何故ヒトはゴキブリではなくクワガタムシを好むのか

http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20090829-OYT1T00571.htm?from=yolsp

国内有数のオオクワガタの生息地として知られる●賀県の●後川流域で、ここ数年オオクワガタが目撃されていないことが、昆虫愛好家や研究者への取材で分かった。
すみかとなるクヌギの木の伐採が進んだことに加え、平野部で捕獲しやすいため乱獲されたことが原因とみられるという。


ここまでは、よく耳にする話である。住み処の収奪あるいは乱獲といった直接の要因が指摘されている。また、その遠因となる所謂クワガタブームの背景についても、

「左右の均整のとれた太くて立派なあごが●賀産の代名詞。大きさに加え、バランスのとれた美しい形で人気が出た」


との説明を加える。ブームの善悪は横に置くにしても、クワガタの世界にも産地ブランドというものが厳然としてあるのだなあ(まるで西瓜か牛肉みたい)と思った次第。
しかし、ここから、記事の様相は徐々に歪みを増していく。
絶滅の心配はどうなのか、という記者の率直な取材に対して、お役所のコメントは、

「人工繁殖技術が確立されており、すぐに絶滅という状況にはない」として特別な対策は予定していない。


ううむ、よく分からん。ならば、当該地域に限った話でもなし、レッドデータブックへの登録も不要のような気がするが。
まあ、お役所だからなあ、いろいろと理不尽な言い訳は考えるのだろう。
そのお役所コメントに対して、記者は憤然としているのではないかと思われる。識者のコメントを添えて反論で結ぶ。この反論の中身がさらにわたくしに混乱の拍車をかける。

人工繁殖技術によって、オオクワガタは安いものでは数百円から手に入る。野生種から人工繁殖させた子やその次の世代などが売買の中心だが、野に放たれ、野生種と交配して野生と人工繁殖の区別がつかなくなる問題も指摘されている。

●谷●雄・●州大准教授(昆虫学)は「●賀産のオオクワガタは一つのブランドとして認知されており、業者や愛好家の間で野生種の収集熱は冷めていない。●後川を隔てた●岡県の平野部でも手当たり次第に捕獲され、危機的状況にある」と警鐘を鳴らしている。

ここで指摘をする「野生種と交配して野生と人工繁殖の区別がつかなくなる問題」。一体それはどういった「問題」なのだ。遺伝的多様性。脆弱性。可能性ならば何でも言える。何か実害が実際に指摘をされているのだろうか。
わたくしは、最後の識者のコメントを読んで、結局のところ、それはブランド信仰しかないんじゃないのと結論付けた。
「左右の均整のとれた太くて立派なあご」が自慢の在野のブランド品の価値がこのままでは消尽する。それは算盤勘定の問題として理解する。
文化とか環境とか言わないだけマシなのかもしれないが(鮭の放流怪しからんという識者は少数派)、そういう趣味や商売の話ならば、いつまでたっても公益には発展しないだろう。それはそれで誰も構やしないのだろうが。
いずれにせよ、記者の怒りは、業者やマニアのソレに近いということかしら。人工繁殖で天然産顔負けの美人クワガタを開発した暁には何と思うだろうか。


ところで、クワガタムシの話ではないが、別な分野において、文化とか環境とかといった看板を持ち出して、「在来種の野菜(主に漬け菜類とか京野菜の類とか)を護ろう!」といった論陣を時々見掛けることがある。
文化の側面はうっすらとであるが何となく分かるところもあるが、環境側面はほとんど理解できない。いちばん理解できるとしたら、オオクワガタと同様、算盤勘定だろう。
在来の野菜が卓上から消えていく反面(遺伝資源は保存されている)、新しい種類の野菜や新しい品種がどんどんと登場をしている。たかだか数百年の歴史に価値を見出してそれに縋るくらいなら、これから先の未来の数百年にも同じ重さの価値を認めてもよさそうなものである。何故ならば、未来は現在に規定されているのだから。


本日の音楽♪
「ブルー・ムーン」(メル・トーメ