毒草

家人が「茶花図鑑が欲しい」と言うので、図鑑の類は知識の宝庫だからそれはいいことではないかと賛同の意を込めて値段を訊いてみたところ、2万円余もするという。ちょっとたじろぎつつ、他にもっと安い図鑑もあるのではないかと水を向けてみると、どうしてもその図鑑でなければ駄目なのだと言う。内心、「茶花よりも毒草図鑑の方が余程為になるのではないか…」とぐずぐず思ってみたりする。


毒草図鑑は善人(一般人)が持てばきっと役に立つ。
例えば、スイトピーやスズランやスイセンやチューリップやダリアを間違えて食べてしまったなどという無謬の事故は、きっと起こらないに違いない。身近な植物に自然毒が多く含まれているということは、例の有機(オーガニック)を巡る一般理解においてもバランサーとしての役割を発揮しそうである。
そして何より、毒草は美しい。毒があるような草姿ではないのに、強烈な毒を隠し持つというそのギャップが興味深い。決してその毒素の影響を直接受けることなく、図鑑を眺めながら心癒すことが可能である。


但し、合法麻薬などにまで手を伸ばして幻覚を愉しもうとする輩には持たせ難いものがあるかもしれぬ。
自宅で大●をこっそり育てて法律に基づきお縄になる不逞が跡を絶たぬようであるが、こうした毒草図鑑の知識を持ってしまうと、大●になんて凡そ興味を持たなくなるかもしれない。取り締まる側は大●一つだけでも大変だというのに、対象種類が増えては迷惑千万この上ないかもしれない。現時点で、そういった危ない植物(「これです。」などという特定は勿論しないが)は、法律に基づき取り締まるルールがあるのだろうか。

大●取締法
第1条 この法律で「大●」とは、大●草(カンナビス・サティバ・エル)及びその製品をいう。(以下略)

法律における学名(ラテン名)のカタカナ表記は面白いなあとも思いつつ、例えば、夾竹桃を庭に植えていても罰せられないとは思うが、山漆はどうなのだろう。迷惑この上ないこと必定である。どちらの樹木も焚き火などした日には警察沙汰になってしまうのは間違いない。
また、我が国には少量でも食べたらイチコロリよという猛毒植物がいくつかあって、田舎に行けばそれほど珍しくなく目にすることが出来たりする。ああいうものを植えた毒草園を造る行為はどうなのだろうか。


例えば、キ●ガイ●スビ。雑草化もされているし、通り沿いの庭々でも園芸植物としてよくみかけるこの植物。相当の幻覚作用があるらしい。幻覚かぶれの連中が飛びついてもよさそうなものなのにと思いつつ、もう少し繙くと、この植物がもたらす幻覚作用は快楽の極北に近い性質のものらしい。つまりナイトメア。それはそれで幻覚マニアに対するショック療法として、ありうるのかもしれない(素人考えなのでくれぐれも本気にしないように)。


本日の音楽♪
「うちのパパとママとボク」(山田のぼる)