右心房書店問答

御近所の留さん「よお、毎度。景気はどうだい。」
右心房書店店主「見ての通り。羽振りが良く見えるかい。」
留「こんなに客が大勢入っていて、結構なことじゃねえか。」
店主「師走だから、確かに店内で物色する連中は多いさね。しかし、この中のいったい何人が本当の客なんだか。」
留「今日はひどく拗ねた物言いをするねえ。ご機嫌斜めなのかい。」
店主「見てご覧。どいつもこいつも立ち読みばかりの冷やかし客どもだ。」
留「お客の前で、何てこと言うんだい。そう思うなら、店主なんだから、ハタキでぱぱぱと、巧く捌いてやらあいいじゃねえか。」
店主「今どきそんなことをすれば、ハタキが手に当たったとかクレームを付けられて、傷害罪で訴えられるだけだよ。そんな危ない橋が渡れるかい。」
留「そんなもんかねえ。」
店主「ハタキよりも扇風機で風を送るのがわたしは効果的だと思うんだがねえ。それも、もわっとした生暖かいやつ。いやいや。生臭いやつのほうがもっと効果的かな。」
留「なにくだらないこと言ってやがるんだい。」
店主「ケーキ屋に試食があるかい。」
留「藪から棒になんだい。」
店主「ケーキ屋での試食が自由ならば、誰もケーキを買わずに試食だけして帰ってしまうわな。わたしならこれ幸いと試食だけで済ましてサイナラを決め込むわね。え?そう思わんかね。本屋だけがどうしてこうも立ち読みが許されるのか、その理不尽さがわたしにはどうしても解せないんだよ!」
留「しょうがねえこと考えてやがる。けど、逆によお、立ち読みのできない本屋なんかあったら、誰も買いに来ないぜ。それもまた商売上がったりだろうが。」
店主「全部の本をビニル包装してやろうかと考えたりするんだがねえ。」
留「やめとけよ。」
店主「どうせ暇だから。なんならカタログぶら下げるだけにしておいてさ。本の現物は一切置かない。」
留「ネット通販じゃないんだから。余程重症だねえ、こりゃ。ところで、何か店主お勧めの本でもないのかい。」
店主「留さんは典型的メタボだからダイエットの本なんかどうだい。」
留「余計なお世話だい。」
店主「『みるみる痩せる方法』。十日で10キロだ。」
留「十日で10キロとは、そりゃあ、強く出たな。どうせ、絶食か激しい運動かなんかで無理矢理に痩せちまおうってな寸法なんだろう。」
店主「痩せるも肥るも出入りの加減が肝要なことには違いあるまい。食べたらそれだけ肥るのは当たり前だわな。」
留「そういうことだよ。簡単に絶食なんかできないから皆苦労しているわけでさ。食べなくて済むなら誰も苦労はしないよ。」
店主「空腹の行き着く果てには、桃源的麻薬的快楽が待っているのだそうな。」
留「やだよ、俺。そんなランナーズハイみたいなの、くたばる直前の状態じゃないか。そんな本、俺要らない。」
店主「じゃあ、留さん、いつもお金にひいひい言っているから、『みるみるお金が貯まる方法』。どうかね、これ。」
留「重ね重ね余計なお世話だよ。それにしても、そういう『みるみる』本しか売っていないのかい、この本屋は。」
店主「十日で10万円貯める方法とある。」
留「似たような話ばかりだな。どうせ、「節約!節約!」か、「一発大穴!」とか、そんな浮世離れした内容の本なんだろ。」
店主「簡単にお金が貯められたら誰も苦労はしない。」
留「そりゃ、さっきの俺の台詞じゃねえか。」
店主「だからこそ、この本に意味があるということだわな。」
留「で、その秘訣ってのは何なんだよ。」
店主「ウチは試食は一切ないの。」
留「何だと、こんちくしょう。買えって言うのかよ。この店はいつから啖呵売の大道商人になったんだ。」
店主「知りたくないの?」
留「こんちくしょうめ。」
店主「十日で10万円だよ。」
留「ふん。知りたかねえよ。そんな空想話。もしそれが本当だったら今頃店主が銭をしこたま儲けて俺に一杯奢ってくれていそうなもんだろうが。」
店主「何だ、知りたくないんだ。」
留「ああ。知らなくてもいいよ。そんなインチキ話。」
店主「10万円損したな。」
留「負け惜しみじゃなく、俺は何にも損していねえよ。」
店主「損したのはわたしだ。」
留「何?」
店主「この本、1冊千円。1日10冊売って、十日で10万円。勘定が狂った。」
留「呆れた。買わなくてよかったよ。」
店主「節約もいいぞ。節約も究めれば、ある状態から、突然、桃源郷的快楽状況に襲われてだな。」
留「また、ランナーズハイかよ。いいよ、そんな快楽。それよりも立ち読みの冷やかし客ばかりで店主がそんなにイライライライラしているんだから、それを究めれば、桃源郷でも阿片の国にでも容易に行けるんじゃないのかい。」
店主「成る程!それは名案だ。留さんもたまにはまともなことを言う。」
留「だからさあ、我慢して立ち読みを許してくれっていうことなんだよ。」
店主「この際、椅子とソファを用意すべきかね。」
留「そりゃ、何だか凄いね。」
店主「サービスにコーヒーとクッキーでも付けようか。」
留「客の側からしちゃあ、そりゃ有り難いけどよお。そこまでやっちゃ、商売にならないのと違うかい。」
店主「お帰りには『みるみる痩せる方法』か『みるみるお金が貯まる方法』を進呈しようか。」
留「いらないよ、そんな本。」


本日の音楽♪
「乙女座宮」(山口百恵