生物多様性宣言

地球規模での環境問題と言った時に、主に「地球温暖化(気候変動)問題」と「生物多様性問題」の二つ挙げられるというのが地球規模での共通認識である。異論を挟みたい者もあろうが、現にそれを射程とした二つの条約が出来てしまっていて、その枠組みで世の中が動いているのだから、不満があれば裏山の頂上で勝手に叫んでいるしかあるまい。


その一つ、「地球温暖化問題」については、巷間騒がれているように、科学的根拠が如何辺かは横に置くにせよ、二酸化炭素排出量の削減目標にそのスコープが当てられている、その事実も大方は頷いてくれるだろう。排出削減目標を意欲的な数値とするか、実現可能性に重きを置くかで、判断が大きく分かれる。どちらが望ましいかはよく知らない。少なくとも目標値の主張に大きな幅が出来るのは、それぞれを唱える者がステークホルダー即ち直接の利害関係者に他ならないからである。


この地球に関する問題なのだから、地球に住む全人類就中全生物がこれに関係しているのだから、皆がステークホルダーになるのは当たり前の話ではないの、と指摘する人がいるとすれば、それは或る意味正論である。
しかし、全人類全生物の問題を共有化できていない現状は何故か、といえば、それはそれぞれの連中が別の行動原理のプライオリティも持って生きているからであって、そういうそれぞれの事情の溝を埋めていくという作業が必要という文脈で、「地球温暖化問題」として捉えることは、大いに意味あることなのだろう。


何が言いたいかと言えば、例えば、産業界が「二酸化炭素排出削減目標を低く抑えて欲しい」と発言することは、それが全人類にとって最大功利をもたらすかどうかは別にして、彼らにとっての死活問題なのであるから、この問題に真剣に取り組む事情は理解出来るのである。
而して、もう一つの「生物多様性」の「問題」は、どうなのだろうか。


ここに、社団法人日本経済団体連合会が発出した「日本経団連生物多様性宣言」というものがある。半年ばかり前に世に出されたものらしい。
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2009/026.html


全人類就中この地球は、生物多様性という自然の恵みを受けて持続可能なシステムを形成しているのだから、これを大切にしなくてはならない。そう言われて、正直なところ、わたくしは、生物多様性と自然の恵みとの関係についてのイメージがぼんやりしているのではあるが、それをさておいても、「自然を大切にしましょう」というスローガン自体に文句をつけるつもりはさらさらにない。


尤も、そういうスローガンを万人が認めようとも、それ以上の意義や意味はほとんどないのではないかと、わたくしはシニカルに考えているのである。例えば、経済団体がそういったスローガンを叫ぶときに、社外活動による社会貢献的な意味でのそれは分かるのであるが(どうぞぞんぶんにごじゆうにおやりくださいと思う)、彼らの内部経済における生物多様性というものをどのように捉えているのか。二酸化炭素排出量のような利益相反を抱えている部分があるのかどうか、わたくしには、とんとイメージできないで居るのである。


そこで、この宣言の実物も一通り読んでみた。
「前文」「宣言」「行動指針」から構成されるこの内容の九割方は、一般的な自然保護活動を呼びかけるそれと只管同義のものである。
自然を大切に、生物を大切に、地域や伝統や文化を大切に。そういう内容である。条件反射的に反響が返ってくる。「だからどうしたの?」
経団連という特定団体がわざわざそういう金科玉条をのたもう意味は何なのか、もう少し掘り下げて考えてみる必要がきっとあるのだろう。


生物多様性に関する条約の中で、産業界が利害関係者として直接絡み合う端的な問題として、実は遺伝資源のやり取りに関する問題がある。未開地においてさらなる発掘発見の可能性を残す遺伝資源を他国は出来るだけ自由に使いたい。所在国は資源、財産、交渉の武器としてこれの権利を護りたい。当然両者の間で綱引きが生まれる。そのことについて、ユーザー的視点から何かもの申すという姿勢は理解できよう。


しかしながら、この遺伝資源問題は生物多様性条約の主力を占めるイシューではない(と思う)。非常に乱暴に言えば、条約の目指す究極のゴールは、生物多様性版での二酸化炭素排出権取引のような貨幣換算される多国間の流通取引の仕組みを作り上げることにある。仮にこうした仕組みが出来上がれば、或る企業が行った活動について生物多様性への影響を経済評価することによって、その価値を認め、国際的な取引上の価値にまで高めましょうという考え方である。


ほんとうにそのような仕組みが実現するのかどうかというところから眉に唾を付けがちになるところ、それを横に置いても、企業活動そのものと生物多様性(あるいは自然保全)との関係、即ち、原因と結果の関係は不明瞭でさっぱり分からない。喩えて揶揄するならば、企業活動の一環で社員全員エコバッグ使ってます、1人当たり百袋使ってます、エコでしょ、(馬ッ鹿じゃないの)、という話である。


そうした中で、利益追求団体である経団連として、ほとんどNPOが掲げる看板に等しい「多様性宣言」なるものを打ち出す、この状況認識や如何、ということなのである。CSRの域を超えた企業固有の生物多様性保全活動とは一体どういったものなの?
企業イメージだとか、地域懐柔策だとか、用地買収交渉の伏線とか、それ以上の勘ぐりは勘ぐり以上のものにはならないので、それ以上勘ぐらない。
少なくとも、この宣言の内容、意味合いは、There you go...以外の何物でもない。
そして、このことを見ても、常々わたくしが文句たれている「生物多様性の意味が深まらないぞ」ということの証左なのである。


本日の音楽♪
「モア・ザン・ユー・ノウ」(ケイ・スター)