一部の人は何故オーガニックが好きなのか

英国内では先週来、おカミ(FSA:英国食品安全庁)が行った「オーガニック(有機or自然)食品は一般慣行食品と比較して特に栄養価が優れているというわけではない」というシカとした科学的根拠に基づく発表が巷の大きな話題となっている模様である。
有機食品に特段の思い込みと情のある人間以外であれば、当たり前といえば当たり前ともいえる報告結果として抵抗なく受け止められるのであろうが、有機食品に対する思い込みを特に自覚していない人間であっても、何となく体に良さそうだわというイメージに陥っている(つまり自覚の有無に関わらず、結果として同じ思い込みをしている)多くの自称良識派は、この発表に違和感を正直隠せない。
この際、彼らに対して「だから言わんこっちゃない。」とは石持て追わない。上から目線の一大人からの提言として、ここはひとまず冷静に、自らの良識の所以を見つめ直す良いチャンスであるという助言を裸包装で贈る。ムカっ腹を立てつつも、それ相応に奮起されんことを期待して。


さて、そういう騒動になっている彼の国であるので、当地に本拠を構える例の皮肉屋ブロガー’Bad Sciece’もこの話題を取り上げないわけにはいかないだろう。どんな毒の吹き矢を放つのだろうかと思っていたら、早速こんなことを書いている(2009/08/01)。
http://www.badscience.net/2009/08/check-me-out-i-bought-some-posh-chocolate-im-political/

(仮訳)
◆あれが高さ8マイルはあろうかという高級チョコレート製でできたイライラ苦悩の塔だ!

今週、食品安全庁(FSA)は、自然食品がその成分と健康への効果に関して、通常食品のそれと同等のものであることを示す2つの評価報告書を公表しました。英国土壌協会の反応は非常に迅速なもので、明白かつ包括的な回答の権利を行使したものでした。このことは、自然食品に関与する20億ポンド産業による議会工作の力の大きさとともに、メディアに従事する人々の世俗的な価値感というものを如実に示したものと言えましょう。私は、自然食品が好きではないのですが、間違った議論には興味があります。今回の話には、3つのポイントがあります。
第1に、自然食品に関する重要な問題が個々人の健康効果をもたらすものでないにせよ、環境に対してより大きな影響をもたらすものであると彼らが主張していることです。これは、失ったそのステイタスを取り戻すための一般的な戦略と考えられます。「そのこととかあのこととかについては話さないで下さいな。」と言うのは注意を逸らすためのものでして、私達は自然食品と環境問題を別々に切り離して話すことができます。尤も、今ここで私達が話しているのは、健康への効果についてのことなのでしたが。
第2に、彼らは自然食品の健康効果が農薬に関連したものであって、自然食品が健康にプラスの効果があって、FSAの論文で確認、要約された論拠によって計測することはできないものだと述べています。これは、反則すれすれの発言でしょうか。
例えば、30年来の研究で健康効果を計測した際に、国民の生命上のあらゆる有益な特徴からみて自然食品を食べることによる健康効果の因果関係を解明することが困難であったがために、これまで計測不能であった健康効果が「やはり、あった」という提案をあなたが受けたとしましょう。この場合、あなたは証拠云々の問題としてではなく、信念の問題としてこのことを考えることとなるでしょう。
あるいは、健康効果は計測可能であっても、現段階ではそれが未だ出来ていない場合の提案を受けたとしましょう。この場合も、あなたには証拠よりもむしろ信念の問題となるのですが、少なくともあなたのその20億ポンドを使って、その信念を確認するための公正な調査研究を行うべく、研究者を今からスカウトすることができますね。
第3に、悲しいことに多くの斜陽産業と同様に、土壌協会は「系統的なレビュー(評価)」の何たるか(それ自体が、証拠に基づく議論を促進しようとする関係者の能力に対して壊滅的打撃を引き起こし得るのです)についての国民理解を徐々に蝕もうとしています。
彼らは、その報告において自然食品がよいものだとの回答をもたらす証拠を故意に除外していると言います。しかしながら、その告発内容は「良いところ取り」をしたものであって、FSAによって実行された調査研究が有効なものなのかどうかを見極めることが彼らにはできていません。何故ならば、系統的な評価というものは、当該証拠文書を集め始める前に、どのようにしてその証拠を探し出すのか、どのようなデータベースを使用するのか、証拠の質をどのように評価するか(それが公正な試験と言えるのかどうか)について、画定させることが前提となるものであるからです。
さて、FSA報告書にむかっ腹を立てている土壌協会は、何を無視しているのでしょうか?例えば、彼らのプレスリリースを見てみると、こうあります。「FSAが1800万ユーロの費用をかけて、今年4月に終わった31の研究大学機関と100以上の研究報告書を含む欧州連合からの資金による主要研究結果を含めていないことに我々は大いに失望するものである。」と。www.qlif.orgにそのリンクが張られています。
私はこのリンクに従って、120の報告についてのQLIFリストを見つけ出しました。しかし、そのほとんどは無関係な内容のものばかりでした。最初の14の報告は、「消費者の動態」に関する内容についてであり、食品成分に関する根拠としての組織的評価には結び付かないものでした。それから22の報告が「製造方法の影響」についてであり、より関連した根拠を見つけようと思っても、何も出てきません。
第一の報告(「ラットにおける選択的免疫パラメータに関する有機、低投入と慣行法での食品摂取の中期的影響」)は、表題からして関心を呼び起こす一方で、栄養成分に関する組織的評価を明らかに何も行っていません。同じことは、次の報告(「デンマークにおける室内と屋外の豚生産システムにおける農場及び屠畜場での肉汁等の抗生物質分布及びサルモネラ菌感染水準」)にも言え、系統的評価に関する記述もありません。
さらにまた、これらの圧倒的大多数は未発表の報告であって、このうちのいくつかは誰かが会議で口頭のプレゼンテーションをしたという内容程度のものに過ぎません。系統的評価は、正しくピアレビューされた学術誌で、正当な理由に基づき行われるべきものです。私達は会議での報告だけでは信頼できる情報源とは言えず、会議から出版公表までの間に内容変更を伴うことが多いことを知っています。そして実際に、会議での報告がしばしばその後全く公表されないということも知っています。
このことは、透明性の問題にも起因します。私達は、公的に提出された科学調査研究の方法と結果を求め、これらの全てにアクセスできることを望んでいます。何かについての政府報告が未公表でアクセスできないものであったとした場合、私達は直ちに是正要求をします。実際に、逮捕された罪のない人々からのDNAを保管することを正当化するために内務省によって提示される証拠の重要な部分が未発表で、不完全な研究に基づく、役立たずの内容であったので、私はそのような懸念を2週間ばかり前に提起したところです。
私はこうした活動を継続していますが、実際、今回の自然食品についてはこれに当て嵌まりませんでした。有機農法を推奨している解説の中で、ケージ飼いによる養鶏、腐敗しやすい監査機関、工場経営者の活動に伴って社会的経費が全く反映をされないような向こう見ずな環境破壊(2,3の事例をすぐに掲げることができましょう)といった私達の食物供給において野放しにされている資本主義に対する多様でもっともな懸念について、感情的に訴えかけています。これらの問題は、それぞれにおいて個々人の関心を呼び起こすものではあります。
しかしながら、私達が代替療法ホメオパス)の砂糖錠剤を買うことによって、製薬産業における詐欺問題を解決することができないのと同様に、私達が土壌協会に代表される20億ポンド産業に対してお金を支払うことによって、食料産業における野放しの資本主義という疑うべき余地のない問題を解決することにはならないということも、これまた厳然とした事実なのです。

自然食品に傾倒したところで資本主義の矛盾が解決されるわけではないのよ。という本質的な物言いでトドメを指している。余程、わたくしの言い方の方がかわいげがある、かしら。
それは兎も角、個人的な関心としては、近代科学に対するアンチテーゼとして提唱されている経緯を一部抱えているにせよ、科学を纏った体裁に拘る自己矛盾と、であればこそ、科学の評価の訓令を受けようとしないその「卑屈さ(abjection in a corner)」に興味がある。
「卑屈さ」は或る意味差別用語に近いのかもしれないのであるが、だからこそ、人間臭さも感じている点が興味の胆とも言えようか。


本日の音楽♪
渚のバルコニー」(COCCO