定食屋小景

最近は定食屋も御洒落に気を遣うようになったのかどうか、がさつそうに見えるブルーカラーやむさ苦しい学生ばかりでなく(ごめんなさい)、若い女性客が主流を占めるようになってきている。門戸が広がるという意味で、歓迎すべき変化ではあるのだろう。
わたくしの隣からその若い女性達の会話が聞こえてくる。
髪の長いほうのお嬢さん:「最近、割り箸やめてマイ箸にして、持ち歩いているのよ。エコでしょ。」
髪の短いほうのお嬢さん:「でも、割り箸って木のかけらとか使っていて、それもエコなんじゃないの。」
髪の長いほうのお嬢さん:「森林ってすごく減ってきているんでしょう。伐採とかで。」
髪の短いほうのお嬢さん:「お箸を洗って水を汚したりするのはどうなのかなあ。」
侃々諤々。エコは話のネタとして花が咲きやすいということか。
わたくしは恐らくエコシステムの側に立つ人間ではないし、巷間言われるエコのエコたる本質をよく理解しているとは到底思われないので、マイ箸と割り箸とを比較して、LCA的観点からどちらがよりエコノミーなのかということについては正直よく分からない。
ただし、少なくとも、マイ箸を買うためにアメ車に乗って銀座の専門店まで出掛けて行ったり、割り箸でオージービーフをふんだんに使ったサービスランチをがっつり戴いたりといった行為の方が、箸の選択以上にエコにとっては大きな要因になるのだろうなあということには確信を持つ。
<身の回りの身近なところからエコ>というスローガンは一見まともそうに思えて、その実、視野が非常に局所的に狭窄していきかねない危険性をも併せ持っているのではないかと考える次第。
本人達にとって真面目な議論に水を差すつもりは毛頭無いが、そもそもお嬢さんたちがほんとうのほんとうに身の回りに気を配るのであれば、箸の選択について意識の多くを傾けるのではなく、定食屋ではなく成る可く自宅で家族と一緒に御飯を食べる、食材に地場産品を多く使う、御飯は決して食べ残さない、といったことに意を用いることのほうがよほどバランスがとれた行動というものだろう。
案の定、彼女たちは、半分以上の御飯を食べ残して去っていった。


(追記)
繰り返し書くようだが、わたくしは、エコバッグを入れるためのエコバッグ、それを入れるためのエコバッグ、またそれを入れるための…という嗤い話がいたく気に入っている。「あなた、エコバッグいくつお持ち?」と尋ねて、その人のエコ度を測ってみるというのも一興ではある。(もちろん、エコなバッグの数が多いほどその人のエコ度は低いという判定になる。)


(追記その2)
彼女たちが持っているポーチの中に入っている諸々のものたちの加工度合いを想像するという啓蒙方法もあるやもしれぬ。中には、どうやってその製品が作られたのか全く想像できないといったような人工製品も含まれよう。そういったもの々々を作り上げるための投入エネルギーに思いを致せば、エコの複雑怪奇さが少しは分かってこないだろうか。「ポーチの中身はハンケチとちり紙だけで宜しい」と、明治生まれの御婆さんに一喝されそうではある。


(追記その3)
新聞記事より。「コンビニはエコと利益の同時達成を」ですと。
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/
すぐに勘違いしてトチ狂うM紙らしいといえばらしいが、やはりというか、エコの価値を金科玉条の如く履き違えている。コンビニにとって利益追求と無駄の排除は両立可能なベクトルなのであって、そこにわざわざエコの概念を持ち出す必要は何もなかろうに。この記者(女性)、きっと a lot of マイエコバッグ所有。


本日の音楽♪
「カガミに御用心」(森尾由実)