「ご奉公」という言葉自体の意味が大変希薄になってきているこの御時世に

昔懐かしい矢野健太郎翁の算数・数学に纏わる随筆集を愉しく読んでいたところ、翁自身が大学院を志望する際の挿話に心弾かれた。
翁の相談を受けた当時の学舎の恩師がこういう趣旨を述べている。
「君は学部生の頃にさえ、世間の臑を囓って甘えてきたのだから、直ぐさま世間様のためにご奉公をして恩返しするというのがそもそもの本筋である。どうしても院で学びたいということであれば、これからは世間様の為、余程の恩返しを考えてご奉公しなければならない」。


基礎科学の部類に入る数学の世界でさえ、そうした世間への恩返し(還元)を考える立派な学者が居た反面、実学の世界で十分にそういう意識は未だ浸透しているであろうか。
「学究こそが第一義」と考える学者先生も少なくはあるまい。
それが怪しからんとは云わないが、そういう人々においては、そのレゾンデートルは社会ではなく、矢張り象牙の塔にあるということなのだろう。


おカミのシンクタンクが政府資金をファンドとする調査研究の調査結果を公表しており、悉皆ぽくはないし、意向調査であるので、よく分からぬ調査モノでもあるのだが、その中で、「対象になった調査研究の成果の約6割が社会還元の方向性を認識している」との分析・考察を示している。
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/rep134j/pdf/4.pdf
この6割を多いと見るか少ないと見るかは、人それぞれであろうが、些か考え込む数字ではある。


例えば、ハイテク検出技術を駆使して、所謂環境ホルモン様物質の環境分布の実態を調べて公表をする。一部メディアがセンセーショナルに取り上げる。本人は、あくまでも社会への貢献を考えての行動原理に違いないのであろうが、リスク自体の大きさという観点からは耳垢程度の重要性しか持ち得ない事象に延々と資源を注ぎ込んでいるとも云える。
また、一方では、先の数学の領域において、社会のためというよりもただ純粋に学究のモチベーションでもって、「ポアンカレ予想」の証明に取り組んでいる人もいる。


かように、一概的に社会還元、社会貢献だけを是とするものではないが、「世間様への恩返し」は何も学者先生だけに課せられている宿痾ではなく、社会万人の問題として足下に思いを向けてみれば、少しは上記の6割の不甲斐なさというものも実感できるのではないだろうかとも考えている次第ではある。


(編注)
社会とか国家への忠誠を強調し、重んじていこうとするにつれ、どこからともなく、こういった話↓が出てくる。差し当たりコメントを付すとすれば、論外の3σの外であろう。コメントにも価しないが、念のため申し添えておく。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090624/acd0906240819003-n1.htm


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「大きな地震がきたって」(CHARA