1万円のラーメン

サラリーマンらしい若者の二人連れが電車内で話している。
A:「知ってるか。1万円のラーメンを食べさせる店があるらしいぜ。一度でいいから、そんなラーメン食べてみてえよな。」
B:「1万円かあ。いったいどんなラーメンなんだろう。」
A:「何でもよ、高級食材の粋を集めた上で3日間もかけてスープを作っているんだと。そのスープの手間暇に金をかけてて、具は何も入っていないらしいんだとさ。」
B:「へえ、そうなんだ。本当においしんだろうかね。」
A:「それがよ、食べた客皆が皆、押し黙ってしまうくらい、うまいらしいぜ。俺も食べてみてえけど、1万円じゃさすがにちいと躊躇するわなあ。」
B:「凄い商売を考え出すもんだね。」

そこへ謎の白髭の老人が現れ、二人の会話に口を挟む。
老人:「うまいから、客が押し黙ってしまうのではないぞ。」
若者達は、なんだこのおっさんは?という視線で老人を見る。老人は全く気にするそぶりも見せずに語り始める。
老人:「決して不味くはないのであろうがな。しかし、そうであるにせよ、この味は確かに1万円を払うに相当する味なのかどうか、高すぎるということはないだろうか、あるいは、値段相応の味として満足してもよいものだろうか。そういったことを食べた本人自身があれこれ思案した末に、結局よく分からぬものだから、黙っているよりないということなのだ。おぬしたちは、1万円のメニューの食材を何か食べたことがあるか?」
二人は首を振る。
老人:「5百円のラーメンが5百円の金額に相当するものかどうか。千円のラーメンではどうか。そういったことは常人であっても、長年の己の経験と自分の舌でその味覚の価値を価額という物差しで判断ができる。しかし、1万円ともなると、そもそもの物差しの距離感が舌と釣り合わなくなる。そこで、混乱が起きるわけであるのだな。確かに旨いには違いないが、本当に一万円に見合う味なのか?とな。」
B:「確かに、松茸にしろ、高級ワインを口にしても、本当においしいのかどうかよく分からないまま、ありがたがって口にしているところはあるよね。」
老人:「然り。それが妥当な値段であるのかどうか誰も文句が付けようがない。そこに目を付けたうまい商売というわけである。」
A:「けれど、松茸でも高級ワインでもよ、1万円にまつわるブランドそのものに価値があるっつう考え方もあるんじゃねえか。」
老人:「それも一理ある。しかし、ブランドと名乗る以上は客と店主の間に暗黙の了解事項が必要になる。ラーメンを食べるという行為に、おぬしならは、味以外の何の価値を求めるというのかな。店の雰囲気か。店主の尊顔か。1万円のラーメンを食べたという事実か。これまでのラーメン屋のラーメンの値段というものは、材料費と人件費と地代に基づいておるというのが一般的ではなかろうかて。」
B:「正に情報の非対称だね。」
老人:「難しいことは分からぬが、1万でも2万円でも店主の言い値の世界であるわけであるな。」
B:「言われてみれば、何だか、虚業の味わいがするなあ。」
A:「それでもありがたがって来る客がいるということは、需要の上に成り立っている確かな商売だということだと俺は思うぜ。」
B:「需要が客の間から沸いて出てくるものなのか、供給側が作り出すかは、両論有りそうだけれどもね。」
A:「それでも、俺はやっぱりその1万円の味を確かめてみたいね。舌がどう戸惑おうがどうでもいいさ。何より、彼女の前でいい顔を見せるという手段として使えるかもしれねえじゃねえか。おい。」
老人が身を乗り出す。
老人:「然らば、拙者に10万円を託してもらえんじゃろうか。その価額に見合った味を馳走して進ぜよう。ラーメンというわけにはいかないが、社会的にも十分価値の認められた正当で本格的な味が所望できるのじゃぞ。」
若者達は、驚いて尋ねる。
A:「10万円の味?」
B:「それってもしかして、デパートで有名料亭のお節料理を買ってきて食べさせるって言うことじゃないの?おじさん。」
老人:「その代わり、手数料は2割いただく。」
そう言って、老人は黄色い歯をみせてニッと嗤った。


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