ニュージーランドに行こう(何を見に?)

今現在、日本全体として十分に質の高い生活水準を確保しているのだから、これからは経済成長などしなくてもこの国の豊かさは何とか確保できるだろう(だから働くことばかりにアクセクしなさんな)という呑気な空気を携えたオプティミストの予測は、いつか自分の衣装の襤褸に気が付く蟋蟀のように、しっかりと後悔を爾後の道に墓標として立たせてくれるだろう。過去の富の抱え込みに拘泥する旧主力世代は、尚更なのであるが、おそらく彼らはこの国がどうなろうとあの世まで富を抱え込んで逃げていく。
さて、最近のウォールストリートジャーナル・アジア紙で、南半球のニュージーランドに関する別々の記事を立て続けに2つ、目にした。電媒では見当たらないので、リンクは貼れないが、2つの記事の大要はおおむね以下の通りである。


◆農業は温室効果ガス排出源の約1/7を占めるが、この部門での排出量削減は食料生産とトレードオフの関係をもたらす。両者の両立を可能とするために、ニュージーランドは、範となって、農業における排出量取引制度を目指す。このため、具体的には、主要国との間で、新技術に関する国際的なR&D投資や知識共有化を目指したグローバルアライアンス活動を提唱している。これまでこうした取り組みを主導する国際的機関が現存しない状況の中で、この科学者主導の分散方式ネットワークが農業からの排出量削減に多大な効果をもたらすだろう。


◆徹底的な貿易自由化を率先垂範してきたニュージーランドが最近さらなる自由化に躊躇しブレーキをかけ始めている(これまで以上に関税引き下げ・撤廃を行わない方針を政府首脳が示している)。貿易自由化は、国内消費者や輸入原料を利用する国内輸出業者に多大な利益をもたらしてきた。その結果、目覚ましい経済成長が実現してきた。今回の政府判断によって世界貿易に著しい影響を与える訳ではないが、これは明らかな判断ミスであり、将来に禍根を残す。


いっけん日本と似通っても見えるニュージーランドは、しかし典型的な第一次産業立国であるという点で、産業構造は相当に異なる。農業先進国ではあるのだけれども。本記事に対する詳しい論評を本ブログで開陳することは遠慮することとするが、気付きの点を雑駁に指摘しておきたい。
まず、第一のニュースに関しては、グローバルアライアンス活動の具体的イメージの先進性がよく理解できていないものの、世界全体の農業を環境と調和したものにパラダイムシフトさせるという政策的意図はよく感じられる。ただし、そこでいつも問題になるのは、アジアモンスーン型の水田稲作についてであり、欧米の地力収奪型畑作農業と異なり、その装置自体が持続的要素を多く備えている。その違い(突き詰めれば、文化の違い)を世界的に共有できるのかどうか、二酸化炭素というメルクマールだけでその点を十分に捕捉出来るかどうかが焦点ではないかと思われる。
第二のニュースに関しては、当該新聞社の思想信条は分からないでもないが、本当にニュージーランドは貿易自由化で恩恵ばかりを被ってきたのか。かつての高度成長の時のような日本と同じように、貿易自由化によって世界との豊かさの差を縮めたといえるのか。例えば、1人当たりGDP購買力平価換算ベース)では、むしろこの20年の間に世界との差を広げてしまった(ニュジーランドのGDP数値はじり貧で低下傾向)という調査結果も見られる。
いずれにせよ、或る意味、壮大な国家的実験を繰り返す興味深い国ではある。


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「カムズ・ラヴ」(アイリーン・クラール)