You are the Wrong.

最近よく読んでいる英国科学者のweb”bad science”から。

(仮訳)
◆冗談でしょう?
警察の仕事が首尾良く行われるためのお手伝いであれば誰しもがすすんで協力するであろう。翻って、彼ら警察は、逮捕された容疑者がその後有罪判決を受けなかった場合を含め、全ての容疑者からの遺伝子判別に係る莫大な遺伝データベースを欲しているところであるという。
我々はこれが侵害的である点を憂慮しており、我々の中の幾人かは、犯罪防止の目的でプライバシーの侵害に関して譲歩的な代替措置が必要であると考えている。我々としては、逮捕の際の判断材料としてこのデータベースが本当に役立つものなのかどうかという根拠を知りたい。
幸いにも、内務省は本件に関する協議文書を現在公開中である。彼らは、逮捕されてしまった罪のない人々が有罪になった人々と同じくらい、将来において犯罪を引き起こす可能性があることを根拠にして、当該データベースの正当性を主張している。「これは明らかに検討対象となるものだ。」と彼らは言うが、それは正しくない。それが一事例に過ぎないものなのか、真理となるものなのかを見究めるために必要な優良な証拠を集めることは容易に可能である。
内務省は、このためのいくつかの証拠を集めた。しかしながら、それは必ずしもよい証拠結果ではなかった。実際に、協議文書の付表に添付されたジル・ダンドー研究所の調査結果は、おそらく、私が専門とする環境分野においてこれまで見てきた研究の中でも、最も不明瞭で最低水準の研究成果と言える。あるいは、「最悪」と言えばよいか。彼らの仕事ぶりを理解するために、是非とも私をメンバーに加えて欲しいところではある。
彼らは、逮捕されたが更なる措置がとられなかった人々の集団における犯罪的活動の水準というものが、逮捕された後に有罪判決を受けた、あるいは、猶予判決を受けた人々の集団のそれと同じであるということを示そうとする。
当該文書30頁のところに、彼らの調査方法の説明がある。「2004年6月1日、2005年6月1日、2006年6月1日時点のそれぞれのサンプル調査対象」客体をとったとの解説がある。これらの日付は、その後何も言及がされていない。この調査計画がどのようなものであったのかは全く不明である。それから、いきなり表2に飛躍をして、それには1996年、1995年、1994年における「サンプル」から抽出された人々に関するデータが含まれている。そして、それぞれ30ヵ月、42ヵ月、54ヵ月の追跡調査が行われている。これらは、2004年、2005年、2006年の調査客体とどのように関係しているのかは全く不明である。
実際にこの「サンプル」が何を意味するのか全く分からないが、おそらく、それは彼らが逮捕された最初の日付ではないかと思われる。その後、2009年時点で調査をする代わりに、30、42、54ヵ月の追跡調査を行った理由も一切不明である。きちんとした説明がないので、この表に示された数値が何を意味するのかということも分からない。最初のグループは、一度逮捕されて、その後再び逮捕された人々の数であると思われるのであるが。
いずれにせよ。彼らはこの表の結果を基に考察をする。彼らは、これらの数値から、逮捕されて無罪となった人々と有罪となった人々が同程度であると言及する。これら数値の統計的処理が何も行われていないので、誤差がどの程度あるのか、偶然の調査結果かどうかといったことの示唆がまるでわからない。例えば、この調査のノイズがデータの解析にどれほどの影響を与えているのかを見るものとして、54ヵ月間追跡した人々は42ヵ月追跡した人々よりもその後再逮捕される数が多い。54ヵ月の集団は、逮捕されまでにより長い時間を必要とするといった考察結果が導かれるとすれば、それは驚くべきことに違いあるまい。
我々が詳細な検討を始める前から一事が万事こんな調子である。2,3百人の調査結果で、この調査研究は2つのグループの間に違いがないという動かぬ証拠を与えているのであるが、その割に客体数があまりに小さ過ぎよう。このような証明をするためには、通常、より大きなサンプル数を必要とし、ノイズの中で真の違いを見失う機会を最小にしようとするものである。
必要とするサンプルの大きさを測るために「出力計算」をした痕跡が見当たらないので、いずれにせよ、彼らの持ち出す対象グループについては不正操作が可能である。警察に監禁されている間は犯罪を犯すことができないといった理由から、そのサンプルにおいて「有罪判決を下された」人数から、監護権のない人々を数えて、拘留された人々を除外することも出来る。このことも、「犯罪歴のある」グループがそれほど憂慮すべきものではなくて、罪のなかった人々と類似していそうだという根拠になろう。
ついでに指摘しておく。表1は「説明にあるように」ではない。彼らは文章中で「赤」、「黄のドット」、「空白」別に表のそれぞれのセルを説明しているが、実際には皆「青色」である。
この調査研究は、理解不能、読解不能である。ここで引合いに出したデータによって十分に説得されたと主張する人間がいたとしても、それはこの研究が非常に魅力的なものとして理解されるということではない。そのような人は信用できない。そして、この研究が何百万もの罪のない人々の個人のプライバシーの大いなる侵害へとその政策を導くことになるのならば、彼ら警察は精神鑑定のチャネリングに精を傾けていた方がよっぽどよいというものである。


途中から訳がめろめろなので雰囲気のみを味わうべし。
さて、昨今の世間の風潮は、こうした英国での事例を見るまでもなく、本日の表題の如しである。「わたくしが正しい」と言わずに、「あなたは間違っている」と言う。両者は裏返しの意味には違いないが、前者は俺についてこいというリーダシップ(別な言葉で置き換えれば、「創造」)、後者は足を引っ張る行為(これも別な言葉で置き換えれば、「補正」)ではある。だからといって、後者が後ろ向きだといった単純な結論に結び付けるつもりはないのであるが、少なくとも、この現代の御時世というものには多くの船頭さんが存在をしていて口を挟まれやすい、少なからず生きにくい(息抜きしにくい)世の中であるという感想はそれほど後ろ向きな風ではないだろう。
何はともあれ、説明不足の生煮えデータに至極いらついているこの科学者連中を早く安堵させてやって欲しい。


本日の音楽♪
「ひまわり娘」(伊藤咲子