俺のものは俺のもの?

BadScience、今回のテーマは「特許」。
http://www.badscience.net/2009/09/please-give-us-all-your-money/#more-1336

◆あなたのお金を全部下さいな
 特許は科学にどのような影響を及ぼすのか。インドで今週、米製薬企業のGilead社が地元企業による彼らのエイズ治療薬テノフォビル(Tenofovir)の安価なコピー品の製造差し止めを求めた控訴審の棄却が言い渡された。Gilead社ばかりではない。2007年には、ノバルティス社がインド政府に対して弱体な特許法を強制することのないよう求める長期間の係争が棄却をされた。インドは、世界の中で最も自由に医薬品を取り扱える国なのだと言えようか。
 安価ということだけがインドにおける医薬品アプローチの唯一の利点ではないのかもしれないが、確かにそれは安い。先進諸国におけるテノフォビルのコストは、年間1患者当たり5,700ドルであるが、インドにおけるジェネリック医薬では、それがちょうど800ドルであり、発展途上国での利用が可能である。この価格差があるために、世界中でエイズ治療薬を口にする4百万人の人々のうちの75%は、ジェネリックのコピー薬を使っている。これらのほぼ全てはインド国内で製造され、実際に世界のエイズ患者のおよそ40%は、たった1つの企業(抗レトロウイルス薬において現在世界最大手メーカーであるシプラー社)で製造された医薬品を口にしている。
 特許やライセンス許諾を無視するこうした問題は、シプラー社の責任者であるユスフ・ハミード博士が主導をしてきた。各々の薬について異なる企業が所有権を持つが、彼は3種の医薬品(スタブジン、ラミブジン、ネビラピン)を組合せて、1つの錠剤を作り出した。このことによって、治療のコンプライアンスを増加させ、医薬品を正しく容易に口にすることができ、長寿を確約する一方で、耐性菌の出現頻度を減らすことにつながる。
 ハミード氏の錠剤はトリオムーン(Triomune)と呼ばれる(彼は発展途上国向けにタミフルのコピーであるアンチフル(Antiflu)も数多く提供している)。2001年に、彼は年間一人当たり350ドルの価格でMSFクリニックに販売した。これはこれら医薬品の公定価格よりも約30倍以上も安価である。トリオムーンは現在では年間たったの87ドルである。これは驚くべきことには違いない。ハミード氏はまさしく英雄である。
 グラクソ・スミス・クライン社のリチャード・サイクス社長(現在は引退し、インペリアル・カレッジ・ロンドン社の代表)は、それに対して反論を唱える。彼は、ハミード氏を「海賊」と呼び、インドのジェネリック医薬の品質が「不確か」だと言う。ハミード氏は、グラクソ社のことを高額な医薬品の請求を行う「世界的規模の連続殺人犯」と呼んでいる。一体どちらが正しいのだろうか。
 医薬品特許は、インセンティブによるメリットと技術革新の阻害との間のトレードオフの関係を埋めるものである。市場に医薬品を上場販売するためには、およそ80億ドルと10年の歳月を要し、その間、収入は何もないし、途中段階のステージで多くは頓挫をしてしまう。この後、甘味料として販売をし、経費を回収し、利益を上げる唯一のメーカーになるためには、さらにあと10年を要することとなる。
 もう一つのメリットは、我々全員にもたらされる。コカ・コーラ社が自らのレシピを保護するために行ったような強制的機密保持に頼る代わりに、特許は製薬企業が人前で堂々と詳細な情報を公開することを認めるものである。そして、それは他者が技術革新を行うことを支援するものでもある。アイデアを保護することは、より小さな企業が外部の投資家と協議をし、彼らの理論を開発させることを促進させるものである。
 しかしながら、特許は技術革新を遅らせることもある。たとえあなたの競争相手が関連分野においてより広い専門知識を有していたとしても、彼らはあなたの医薬品の派生品の開発研究や改善研究を行うことが阻害され得る。トマス・エディソンは、電球の改善に関し幅広い特許を得ることができたが故に、ビジネスの分野外で技術改善を画策した彼の競争相手はその制限を強く受けることとなった。飛行機に関するライト兄弟の特許について他者へ利用開放することを最終的に許諾同意したことは、世界大戦に繋がった。
 そして、もう一つの不利な点は、当然のことながら、独占である。特許を有するあなたが当該医薬品の唯一の提供者であったとして、その価格を各国毎に定めるとした場合、あなたの医薬品が人命救助に適うものであるとしたならば、誰もがそれにお金を払わなければならないか、さもなければ、死ななければならないという選択権を与えられることとなる。その結果、多くの場所で、人々は死に直面するだろう。今日、世界でエイズウィルスとたたかっている3,300万もの人々がいて、毎年200万もの人々が亡くなっている。そして現在、この5年間にわたる英雄的な行為にもかかわらず、処方箋を必要とする人々の70%は当該医薬品を未だ手にしていないのが実情なのである。
 特許は、通常言われるところの正義の感覚から生まれたものではない。アブラハム・リンカーンが言うように、それは、「興味という燃料に才能という火を点す」技術革新のためのインセンティブとなるものである。したがって、発展途上国の国々からどれくらいの燃料を獲得できるのだろうか。MSFによれば、例えばアフリカは、世界の医療マーケットのわずか1%を占めるに過ぎないとされる。
 5,500億ドルと言われる世界の製薬産業が発展途上国における特許の利用のための経済的ケーススタディを作ろうとしているのならば、世界市場における金銭的インセンティブによる医薬品開発のメリットこそがとても重要であることを彼らは主張をしなければならない。そのインセンティブの鎖が何百万人もの不必要な死よりも重要であるということを彼らは主張しなければならない。私は健全な経済学者ではないが、しかし、私はそれが公平な交換であるということには疑問を抱いている。そして、このことが特許法創案の理由ではないだろうとも思っている。


わたくし自身ウィットの精神に富んでいないために、表題と内容の関係がいまいちよく理解できていないが、今回の内容自体は、昔から巷間言われているところの特許における本質的二面性(共有と独占を巡る矛盾)について指摘をしているものである。
そうした意味において、今回の指摘の対象は本質を外しているとは思わないが、指摘の深さはどうなのだろうか。正直些か甘い(浅い)ような気がする。
特に医薬品関係産業の成り立ちという意味も込めて、この業種における開発投資と独占的気質は本質的な側面も備えており、特許一括りで捉まえることは乱暴に過ぎるのではないだろうか。少なくとも、筆者が指摘をする二者(社)択一の話ではなさそうであるとわたくしは思う。


さて、こうした特許の本質的な意義に関しては、昔から議論されているという意味において、表舞台でのそれも同様であり、アメリカ辺りでは議会でずっとそんなような議論がたたかわされている。例えば、こんな議論。根っからの特許否定論者はいないが、程度の差こそあれ、独占と共有化の兼ね合いを皆模索しているようではある。
http://science.house.gov/publications/hearings_markups_details.aspx?NewsID=1918
そして、中にはインドの博士と同じように、特許は人民の権利なのじゃ(共有化するのじゃ!)と叫ぶ団体もアメリカにはある。例えば、こんなところ。
http://www.essentialinventions.org/
いずれにせよ、昔から、侃々諤々或るテーマのようではある。


とは言え、わたくしもその筋の専門家では当然にないので、こうした命題に的確に答える解答を持ち合わせているわけではない。
極論をもって答えるとするならば、どこかの一企業が独占をしてるが故に発明の利益が世界中で享受できないのも困るし、まねっこコピー技術だけで世界の商いルール(WTOとかWIPOとか)の隙間を姑息に蠢くようなアウトサイダーにも困ったものであると考える。
したがって、金融街では聞き飽いた声かもしれないが、これからはバリトゥード(何でもあり)の土俵ではなく、法制的枠組みを超えた部分で、相当倫理的な規範が必要なのかもしれない。


本日の音楽♪
「ユー・センド・ミー」(ラシェル・フェレル)