ラヂオの時代

いかにも頑丈そうな新古品のポケットラヂオを購入した。
百円であった。
百円。
フリ●クよりも安い。
色褪せて古びたボール紙の化粧箱。
プラスチックにも少しばかりのシミが。
ラヂオにはMADE IN HONGKONGの印字がある。
今は彼の町も製造業種工場はさらに南に移転しているのであろうから、相当時代がかったラヂオではある。
鉱石ラヂオか、それともゲルマラヂオか。
だって百円だもの。
音の調子も今様のクリアな音質には到底及ばない(コード巻き取り式の最新ポケットラヂオは1万円ほどで売っていた)。
チューニングのつまみが非常に固い。
甘いよりはいいか。
特有のノイズも懐かしい。
暫く耳にしていると段々とノイズは気にならなくなってくるのが不思議。
枕元に置いて就寝際のラヂオ聴取を習慣づけてみようかと考えてみる。
AM放送しか聴けないので、ラヂオ深夜便でも聴きながらしみじみと寝入ってみようかしら。


歳をとって隠居生活をする中で、日がなテレビ漬けという生活だけはしたくない。
いっそテレビなど家の中になくてもよい。
そこで、それに置き換わるのがラヂオ。
中高の頃の入試勉強のための深夜ラヂオ漬けのあの時代をわたくしは経験している。
また、ある時は、最果ての北の国のと或る浜にある昆布小屋で、ひと夏毎日昼から午後にかけて、ラヂオから流れる演歌を聴きながら、女工のように黙々と選別作業をしていたことを思い出す。
少なくともテレビとは倍の開きほども奥の深いラヂオの世界ではある。


元春RADIO SHOWがこの春からFMで再開されたそうである。
「FM SOUND STREET」のあの元春氏である。
知性と理性と感情の絶妙なバランスの上に醸成されている範の人間であるところのあの元春氏である。
何が変わって、何が変わらなかったのかをきっと実感できるのだと確信をしている。


本日の音楽♪
「PARADISE」(小森田実