列車に十時間以上揺られて平然と草臥れている、昔の鉄道ミステリの旅情性が好きである

ミステリ好きを自称している手前、鮎川哲也は、おおむねの作品を1回から2回は少なくとも目を通している筈である(しかし、だい作家である●田●夫作品は一冊も完読したことがない、偏向読者の謗りを免れまい)。実写化とは遠い位置にあるかもしれないが、何年か毎に必ずブームが来る有名作家ではある。どの作品も水準が高いと思うが(鬼貫ものもいいが、「りら荘」のような本格論理ものも好み)、唯一頭を悩ましている作品が「黒いトランク」である。

1回目に読んだときはトランクのトリックがよく理解できなかった。トランクがどのような行程でどのように動いているかということが複雑すぎてよく分からなかった。2回目に読んだときはトランクの動静は漸く理解できたつもりだったが、トリックの意味がよく理解できなかった。トリックとアリバイの関係がよく分からなかった、ということである。
それで、今回は、3回目のチャレンジである。物語は非常にシンプルで、こんな単純な話であったか、と思いながら、すんなり三百頁余を読了。で、今回は、このトリックによって、犯人にアリバイの利益が及ぶことも理解できた。しかし、依然として、わたくしは首を捻っている。つまりこうしたトリックを持ち出す動機、必然性がよく分からない。犯人は「道具立てが揃ったから」と言っているが、わたくしの言いたいのは、そういう意味での必然性ではない。このトリックによって、犯行現場を惑わし、犯人の不在証明を暗喩しようとするその意図は理解しているつもりであるが、どうしてこのトリックが犯行の「必要十分条件」になっているのかが、わたくしには分かっていないのである。論理のアクロバットだと評論家が絶賛をする部分は、犯行不能という十分条件を満たしてはいるが。要するに、有り体に言えば、トリックの仕掛けが犯人の身をヘッジしているにせよ、トリック自体の存在が犯人を一人しか指していない。その事実は、犯人にとって著しい不利を齎すとおもうのであるが、どうか。
であるからして、この作品に瑕疵があるとまでは言わない。「アマルフィ」のような引っ繰り返るトリックの存在の動機付けもないし。今回は、鬼貫警部(補)の憂愁を改めて味わうことができたことが収穫であった。



本日の音楽♪
「春夏秋冬」(ヒルクライム