環境政策の矛盾

たまには世界に誇るクオリティペーパーにも目を通してみよう、ということで。
Financial Times紙に面白い記事があった。全訳掲載は面倒なので、要旨を紹介。
http://www.ft.com/cms/s/0/2f3d0bb8-9271-11de-b63b-00144feabdc0.html?nclick_check=1
要すれば、地球環境(温暖化)問題についてのドイツの経済研究所の先生(Hans-Werner Sinn博士)のコラムである。
要旨は以下のとおり。

◆ポイントその1.
各先進国が非化石燃料開発利用を志向しているが、この傾向は化石燃料の供給増を加速化させるという矛盾をもたらす。何故ならば、今後の環境政策化石燃料の需要を緊縮させていく中で、値下げ圧力が高まることによって、供給サイドは前倒し生産に傾斜せざるを得なくなるからである。

◆ポイントその2.
したがって、化石燃料の供給対策そのものにこそ、政策の焦点が当てられなければならない。脱化石燃料に向けた技術的解決策を志向するばかりでなく、供給サイドが化石燃料からは手を引かざるをえないようなシナリオを追求すべきである。

◆ポイントその3.
このための具体的な提言として、供給サイドが化石燃料試算を金融投資の手段にすることを抑制させるような税制の創設、並びに、世界的な排出量取引制度の確立を提案したい。


ポイントその1の視点は、成る程と思う。炭素排出を抑える手立てとしては、森林植林、炭素地中固定などがあるが、前者は規模的な制約があり、幾分楽観的希望を持って語られている後者についても、その可能性は全CO2排出分の最大十分の一を包含できるに過ぎない(IPCC試算)。であればやはり、化石燃料を極力使わないという道しかその解決方策は有るまいという結論に導かれる。このままでは、EUばかりが化石燃料倹約のための汗を一生懸命かく一方で、米国、中国が安価な化石燃料を使うという只乗の利を得るばかりではないか、と(おそらくここいら辺りが筆者の本音の部分)。

しかしながら、そうした供給抑制という直裁的な政策については誰もが真剣に取り上げられてきた形跡がない、と。最近になってようやく解析が始まったばかりだ、と。だからこそ、これまでどの国も炭素削減目標を達成できていないのだ、と。まあ、当たり前といえば、当たり前の話ではあるのだが。脱化石燃料技術の開発やその利用をもって、免罪符を持とうとする、あるいは、それで地球温暖化問題が解決されたような気になっている全世界の市民に対して、警鐘を鳴らす指摘ではある。特にこの国あたりでは、「エコ」と名がつけば何かささやかで、しかし、とてつもなく善い行いをしたかのような錯覚を起こす人々が膾炙しているので、天の皮肉の声のようではある(但し、「耳に痛いです」といった自覚症状を訴える人々も少なかろうが)。

なお、ポイント3の指摘に関しては、最後に短かく指摘をしているだけで、詳しい解説は見当たらない。したがって、その提案されている政策が本当に妥当なものなのかどうかはよく分からない。わたくし自身の感触として、排出権取引というものが貨幣や商取引でみられるような財産的な価値を持つ無体物として新たに共有できるものなのかということについては少なからず疑問を持っている。それは、結局のところ、突き詰めていけば、地球温暖化の危機意識をどの程度全人類が共有できるかということの命題に尽きてしまうことなのでもあるが。


本日の音楽♪
「ESAMOS AI」(MANFRED FEST TRIO)