正論、それは限りない未来(青雲のテーマ曲に乗って唄おう)

先日来、世界の食料安全保障問題が盛り上がっているのか盛り上がっていないのかわたくし自身の中で右往左往してきたところはあったが、盛り上がろうが盛り上がるまいが、正論は正論と、この際、開き直ってみたい。
ということで、今回はガーディアン紙。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/cif-green/2009/nov/16/biodiversity-hunger-jose-manuel-barroso

生物多様性−飢餓に対する保証
(記:ホセ・マヌエル・バローゾ欧州委員会委員長)
食料安全保障を確立するために、我々は作物の多様性を促進し、科学的根拠に基づいた地球の緊急非常事態システムを確立する必要がある。

 本年も多くのサミットが行われたが、食料安全保障に係る世界サミットは大勢に紛れて見えなくなるようなどうでもいいものではない。11月16〜18日にローマで開催されるこの会議は、現在の時代において最もチャレンジングで密接に関連する3つの問題に対する重要な政治的モメンタムを提供するものである。即ちそれは、食料安全保障、生物多様性、気候変動である。
 総じて言えば、我々は世界的な飢餓問題への対応に失敗してきた。世界中で10億人以上の人々が、今日においても、日々の基礎的な栄養ニーズを満たすために十分な量の食料が得られていない。そして、発展途上国ではその状況がさらに悪化している。
 これは率直に言って、道徳的に道を外れた行為と言わざるを得ない。それでは、人間が月に行き来できようというこの21世紀において、この地球上で誰もが食べていくことができるというわけではないということはどうしたことなのだろうか。政策担当者は、食料不安が経済危機と現在進行形の気候変動による持続的効果と関連があって、そして、それが確かに我々の世界的なコミュニティに対する脅威を意味するものであるということを潔く認めなければならない。
 公平に見て、世界の指導者達はこれに応えようとしている。先般のイタリア・ラクイナでのG8サミットで、我々は「世界的な食料安全保障を達成するために必要な規模とスピード感をもってこれに対処する」ことについて断固たる確約を行い、今後3カ年にわたり総額200億ドルの寄付を申し出たところである。これはかなり大きな関与ではあるが、それで十分とは言えないかもしれない。食料不安、並びに、農業に対する気候変動の影響増大に対処するためには、農業生産をさらに増大させ、貿易の潜在量を増やしていくことが必要である。
 欧州委員会もまた、複数の手法を通じた食料安全保障の融資に向けた対応を講じているところである。昨年同意された我々の欧州連合食料機関は、食料品価格の高騰に急速に対処するために、さらに15億ドルを動員している。そして、食料安全保障を改善し、気候変動に適応する国を助けるための活動資金として、今後3カ年でさらに40億ドルをくみ上げる計画である。
 とりわけ、食料安全保障問題に対処する追加金は、サミット日程上、次の重要な会合(12月のコペンハーゲンでのCOP会合)のために、EUが強い支援を行う金融パッケージの鍵となる成果の一つとなるものである。農民がうまく適応することができるのであれば、気候変動のパターンと天候状況の頻度を変えることは相当な投資を必要とする。こうした気象変化は最も貧しい者が最大の影響を受け、世界的な傾向として地域間格差の拡大を覆い隠してしまうものである。
 専ら発展途上国の小規模農民たちが気候変動の矢面に立つ。我々が手をこまねいていれば、2080年までに、主にサハラ以南のアフリカとラテンアメリカの40の最貧国が、干ばつによって基礎食料である穀物類の10%〜20%を失うこととなろう。
 しかし、この問題に対する解決策は、我々の手の届く所にあるのである。生物多様性の影響はしばしば不十分な理解の上に成り立っている。それは、我々が世界的な挑戦に取り組むことに対する貢献を過小評価することを意味している。所要の生態系の中の生物形態の変異種がより多様であればあるほどに、変化に対して頑強なのである。
 このため、生物多様性は突然の環境変化に対する自然の「保険証」とも言うべきものであって、病害に起因する損失に対する準備金の働きをするものでもある。生物多様性は、信頼でき、かつ、安定した長期の食料生産にとって不可欠なものである。19世紀のアイルランドの飢饉、そして、20世紀後半のエチオピアの飢饉は、環境変化への対応ができなかった作物の脆弱性とそのような脆弱性の劇的結果の明瞭な証拠を提供するものであった。
 作物の多様性は、重要な生態系の利点にもつながる。干ばつや洪水に耐性のある品種は、生産性を向上させるばかりでなく、土壌侵食や砂漠化を防ぐこともできるものである。例えば、南ガーナでは、農民はいくつかの干ばつ耐性のある品種を用いて収穫種を維持するとともに、雨量変動や予測不能性に起因する不作を減らすことができるようになった。そのうえ、作物の多様化は、環境的に有害で高価な農薬の量を減らした。
 このため、私は、我々が気候変動と食料不安問題に取り組む際に、生物多様性のプロフィールを増大させつつ、この問題により高い注意を払う必要があるということを確信している。
 指導者たちがローマで会った際には、飢餓や食料不安と戦い、特に政府と国際機関に食料安全保障について助言を行うための権威ある機関を確立することの重要なプライオリティーについての同意を望むものである。実際に、国連の気候変動の政府間パネルと同様のものを食料安全保障のために必要である。科学的知見に基づく世界的規模での食料緊急非常事態システムである。そして、初めの5年間に、私がこの重要な問題のためにできることすべてを実行し続けるだろう。
 しかしながら、先進諸国の政府が自らの責任を現金と農業投資の改善に変換することができないのならば、最高で最新の輸血方針さえも無用の長物のままとなろう。
 このことから、要すれば、食料安全保障に関する世界サミットは、すべての政府から一般人に至るまで関与の具体的な証拠を提供するものである。飢えのない世界のために。我々がこれに失敗すれば、歴史は我々を断罪するだろう。


そこで、このポルトガル人のおじさんの正論についてであるが、単一作(モノカルチュア)よりも複数作物を作付けしたほうが、環境的にもリスク分散的にもあるいは持続性の観点からも優っているという論調は、或る意味、分からないでもないが、それはきっと、単一作(バナナ、サトウキビ、コーヒー等)という極端な事例を対照区にしているからそう強く思えるのであって、そんなに単純に切って割って語れる話では、実はないとわたくしは思うのである。であるから、極端な一般論として耳に入れておいた方がよさそうだ。
わたくしのいつもの大原則を繰り返しここに明記しておこう。

*そもそも農業という開発行為が環境に対して多大な負荷を及ぼしている(化学肥料や農薬の投入如何に関わらず)その宿痾から逃れられない
*その中で、アジアモンスーン型の水田作は相当に持続性を維持できる例外的生産システムである

水問題を考えればサブサハラ以南で畑作しかありえないという制約要因は理解はできるが、仮にわたくし自身が当該地域での農業生産を考える際に重要視するとすれば、経営の持続性>>環境影響というプライオリティを矢張り尊重して、作物選定なり経営計画を立案したい(それと、アイルランド馬鈴薯疫病を広義の気候変動問題と捉えることには少なからず無理を感じる。このことは農業近代化の文脈の中でこれを克服してきたことを社会の授業で確か教わってきた筈で、生物多様化ではない)。


本日の音楽♪
「青春」(TOKIO