Quite Breathtaking(なんて、大げさな…)

2009年初冬、当世流行の「事業仕分け」(5年後時点での世間認知度は凡そ不知)において、当該事業に関連する業界団体がWG仕分け人の厳しい御指弾に対して当惑を示す様子がよく報じられていたりするが、政官と業の癒着ぶりを糾弾する構図を支持する多くの諸兄であれば、当然のことながら、そうした当惑ぶりにも耳を一切貸さないのだろうなと憶測をするのである。(喩え地元の商店街が廃れようが公共交通が全くなくなろうがそういった御仁は決してダブルスタンダードは持たないだろうと思うところ、残念ながら、今回はそういった話ではない。)
それでは、例えば、研究開発に携わる人々が同様に、下記のような(当惑よりもはっきりした意思表示である)反対の声を挙げることに対して、上述の諸兄は一体どのようにその模様を眺めておるのだろうか。

◆9大学が仕分け批判、予算削減で「科学立国崩壊」

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20091124-OYT1T00608.htm?from=main3

また、事業仕分けではないが、こういった発言もある。発言しているのは業界の大親分。まあ見事なほどの我田引水ぶりではある。
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/091124/biz0911241709015-n1.htm

また、平成22年度の税制改正論議で見直しの方向となっている租税特別措置については「機能していないものはやめればいい」としながらも、研究開発促進税制や、石油化学製品の原料ナフサに対する免税措置の見直しについては免税措置などの継続を求めた。

当然のことながら、分野は何であれ、こうした反対の声を挙げた人々は利害関係者(ステイクホルダー)であることには違いない。利害関係者が自らの立場を守るために声を挙げることについて、例えば、ゼネコン団体であるとか、農業団体であるとか、教育関係者であるとか、地方公共団体の親分とかの行動との違いは何なのだろうか。
わたくし自身、誰であれ、こうした我田引水な声を挙げることがおかしなことだと端からは思わないが、片や正々堂々怒っても非難はされず、片や当然の報いよとばかりの冷たい視線を投げかけられる、その構図の違いは一体何なのだろうか。公益性の違いで説明できるとは到底思えない。誰か100文字以内でその違いを説明をしてほしいところである。


NYタイムズ紙より。
http://www.nytimes.com/2009/11/21/science/earth/21climate.html?_r=1&em

(仮訳)
◆糾弾電子メールが、気候変動論争の新しい素材になる
(アンドリューC.レヴキン著)
 英国の大学のコンピュータサーバから漏出した何百通もの個人的な電子メールメッセージや文書による糾弾の声が地球温暖化懐疑論者の間で物議を捲き起こしている。彼ら地球温暖化懐疑論者は、当該分野の科学者が気候変動に対する人類の影響を誇張的に捉えていると以前から指摘をしてきたところだ。
 著名な米国と英国の気候研究者によるやり取りを発端にしたこの電子メールメッセージは、科学的なデータに関する議論を含み、懐疑論者との議論に戦うための最良の方法についての意見のやり取りやそれを公表すべきかどうかについて、あるいは、懐疑的な意見で知られている特定の人々を嘲笑するかのような稚気のコメントについて記していた。科学的論文の草案と写真の中には、大幅に削られたデータや改竄があり、その幾つかは13年前まで遡るとされる。
 ある電子メールのやり取りでは、科学者が最近の急激な温暖化の兆候を例示しているとされる図表の中で統計的トリックを使用していると明記している。別のメールでは、或る科学者は気候懐疑論者を「おマヌケ」とも言及している。
 一部の懐疑論者は、この金曜日、こうしたやり取りが科学的情報の公表を控える体質を白日の下にさらす証拠になるものだと主張した。「動かぬ証拠ではありませんが、明らかに疑惑の『きのこ雲』ではあります。」以前から人類の活動を起源とした温暖化の証拠を批判し、論文で非難してきた気候学者のパトリック・J・マイケルズ氏は、そのように述べた。
 やり取りの中には、懐疑論者のキャンプに包囲されたが故に敵意を抱き、データ不具合が散財することを心配する科学者の姿も垣間見られる。
 地球温暖化に対する人類の寄与度を示す証拠は、いちゃもんをつけられた挙証材料が全体的な議論の土台を腐食しそうにはないほどに、広く受け入れられている。尤も、これらのやり取りは、特定の疑問や一部科学者たちの行動に関する研究の質という点で、疑うべき余地のない問題を提起しているものでもある。
 いくつかの電子メールのやり取りでは、全国環境研究センターの気候学者であるケヴィン・トレンバース氏と他の科学者が、最近の温度変化の認識ギャップについて議論をしている。懐疑論者のウェブサイトでは、特に1本の線を指し示す。「事実、我々は現在、温暖化の欠失を説明することができず、それ自体、茶番劇のようだ。」と、トレンバース博士は書いている。
 また、電子メールメッセージの保管庫にも、この報告者を含むジャーナリストへの言及や、彼らの発表した論文に対するジャーナリストからの質問するものがあった。
 イースト・アングリア大学当局は、声明の中で、当該ファイルが大学サーバーから盗まれたものであって、警察当局が捜査していることを金曜日に認めた。但し、彼らはインターネットで回付されている全てのメールが本物かどうかは確認できないとも付け加えた。
 しかしながら、ニューヨーク・タイムズ紙の取材を受けた数人の科学者らは、彼らがファイルに含まれる特定の電子メールのメッセージの発信人や受取人であることを認めた。何百人もの交渉者が来月コペンハーゲンでの会議のために、国際的な気候枠組み協定を協議する準備を行っているが、このような想定外の事実は、大衆の議論に火を点けるに違いなく、或る科学者は、少なくともこのタイミングについて偶然の一致ではないだろうとの推測を披露した。
 トレンバース博士は、電子メールメッセージの発散に愕然としていると口にした。
 その一方で、彼はこうした意外な事実が気候懐疑論者にとって逆効果に働く可能性があることについても付け加えた。彼は、メッセージについて「科学者の健全性を示す」ものだと思うと述べた。依然として、コメントのいくつかは、不吉の予兆と解釈されることの証左となる可能性は消えない。
 1999年の電子メールのやり取りで、過去の2つの世紀にわたる気候パターンを示している図表について、イースト・アングリア気候変動ユニットの気候研究者であるフィル・ジョーンズ氏は、もう一人の科学者であるマイケル・マン氏によって、温度の「低下を隠す」ために「トリック」が使用されたと述べていた。
 ペンシルバニア州立大学の教授であるマン博士は、インタビューの中で、電子メールのメッセージが本物であることを認めた。彼は同僚による用語の選択が未熟であったと述べたが、その一方で、科学者が問題を解決し、「手品のタネが何もない」ことを確認するための最良の方法と言及するためにしばしば「トリック」を使用することを明言した。
 2つの研究によるデータのセットが問題になった。1つのデータセットは、樹木の年輪に対する長期の温度影響を示し、他のデータセットは、過去100年の温度計の読み方を示すものであった。
 前世紀において、年輪と温度は1960年まで一貫した上昇を示している。温度計が現在まで一貫してそうした傾向にあった一方で、年輪のいくつかは、未知の理由のために、上昇傾向をもはや示していなかったのである。
 マン博士は、年輪データの信頼性について異議が認められると説明したため、彼らはもはやこの温度変動の問題を追跡しようとはしなかった。しかし、彼が年輪のデータ使用を却下したことは隠蔽の意図が何らあったものではなく、10年以上もの間、科学文献とされていたとも述べた。「それは確証的に聞こえるかもしれませんが、話していることについてあなたが見ても、それはそこにはないのですから。」と、マン博士は言った。
 そのうえ、それ以外の独立した、間接的な温度変化の測定値は、温度上昇を示す温度計データと広範囲に一致するものであった。
 電子メールメッセージを書き込んだジョーンズ博士は、インタビューを辞退した。
 ブロガーであるステファン・マッキンタイア氏のウェブサイト(climateaudit.org)では、気候パターンの図を作成するのに用いられるデータに長い間疑問を呈してきており、電子メールメッセージにおいて熱い批判を幾ばくか行い、今回の意外な事実を「全く息をのむような」と述べている。
 しかしながら、電子メールメッセージの中で名前が散見される幾人かの科学者は、単に科学者も人の子であることが示されただけのことであって、地球温暖化の研究の質を下げるものでは全くないと断言する。「我々全員が素晴らしい人間であれば、科学は必要ないでしょう。」様々な気候研究についての同僚との電子メールのやり取りが残されていたNASAの気候学者であるギャビン・A・シュミット氏がそう言った。「仮にニュートンはロバだったとしても、重力の理論は存在し、機能するでしょう。」
 彼は、イースト・アングリア大学の違反行為に関して、彼が他の数名の科学者とともに地球温暖化が真実であることを主張するNASAとは無関係のブログ(realclimate.org)をサポートしている別のサーバに侵入するために火曜日に接近してきたハッカーの後で、その違反行為が発見されたのだと述べた。
 侵入者は、偽のブログのスレッドをそこにつくり、英国からの全ファイルの束をアップロードしようとした。その努力は妨害されたと、シュミット博士は言う。そして、イースト・アングリア大学気候研究ユニット内の関係者に通知された、と。ファイルからの詳細を明らかにした最初のスレッドは木曜日にAir Ventに現れた。そして、ウェブサイトが懐疑論者の議論によって占領された。
 最初に、地球温暖化コンセンサスに関する科学上の幾つかの点を問題としていた気候学者のマイケルズ博士が言及したが、彼の本能は「まさに科学者の会話」として、そのやり取りを無視するものであった。
 しかし、金曜日に、彼はそれらをより深く読みこんだ後に、いくらかのやり取りについて公表データの独立したレビューを妨害する意図が反映されていることが感じられるとも言及した。
 彼は、いくつかのメッセージについて、彼の研究が間違っていることを彼が知っていたと主張することによって、ウィスコンシン大学での彼の博士論文の真実性に疑問を呈することで、彼の評判を落すことになるだろうと口にした。「人には、規則を曲げてまで、非常に深刻な方法で他の人々の評判を求める気持ちがあるということを示すものだ。」と、彼は言う。
 地球温暖化研究を計画している物理学者で歴史家でもあるスペンサー・R・ウィアート氏は、いちゃもんをつけられた材料こそが「歴史家にとってはすばらしいデータ」なのだと述べた。


ああ、なんだか、これを読んで、「宇宙創生」(サイモン・シン)の下巻のビッグバンモデルと定常宇宙論を巡る丁々発止の論争のくだりを思い出したことであるよ。(但し、今回のテーマは枝葉の先に付着した塵程度のものかもしれないが)真理を究明するステップとして、最善かどうかは兎も角、健全なプロセスであることには間違いないのであろうなあ。
科学は独自の規範があるからそうした健全性の判断は容易と言えば容易なのであるが、是とは別に、政治的判断であるとか好き嫌いの主観であるとかそういった高次かつ低調なやり取りになってくると健全のメルクマールは途端に分からなくなってしまう。加えて、科学の関係者がそうしたプロセスにクレームを唱えては、何が何やらもはやはらほれひれはれではある。
というわけで、本日の結論は、到底わたくしには冒頭の100文字以内での違いは説明できない、ということで。


本日の音楽♪
「青い影」(プロコル・ハルム