リチャード・ドーキンス博士斯く語る

LAタイムズ紙からの話題は、進化学の雄、動物行動学者リチャード・ドーキンスへのインタビュー記事。進化論が当然の如くには語られていない米国でのインタビューであるからにして、対岸の教室で行儀良く座って黒板を書き写している日本人的には興味深い内容なのではないかと予断をする。
http://www.latimes.com/news/nationworld/nation/la-sciw-dawkins-qanda4-2009nov04,0,4454290.story

(仮訳)
生物学者リチャード・ドーキンス、進化論について語る
『地上最大のショウ:進化の証明』の著者は、一般大衆に対する科学的プロセスの理解増進に向けてその情熱を注いでいる。
(By Lori Kozlowski)

 凡そ150年前、チャールズ・ダーウィンが記念すべき書物「種の起源」を出版して以来、研究者達は、進化の過程と仕組みについての支持を示しながら、それに係る大量の証拠を探し、獲得してきた。それにも拘わらず、今日、米国民の10人に4人しか進化論を信じていないとされる。
 著名な学者で、率直な無神論者でもある、英国の進化生物学者リチャード・ドーキンス博士は、進化に関するベストセラー本を何十年にも亘り精力的に書き連ねており、大衆社会に対してこの問題を真剣に考えるよう繰り返し働きかけてきた。彼の最新の著作である「地上最大のショウ:進化の証明」(2009年)は、進化がどのようにして成し遂げられてきたのかをイラスト入りで詳しく解説したものである。(タイムズ紙の書評はここをクリック)
 科学的プロセスに対するドーキンス博士の深い賞賛と敬意は、常に明白である。彼は、生物学に作用する力、自然選択の繊細性と完全性、かつては海に住んでいた全ての生物に係るメカニズム、ダーウィンが蘭をかつて愛した理由といったことについて網羅的に著述している。
 ドーキンス博士は、この即問即答の中で、今回の著作と進化に関して現在行われている議論について話してくれた。


Q:博士の前回の著作「神は妄想である」は、神への個人的信仰が誤りであるだけでなく、不合理なものでもあると主張していましたが、今回の最新作は、証拠と科学的プロセスを駆使して説明することによって、より教育的な教科書のようにも思えます。それが著者の狙いなのでしょうか?
A:ええ、それが意図ではありました。但し、この本は教科書ではなく、あくまで一般大衆向けに書いたものなのです。

Q:この本を通じて、進化の過程に対してまるで畏敬をもって語っているように、博士にはほとんど愛にも似た深い尊敬の念があるようにも見えます。進化論とは博士にとっての宗教なのではないでしょうか?
A:いやあ、そうは言いたくありませんね。「畏敬をもってその過程を語る」というあなたの言い方は、私も嫌いではありませんけれど。

Q:生物学や生物学的プロセスにおいて、はたして生命は複雑なものなのか、それとも単純なプロセスのものであると言えるのでしょうか?
A:生命は非常に複雑なものです。しかし、それを引き起こすプロセスは、非常に単純なものなのですね。

Q:序文の中で、これまで強固なものとは言えなかった進化の証拠がより強固なものへと日夜成長していると説明をしています。最近の強固な証拠とは、一体どのようなものがあるのでしょうか?
A:かなり新しい分子遺伝学からの証拠が考えられますね。この本の中で私は、ミシガン州のリチャード・レンスキー氏が行った細菌進化に関する非常に優れた業績を解説しています。
(注:レンスキー氏は、1988年以降継続中の長期試験を行っており、それは、当初全く同一であった大腸菌の12群の遺伝的進化の変化を追跡し続けているものである。)

Q:第一章で、第二次世界大戦ホロコーストについてを教えようとする歴史教師とホロコースト否定論者による逸脱をアナロジーにして引き合いに出しています。そして、今日の科学教師についても、進化論を教えたくない集団に直面をする同じ状況にあるのだと言及しています。これは、アメリカ特有の問題であるとお思いでしょうか?
A:そうではありません。英国でも同様の問題があります。英国では、学校の中でイスラム人口が増大していることがその原因であると私は考えています。他のヨーロッパ諸国も同様であって、オランダとベルギーからも非常に不愉快な話を聞いたことがありますね。

Q:科学教師は、どのようにして進化の話題を教えることに励めばよいのでしょうか?
A:それは大変難しい問題です。私は彼らに同情します。ある程度の勇気を必要としますし、可能性があるのならば、どんな方法ででも助けたい気持ちですね。

Q:博士はこう書きました。「我々人間は、チンパンジーのいとこなのであって、猿のいくぶん遠いいとこであって、ツチブタやマナティのより遠いいとこであって、そして、バナナやカブのさらに遠いいとこであるということは、明白な真実なのである。」自分が自分よりも小さなものと関連性があるということを人間として受け入れるのが難しいだろうことについて、博士はどう思われますか?
A:ええ。それは難しいことでしょうね。「自分よりも小さい」ものと表現すること自体が、何か尊大な感じですしね。ビクトリア朝時代であっても、類人猿と猿は、いとこではないけれども、おもしろおかしい象徴として親近感を持って考えられていましたから。

Q:この本の中では、特定の結果に適合させる遺伝子プールを育て、管理することについて記述しています。我々自身の遺伝学の粘土でもって人間を形づくることを近い将来、この目で見ることができるということなのでしょうか?例えば、生物工学技術などで。
A:私はそうは思いません。過去千年もの間で、我々はいつでもそうすることができました。グレイハウンドもブルドッグもバラもそうして作られたものです。人間にもそれが適用できたでしょう。それにも拘わらず、我々が現在、生物工学技術を使い始めたのは、どうしてなのだと思いますか?

Q:進化について、あまり知られていないか、あるいは、最も誤解されている事実とは、何でしょうか?
A:問題または可能性として、導かれていないもの。人々が、唯一それに置き代わるものとして、インテリジェント・デザインというものを信じていることでしょうか。

Q:進化論を理解することが科学の中で最も重要な科目であると思いますか?
A:そう言われる多くの証拠があると思いますね。理解するということは、とても刺激的で、思ったより簡単なことなのですよ。

Q:世界中のあらゆる人々が進化について正しく理解するならば、この世界がより良くなると博士は考えますか?
A:人々が十分に理解するならば、世界はより良いものになるとは思いますね。

Q:博士は、知的な牧師、伝道者及び宗教指導者がアダムとイブは決して実在しなかったことを認識していると言及しています。それについてもう少し教えて下さいますか?
A:それは明白なことでしてね。もちろん、彼らはアダムとイブを信じていませんからね!そして、それが比喩であるということも彼らは知っています。しかし、会衆の多くは、彼らの説教を言葉通りに理解しているのです。

Q:博士がこの本と進化に関して科学界全般に望むことが一つあるとすれば、それは何でしょうか?
A:思うに、それを「理論」と呼ぶのを止めることでしょうか。人々を混乱させるだけですから。それは「事実」なのだと呼び始めることが必要でしょう。


もっと皮肉的な応酬があるのかしらとも思ったが、存外、穏便なやり取りではないか。但し、最後にビシリときつい一言で締めた。英国人と米国人による「ほんわか」予定調和な空気とは少しばかり異なる受け答えではある。この中では、科学的アプローチについて(自他共に)重視をする博士と、敢えて直接その話題には入らずに(つまり、科学の土俵や科学の視点からは意識して距離を置き)、周辺的傍証で説明させようとするインタビュアーとの象(:かたど)り作業の微妙なズレのようなものが個人的に興味深かった。


それはそれとして、本題とは直接関係ないが、会話の中でも出てきたように、愛玩生物や栽培種の人為的育種操作(並びに、時間の積み重ね)における遺伝的変異→表現型的変異は、改めて想像するに、それは見事な可視的所産ではある。
脱線しがちな、人間にその技術を適用するかどうかというお話は、近時、法理的境界が相当明確に線引き可能であるので、人間への適用問題はそちらの方にお任せすることにして、それ以外の生物種への適用に関しては、既に多くの実例というエビデンスを目にしてきているわけである。金魚しかり。朝顔品評会しかり。新野菜しかり。


それに対して、科学の進展が「神の域」を超えているかどうかという議論が何度も蒸し返されていたりするとすれば、こと育種(人間への適用問題を捨象したほうが考えやすい)に限っては、或る意味、それは今更ながらの話なのであって、万一神を意識することがあったとしても、それは最先端科学に限定することなく、わたくしたち人間が行ってきた過去の営み全てに対して思いを馳せるべきなのであろうな。喩えるならば、人間が生きていること自体が環境に対して何よりも多大な影響を及ぼしているという事実のようなもの。
だからといって、人間の存在や営為自体を悪の所産のように転嫁して考えることも、よくある大間違いではあるので、そのように受け止めてはいけない。詰まるところを言えば、偽善偽悪ぶることなく、あるがままに考えれば、唐突に「神」の話は却々登場しづらいものだと思うのであるがな、と無神論者は考える。


本日の音楽♪
「ふりむかないで」(ザ・ピーナッツ