の川に住む魚は、おそらく陸に這い上がってきて、蚊帳を捲り布団の中に忍び込んででも来ない限り、水に揺られながらぴんぴんしているのだろう。万が一、その蚊帳がお古になって不法投棄をされて川にでも流されれば、環境破壊に繋がる。当然の戒めと受け止めて、不法投棄はやめるべきであろう。)


*高価
(※普通蚊帳の3倍もの値段がするのだから、普通蚊帳なら同じ値段で3倍も普及できるではないかと言っている。一方で、ODA予算を3倍にしろとは言わない。この国の血税を何よりも優先する姿勢でもある。)


この他に、この特殊蚊帳を寡占的に扱う扱う特定企業を糾弾しており、実はそれこそが彼らにとってそれはとても大切な琴線となる箇所なのであろうが、それはシソーとかシュギの世界の話になってくるので、この際横に置いて臭わないように封をしておく。



こうした主張をされる人々の頭の中には、リスクとベネフィットを比較考量するための天秤衡は一切存在しない。あるのは、ゼロリスク(リスクはハザードの大きさとその出現確率のかけ算ではありませんという彼らの中では確かな対抗理論)である。
「天秤衡で…」などと言っては、「尊い命や人権をハカリにかけるとは何事か!」と一括されるだけである。



さらに喰いついて、尊い命や人権を守ることの実効性に疑問を差し挟んでもいけない。それは尊いが故に、手の届かないところにあるのであって、だから真剣に崇め奉っているのである。崇め奉っても命が救われるわけではないが、そうした本音も、この際どこか厠の後ろにでもこっそりと置いて退散をしよう。
いずれにせよ、呪いの世界に理屈は通用しない。



本日の音楽♪
「好きよキャプテン」(リリーズ)